東京信託
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東京信託(とうきょうしんたく)は、日本に信託法・信託業法ができる前に創設された日本で最も古い信託会社。大正初期、東京で初となる郊外型分譲住宅地新町住宅を開発した。1926年に日本不動産株式会社と名を変え、現在も存続している。
沿革
- 1903年(明治36年) - 東京信託社創業(日本橋本石町に創設)[1] 。社主の岩崎一は、元三井組地所部支配人[2] 。
- 1906年(明治39年) - 三井系、慶応閥の財界人により東京信託株式会社設立 資本金150万円。岩崎は専務取締役。三井銀行所有の東京都内貸地貸家、華族・資産家所有の土地建物の管理とそれに伴う資金運用の引き受け、その他財産に関する一般の信託業務を謳った[3] 。
- 1913年(大正 2年) 5月 - 新町住宅第一回分譲
- 1913年(大正 2年)11月 - 新町住宅第二回分譲
- 1915年 ‐ 岩崎一辞任[4]
- 1916年(大正5年) ‐ 前山久吉が 取締役会長就任[4] [5] 。
- 1924年(大正13年) - 信託法・信託業法に基づく営業免許取得および業務開始
- 1926年(大正15年) ‐ 売り上げのほとんどが不動産業であり、信託会社が他にも増えたことから、信託業を廃止し、社名を日本不動産株式会社に改称[6] [7] [8] 。主な目的は公社債株式の仲買業[9] 。取締役会長に前山久吉、専務取締役に梅田清、取締役に武智直道(台湾製糖社長)、稲葉富三郎、室田義文 [10] 。大株主は日本徴兵保険、浜松銀行、共同保全、内国貯金銀行、泰平銀行(すべて前山久吉の会社)、前山久吉、武智直道[10] [11] 。
(現在の三井住友信託銀行の前身の三井信託は、あくまで大正13年に施行された信託業法に基づく信託会社としての第一号である)
東京信託株式会社設立の背景
欧米の財産管理や不動産関係の信託業務を視察して帰国した、三井銀行(現在の三井住友銀行)の岩崎一が、早川・波多野などの同じく三井銀行の重役や門野幾之進などの慶應義塾(現・慶應義塾大学)人脈、財界の支援を得て日本橋本町に設立。[12]
設立総会は交詢社にて慶應義塾長 鎌田栄吉議長のもと行われた。[12]
なお、後に新町住宅開発を通して関係を結ぶ玉川電気鉄道の優先株2000株を1906年下期に引き受けている。
創業者
岩崎一 (いわさきはじめ、1868年生)は、日本メリヤス製造株式会社社長・岩崎亮之輔の長男に生まれ[13] 、永井小舟の門下で漢学を修め、三井家に入って三井銀行地所係長となる[14] 。東京信託社を立ち上げ、株式会社化で專務取締役となる[14] 。のち東京市会議員のほか、共同生命保険、関西信託、日本徴兵保険、内国貯金銀行、小田原瓦斯、玉川電気鉄道の各役員も務めた[14] 。岳父に元佐倉藩士で堀田家 家令の佐治済 [15] 。
脚注
[脚注の使い方]
- ^ 東京信託社広告『日本紳士録 第9版』 交詢社 明36
- ^ 岩崎一君『立身致富信用公録 第17編』 国鏡社 明37.4
- ^ 東京信託広告『東京便覧』津田利八郎 明治協会 明39.12
- ^ a b 誕生の歴史日本不動産
- ^ 内国貯金銀行『文化事績録 A巻』統計資料協会 昭和9
- ^ 東京信託の信託業廃止『事業年鑑 大正16年』事業之日本社 大正15
- ^ 大正15年『財界五十年譜 : 中外商業新報社創立五十年記念』 中外商業新報社 大正15
- ^ 官報 1926年11月10日
- ^ 日本不動産株式会社『文化事績録 A巻』統計資料協会 昭和9
- ^ a b 東京信託株式会社『銀行会社要録 : 附・役員録 30版』 東京興信所 大正15
- ^ 日本不動産株式会社『文化事績録 A巻』統計資料協会 昭和9
- ^ a b 誕生の歴史 - 日本不動産(株)
- ^ 岩崎亮之輔『人事興信録』初版 明治36(1903)年4月
- ^ a b c 岩崎一『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 佐治済佐倉市教育委員会
参考文献
- 「日本不動産100年史」日本不動産株式会社 (2006年)
- 日本不動産株式会社ウェブサイト
関連項目
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