篠島村
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しのじまむら 篠島村 | |
---|---|
廃止日 | 1961年6月1日 |
廃止理由 |
新設合併 内海町、豊浜町、師崎町、篠島村、日間賀島村→南知多町 |
現在の自治体 | 南知多町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 知多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 0.74 km2. |
総人口 |
3,403人 (国勢調査、1960年10月1日) |
篠島村役場 | |
所在地 | 愛知県知多郡篠島村字神戸160 |
座標 | 北緯34度40分38秒 東経137度00分20秒 / 北緯34.67717度 東経137.00564度 / 34.67717; 137.00564 座標: 北緯34度40分38秒 東経137度00分20秒 / 北緯34.67717度 東経137.00564度 / 34.67717; 137.00564 |
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知多半島の約3km沖の篠島を中心に幾つかの島(木島、中手島、小磯島・築見島、戸亀島、松島、野島、広亀島など)[1] で構成されていた。
古くから伊勢神宮との繋がりが深い。
歴史
- 奈良時代、三河国 幡豆郡に属していた。このころからすでに伊勢神宮領であったと推測される。
- 鎌倉時代、志摩国 答志郡に属していた。
- 室町時代、伊勢国 度会郡に属していた。
- 江戸時代末期、尾張国知多郡に属し、尾張藩領であった。
- 1876年(明治9年) - 師崎村、篠島村、日間賀島村が合併し、鴻崎村となる。
- 1881年(明治14年) - 鴻崎村が師崎村、篠島村、日間賀島村に分立する。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、知多郡篠島村が発足。
- 1961年(昭和36年)6月1日 - 内海町、豊浜町・師崎町・篠島村・日間賀島村が合併し、南知多町となる。
学校
- 篠島村立篠島中学校(現・南知多町立篠島中学校)
- 篠島村立篠島小学校(現・南知多町立篠島小学校)
神社・寺院
- 神明神社
- 八王子社
- 御料干鯛調製所[2]
- 正法禅寺
- 医徳院
名所
- 城山(1338年(延元3年)、義良親王が篠島に漂着し、約半年間滞在した場所)
- 帝井(義良親王のために掘られた井戸。愛知用水完成まで飲料水として利用された。)
- 清正の枕石(加藤清正が名古屋城築城のために切り出そうとした岩)
脚注
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関連項目
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