吉田忠雄
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吉田 忠雄(よしだ ただお、1908年 9月19日 - 1993年 7月3日)は、日本の実業家で、YKKの創業者。富山県出身。魚津市 [1] 、黒部市の名誉市民。神奈川県 藤沢市に居住していた。YKK二代目社長・YKK AP創業者吉田忠裕は長男[2] 。
来歴・人物
富山県 下新川郡 下中島村住吉(現在の魚津市住吉)で生まれる。魚津尋常高等小学校卒業後の1928年に上京。
古谷商店の社員を経て1934年にYKKの前身であるサンエス商会を設立し、ファスナーの生産を始める。以降、YKKを世界的な企業に育て上げた。兄弟の吉田久松もYKKの設立に貢献した。
魚津町議会議員、魚津商工会議所初代会頭(1949年〜)、富山地方裁判所魚津支部民事司法委員なども務めた。1959年4月には、大河内記念賞を受賞している[3] 。
持論として、「用事がある時は社長室に部下を呼ばず自分から出向く事」をモットーとしていた。吉田本人が出張中、会社に泥棒が入った際に金庫を盗まれてしまったが、それを警備担当が吉田の出張先に謝罪と報告に出向いたところ、「済んだ事は仕方ないが、わざわざ出張先にまで来るのは無駄なことだ。」と一喝したエピソードがある。
1993年7月3日、肺炎のため84歳で死去。
著書
- 『仕事儲け人儲け - 人間吉田忠雄語録 ワールド・エンタープライズ「YKK経営」の勘どころ』(大和出版、1986年)
- 『みんなに伝えたい世界のファスナー王 吉田忠雄のことば』(吉田忠雄、千広企画、2020年)ISBN9784801499010
脚注
関連項目
- 吉田育英会