アユブ・カルレ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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基本情報 | |
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階級 | ライトミドル級 |
身長 | 173cm |
国籍 | ウガンダの旗 ウガンダ |
誕生日 | (1954年01月06日) 1954年 1月6日(70歳) |
出身地 | カンパラ |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 50 |
勝ち | 46 |
KO勝ち | 23 |
敗け | 4 |
テンプレートを表示 |
獲得メダル | ||
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ウガンダの旗 ウガンダ | ||
男子 ボクシング | ||
世界ボクシング選手権 | ||
金 | 1974 ハバナ | ライトウェルター級 |
アユブ・カルレ(Ayub Kalule、1954年 1月6日 - )は、ウガンダ出身のプロボクサー。カンパラ生まれ。元WBA世界ジュニアミドル級(現スーパーウェルター級)王者。
略歴
1974年の世界ボクシング選手権で優勝したアマチュアのエリート。デンマークに移住しプロへ転向、1978年に英連邦ミドル級王座を獲得。
1979年10月25日、秋田県立体育館にて工藤政志(日本/熊谷)に挑戦し、15ラウンド判定で完勝し、WBA世界ジュニアミドル級チャンピオンとなる[1] 。
手堅いボクシングで4度の防衛を果たすが、1981年6月25日、ウェルター級のスーパースター、シュガー・レイ・レナード(アメリカ合衆国)に屈し、9回KO負けで王座を明け渡した。
翌1982年7月17日、タイトル奪還を期してデビー・ムーア(アメリカ合衆国)に挑んだが、10回KO負けで王座返り咲きはならず。
その後キャリアを継続、3年後の1985年6月20日、ピエール・ジョリーを下して欧州ミドル級王者となるも、初防衛戦で王座から陥落した。
通算戦績
50戦46勝(23KO)4敗
脚注
- ^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年、278頁
関連項目
外部リンク
- アユブ・カルレの戦績 - BoxRec (英語)
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