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引地信之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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引地 信之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県 下関市
生年月日 1930年 11月3日
没年月日 (1999年06月23日) 1999年 6月23日(68歳没)
身長
体重
167 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1952年
初出場 1952年
最終出場 1959年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
この表について
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引地 信之(ひきち のぶゆき、1930年 11月3日 - 1999年 6月23日)は、山口県出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ監督

来歴・人物

下関商業では甲子園に4回出場。戦後初となる1946年夏の選手権では、準決勝に進むが京都二中に敗退[1] 1947年春の選抜は1回戦で慶応普通部に完封負け[2] 同年夏の選手権は準々決勝に進むが、仙台二中に敗れる[1] 1948年春の選抜は準決勝に進むが、京都二商の足立礼四郎(法大-近鉄)に抑えられ敗退[2]

卒業後は大洋漁業の関連会社である林兼造船に務めながらノンプロチーム「全下関」でプレーし[3] 1952年大洋ホエールズへ入団。1年目の同年から遊撃手のレギュラーを獲得し[3] 、103試合出場で規定打席(42位、打率.230)にも達する。1956年には二塁手に回り、1958年までレギュラーを守った。堅実な守備で知られ、1952年5月18日国鉄戦(後楽園)から1957年 8月29日巨人戦(後楽園)まで708試合連続出場を記録[4] 1959年には中村敏行に定位置を譲り、同年限りで現役を引退。

引退後も大洋のスカウトに転身し、山下大輔長崎慶一を発掘[3] 。二軍守備コーチ(1973年 - 1974年, 1977年)・二軍監督(1975年 - 1976年, 1978年 - 1979年)も務め、二軍監督に就任した1975年には高木由一田代富雄らを擁してイースタン・リーグ優勝を飾るなど若手選手の育成にも力を入れた[3] 。その後は地元・下関に帰郷し、西日本を中心として再度スカウトを担当[3] 1990年統一ライオンズで日本人初のコーチに就任し、1993年退任。

1999年6月23日に心筋梗塞のため死去。68歳没。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1952 大洋
洋松
大洋
103 337 322 29 74 10 1 1 89 35 5 3 3 -- 12 -- 0 13 15 .230 .257 .276 .534
1953 130 484 462 44 111 13 4 0 132 37 18 5 3 -- 16 -- 3 21 16 .240 .270 .286 .556
1954 130 565 535 59 130 22 5 1 165 22 14 5 11 2 13 -- 4 14 7 .243 .266 .308 .575
1955 130 551 516 55 125 19 3 8 174 33 10 9 17 1 13 0 4 30 8 .242 .266 .337 .604
1956 130 563 519 51 115 13 4 9 163 48 10 8 16 5 21 0 2 28 8 .222 .255 .314 .569
1957 119 493 448 42 102 11 2 5 132 31 5 5 5 4 36 2 0 35 12 .228 .285 .295 .580
1958 119 483 438 35 85 10 4 8 127 33 4 2 25 2 16 1 2 33 7 .194 .226 .290 .516
1959 81 182 161 12 37 8 0 3 54 10 3 2 4 0 16 3 1 20 4 .230 .303 .335 .639
通算:8年 942 3658 3401 327 779 106 23 35 1036 249 69 39 84 14 143 6 16 194 77 .229 .263 .305 .568
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大洋(大洋ホエールズ)は、1953年に洋松(大洋松竹ロビンス)に、1955年に大洋(大洋ホエールズ)に球団名を変更

背番号

  • 39 (1952年)
  • 22 (1953年 - 1959年)
  • 70 (1973年 - 1979年、1990年 - 1993年)

脚注

  1. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ a b 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ a b c d e 私とベイスターズ COLUMN No.8 無口で頑固者--。娘が語る 黎明期を支えた名手のホエールズ愛 COLUMN by 引地 千雅子 - 横浜DeNAベイスターズ(2019年4月12日)
  4. ^ 選手名鑑 引地信之

関連項目

外部リンク

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