フランツ・オットー (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
印刷用ページはサポート対象外です。表示エラーが発生する可能性があります。ブラウザーのブックマークを更新し、印刷にはブラウザーの印刷機能を使用してください。
フランツ・オットー Franz Otto | |
---|---|
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公 | |
在位 | 1546年 - 1559年 |
出生 |
(1530年06月20日) 1530年 6月20日 |
死去 |
(1559年04月29日) 1559年 4月29日(28歳没) |
配偶者 | エリーザベト・フォン・ブランデンブルク |
家名 | ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家 |
父親 | リューネブルク侯エルンスト1世 |
母親 | ゾフィー・フォン・メクレンブルク=シュヴェリーン |
テンプレートを表示 |
フランツ・オットー(Franz Otto, 1530年 6月20日 - 1559年 4月29日)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公の1人で、リューネブルク 侯(在位:1546年 - 1559年)。リューネブルク侯エルンスト1世とメクレンブルク=シュヴェリーン公ハインリヒ5世の娘ゾフィーの長男。ハインリヒ、ヴィルヘルムの兄。
父が1546年に死去した時は未成年のために、しばらく暫定政府が政治を取り仕切り、1555年に親政を開始、1559年にブランデンブルク 選帝侯 ヨアヒム2世の娘エリーザベトと結婚したが、同年に急死。子が無かったので、2人の弟ハインリヒとヴィルヘルムがリューネブルク侯領を共同統治していった。
爵位・家督 | ||
---|---|---|
先代 エルンスト1世 |
リューネブルク 侯 1546年 - 1559年 |
次代 ハインリヒ ヴィルヘルム |