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相川文五郎 (7代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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七代目 相川 文五郎(ななだいめ あいかわ ぶんごろう、前名・誠之助[1] [2] [3] 1875年(明治8年)11月29日 [4] - 1934年(昭和9年)7月18日 [5] )は、日本資産家 [6] 、神奈川県多額納税[1] [2] [7] 地主 [3] 名望家 [8] 実業家政治家。族籍は神奈川県平民 [4] [9]

人物

神奈川県人、六代文五郎の二男[2] 1894年家督を相続し襲名して前名・誠之助を改めた[1] [2] 。神奈川県知事有吉忠一の懇請により神奈川県農工銀行の監査役だったが1925年これを辞し、家業の農業を営み六浦荘村信用組合長に挙げられ、直接国税9927円を納め神奈川県多額納税者であった[2] 。また郡会議長を務めた[4] 。住所は神奈川県久良岐郡六浦荘村 [4]

栄典

家族・親族

相川家
親戚

脚注

  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第8版』ア31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第9版』ア37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月18日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第7版』あ25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第5版』あ23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月18日閲覧。
  5. ^ 朝日新聞』昭和9年7月20日朝刊、第12面の葬儀広告より
  6. ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月30日閲覧。
  7. ^ 『日本紳士録 第29版』附録 全国多額納税者 神奈川県11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月18日閲覧。
  8. ^ 『帝国名望家大全』125頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月17日閲覧。
  9. ^ 『人事興信録 第6版』あ20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月14日閲覧。
  10. ^ a b 『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』200頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月18日閲覧。
  11. ^ a b c 『人事興信録 第15版 上』ア9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月17日閲覧。
  12. ^ a b 『日本紳士録 第26版』横浜あ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月17日閲覧。
  13. ^ a b 古文書から見る金沢掲載号2014年7月3日号、タウンニュース公式サイト。2020年9月17日閲覧。

参考文献

  • 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第26版』交詢社、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第29版』交詢社、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』大蔵省印刷局、1986年。

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