萬徳寺
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曖昧さ回避
「萬徳寺」のその他の用法については「萬徳寺 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
萬徳寺 | |
---|---|
本堂 | |
所在地 | 〒917-0242 福井県小浜市金屋74-23 |
位置 | 北緯35度28分7.8秒 東経135度47分7秒 / 北緯35.468833度 東経135.78528度 / 35.468833; 135.78528 座標: 北緯35度28分7.8秒 東経135度47分7秒 / 北緯35.468833度 東経135.78528度 / 35.468833; 135.78528 |
山号 | 延宝山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 不詳(1265年以前) |
開基 | 不詳 |
文化財 |
書院庭園(国の名勝) 木造阿弥陀如来坐像ほか(国の重要文化財)、大山モミジ(国の天然記念物) |
法人番号 | 3210005008709 ウィキデータを編集 |
萬徳寺の位置(福井県内) 萬徳寺 | |
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萬徳寺(まんとくじ)は福井県 小浜市にある高野山真言宗の寺院。山号は延宝山、本尊は阿弥陀如来。天然記念物の大山モミジ[1] を借景とする名勝 枯山水庭園[2] で知られる。
概要
当山の前身は極楽寺といい、文永2年(1265年)の若狭惣田数帳に存在が記されている古刹である。室町時代は応安年間(1368年-1374年)に、安芸国円明寺の覚応 法印が、極楽寺を天台宗から真言宗に改宗し、寺号も正照院と改めた。戦国時代には若狭国を領した武田氏が当山を祈願所と定め、さらに天文13年(1544年)に領主武田信豊により若狭国唯一の駆込寺として公許されるなど隆盛したが、元亀年間に兵火を受けて衰退した。 その後、安土桃山時代は慶長7年(1602年)に寺号は萬徳寺と改められ、江戸時代は延宝5年(1677年)に小浜藩主酒井氏の命により音無川の岸から現在の山麓に寺地を移された。
文化財
- 名勝(国指定)
- 天然記念物(国指定)
- 大山モミジ[1] - 樹齢500年
- 重要文化財(国指定)
- 福井県指定有形文化財
- 童子経曼荼羅図
- 中阿含経 - 奈良時代作
- 絹本着色千手観音像 - 鎌倉時代作
- 絹本着色愛染明王像 - 鎌倉時代作
- 絹本着色十三仏図 - 鎌倉時代作
- 小浜市指定有形文化財
- 両界曼荼羅
- その他
-
庭園と大山モミジ
-
弥勒菩薩像
-
不動明王三童子像
伽藍
- 阿弥陀堂(本堂)
- 庫裏 - 書院造、茅葺屋根
- 山門
- 鐘楼
利用情報
- 開門時間 - 9:00〜17:00
- 備考 - バリアフリー設備:車椅子対応スロープ
交通アクセス
周辺
参考文献
- 萬徳寺パンフレット『萬徳寺略記』
脚注
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関連項目
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外部リンク
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