常 (仏教)
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仏教用語 常 | |
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パーリ語 | nicca |
サンスクリット語 | nitya |
中国語 | 常 |
日本語 |
常 (ローマ字: Jou) |
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常(じょう、梵: nitya)は、永遠に変化せず、生じたり滅したりしないこと、絶え間なく続いて尽きないこと[1] 。常住(sassata)ともいう[1] 。対義語は無常 (むじょう)。
縁起法性の理や、如来の法身、仏の三身は常住であるとされる[1] 。
パーリ仏典にて
凡夫の四顛倒である、常楽我浄の1つとして数えられる[1] [2] 。
常見(sassata-ditth)とは、「我(アートマン)は常住である」といった見解のことで、邪見のひとつであり、梵網経では常住論者パクダ・カッチャーヤナ(六師外道の一人)の主張が取り上げられる[3] 。
大乗仏教
脚注
注釈
出典
関連項目
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