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藤原為光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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藤原 為光
時代 平安時代中期
生誕 天慶5年(942年)[1]
死没 正暦3年6月16日(992年 7月18日)[1]
別名 後一条太政大臣、法住寺殿
諡号 恒徳公(漢風号)[1] 、相模公(国公)
官位 従一位太政大臣 正一位
主君 村上天皇冷泉天皇円融天皇花山天皇一条天皇
氏族 藤原北家 九条流
父母 父:藤原師輔
母:雅子内親王(醍醐天皇の十皇女)
兄弟 伊尹兼通安子兼家遠量忠君、遠基、遠度登子源高明室、高光愛宮為光尋禅、深覚、公季、怤子、繁子、源重信
正室:藤原敦敏の娘
継室:藤原伊尹の娘
妾:藤原伊尹の娘
誠信 斉信藤原義懐室、忯子、長信、尋光道信公信寝殿の上儼子、穠子、良光、藤原隆家室、安芸守家平室
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藤原 為光(ふじわら の ためみつ、天慶5年〈942年[1] - 正暦3年6月16日992年 7月18日[1] )は、平安時代中期の公卿藤原北家為光流の祖で[1] 右大臣藤原師輔の九男[1] 官位従一位太政大臣 正一位法住寺の建立で知られる。

経歴

村上朝天暦11年(957年)従五位下叙爵し、翌天徳2年(958年)侍従に任ぜられる。左兵衛権佐を経て、応和2年(962年)従五位上・右近衛少将康保3年(966年)正五位下と、武官を務めながら昇進し、この間に五位蔵人も務めている。

康保4年(967年)6月の冷泉天皇 即位後も引き続き蔵人を務めるが、同年10月に従四位下に叙せられて蔵人を去る。康保5年(968年)従四位上・権左中弁に叙任され弁官に遷る。安和2年(969年)3月に叔父(母雅子の弟)であり義兄弟(姉妹の夫)でもあった左大臣源高明が失脚する安和の変が発生し、高明の女婿為平親王の家司を務めていた為光は連座して昇殿を止められる。しかし、まもなく許されたらしく、4月に左中弁に昇格し、8月の円融天皇即位を経て10月には蔵人頭(頭弁)に任ぜられ、天禄元年(970年)には参議 [1] 兼左近衛中将として公卿に列した。

異母兄の伊尹兼通から可愛がられており、天延元年(973年)に先任参議6名を飛び越して権中納言に抜擢され[1] 従三位に叙せられると、天延3年(975年)中納言[1] 、天延4年(976年)正三位に叙任されるなど、公卿となった後も順調に昇進していく。貞元2年(977年)には従二位大納言 [1] に叙任され、兼通から疎んじられていた異母兄の兼家を超え、筆頭大納言となる。しかし、同年11月に兼通が没すると、翌天元元年(978年)に兼家が右大臣に就任して再び為光を超え、兼家と将来の摂関の地位を争う。

永観2年(984年)春宮大夫として仕えてきた師貞親王が即位(花山天皇)し、天皇の要望を受けて為光は娘の藤原忯子を入内させる。忯子は天皇の寵愛を受け、為光自身も内給所を任されるなど、天皇の外戚で為光の義弟・婿でもある権中納言・藤原義懐と並んで重きをなした。だが、寛和元年(985年)7月に忯子が急死すると、翌寛和2年(986年)6月に傷心の花山天皇は出家してしまい(寛和の変)、続く一条天皇の即位とその外祖父・兼家の摂政就任によって為光の野心は挫折した。しかし、兼家は左大臣源雅信に対抗するために為光との連携を図ったため[2] 、同年7月に為光は右大臣に任ぜられ、寛和3年(987年)には従一位に叙せられた[1] 。その一方で、これによって為光は兼家・道隆親子の風下に立つことになってしまった。永延2年(988年)には妻と忯子の菩提を弔うために法住寺を建立している[3] [4]

正暦2年(991年)に道隆の推挙で太政大臣に任じられるが[1] 、翌正暦3年(992年)6月16日薨御享年51。正一位が贈られ、相模国を封じられた。恒徳公。邸宅の一条院は姪・詮子に相続された。

日記に『法住寺相国記』がある。

官歴

公卿補任』による。

系譜

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 日本古典文学大辞典編集委員会 編『日本古典文学大辞典』 第5巻、岩波書店、1984年10月、294頁。 
  2. ^ 山本信吉 (2009年1月15日). "学位論文要旨: 博士(文学): 摂関政治史論考". 東京大学学位論文データベース. 東京大学附属図書館・情報基盤センター. 2024年3月21日閲覧。
  3. ^ 日本紀略』永延2年3月26日条
  4. ^ 上村和直「法住寺殿の成立と展開」(pdf)『研究紀要』第9号、京都市埋蔵文化財研究所、2004年3月、62頁、CRID 1390009226650922624  (注記)pdf配布元は京都市埋蔵文化財研究所ウェブサイト「京都市埋蔵文化財研究所研究紀要一覧表」ページ。
  5. ^ a b c d 『近衛府補任』
  6. ^ 『職事補任』(『群書類従』所収)
  7. ^ 大鏡』第三巻、48段

参考文献

外部リンク

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