ハンミーラ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ハンミーラ Hammira | |
---|---|
メーワール王 | |
在位 | 1326年 - 1364年 |
別号 | マハーラーナー |
出生 |
1291年頃 不詳 |
死去 |
1364年 チットールガル |
子女 | ケーター |
王朝 | シソーディヤー朝 |
宗教 | ヒンドゥー教 |
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ハンミーラ(Hammira, 1291年頃 - 1364年)は、北インドのラージャスターン地方、メーワール王国の君主(在位:1326年 - 1364年)。ハミール・シング(Hamir Singh)とも呼ばれる。また、彼の代から王はマハーラーナーの称号を使用するようになった。
生涯
1291年頃、メーワール王国の傍系一族シソーディヤー氏族の息子として誕生した[1] [2] 。
1303年、メーワール王国の首都チットールガルがハルジー朝のアラー・ウッディーン・ハルジーによって包囲・攻撃され、メーワール王ラタン・シングは生け捕りにされた[3] 。一方、チットールガルの支配はアラー・ウッディーンの幼い息子ヒズル・ハーンに委ねられ[3] 、「ヒズラーバード」に改称されてしばらくの間デリー・スルターン朝の支配が続いた[4] 。この間、メーワール王国は一時中断していた。
1326年頃、ハンミーラはチットールガルを奪還し、メーワール王国を再興した[4] [5] 。また、グヒラ朝は彼の氏族の名を取ってシソーディヤー朝とも呼ばれるようになった。
1364年、ハンミーラはチットールガルで死亡した[1] [2] 。
脚注
参考文献
- サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。
- 小谷汪之『世界歴史大系 南アジア史2 ―中世・近世―』山川出版社、2007年。
- P・N・チョプラ 著、三浦愛明 訳『インド史』法蔵館、1994年。