Wikipedia:削除依頼/李球 (蜀漢)
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ケースE、特筆性なし。当該人物に関する史書等の記述は以下。
- 三国志 (歴史書)「李恢の弟の子の李球は、羽林右部督として、諸葛瞻につき従って鄧艾を防ぎ、戦陣の中で命を投げ出し、綿竹で死んだ」
- 三国志演義「張遵・黄崇・李球の三人は、それぞれ一手の軍勢を率いてドッと出撃したが、多勢に無勢で、三人とも戦死した」(本書は小説ですが、特段の史書との違いなし)
- 華陽国志「瞻軍敗績。瞻臨陣死。崇及羽林督李球、尚書張遵,皆必死,沒命」
※(注記)邦訳は筑摩書房刊行のものに拠る。同書では李恢の弟としていますが、これは誤訳のため訂正。
それ以外の記述、「鄧艾・鍾会・諸葛緒らが蜀へ侵攻...」については改まって魏の侵攻を説明しているだけ、「諸葛瞻に従って涪に向かった...」の記述は諸葛瞻の動きを説明しているだけで、李球がどうつき従ったかなど史書に書いておらず、筆者の類推を含みます。これらのことから記述の半分程度も水増しの感があります。中国語版当該項目[1]も存在しますが、前述の出典を出るものはありません。
- 削除 依頼者票。--narumi(会話) 2023年9月2日 (土) 20:17 (UTC) [返信 ]
- コメント 投票がないので当該項目に知識のない方向けの補足です。要するにこの人物は「李恢の甥」「羽林右部督として、諸葛瞻につき従って鄧艾と戦ったが、敗死した」ということしか史書に名を残していません。一緒に死んだのが張遵だの黄崇だの、まして彼らの血縁などは李球本人に何ら関係がありません。ですのでケースE「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」を明確に満たすものと考えます。--鳴海(会話) 2023年9月24日 (日) 04:08 (UTC) [返信 ]
- 存続
- コメント李球 (蜀漢)の中国語版が2015年版に作成されていますが確かに史書を出典にしてもほぼ一文だけの人物なので難しいところはあるかと思いますが、ただしWikipedia:特筆性 (人物)と言う部分で考えるなら
- 信頼でき客観的に独立し、対象者から独立し、公にされた二次情報源に取り上げられている場合、その人物はすでに特筆された人物であると推定されます。
- ここを鑑みると、書くべき部分は少なくほぼ完成された記事で蜀漢の滅亡に記載がある程度ではありますが、
- ほかの人物との絡みもあり、史実の人物として特筆性自体はあるのではないかと私は考えます。あとは出典が明確に記載がある中文版を参考に出典をを記することでし、削除に至る必要は無いのではないかと思います。--ぬこマニア(会話) 2023年9月24日 (日) 06:09 (UTC) [返信 ]
- コメント 2023年9月24日 (日) 16:36 (UTC)の私のコメント以降の記述をノートに移行しました。最初に投票外の発言を行ったのは私なので書き込まれた両名を責めるわけではないのですが、改めてWikipedia:削除依頼#注意事項もご確認下さいませ。--鳴海(会話) 2023年9月26日 (火) 08:37 (UTC) [返信 ]
- 存続 複数の史書に載っており、存続でよいかと思います。--Ramanozan5(会話) 2023年10月25日 (水) 20:50 (UTC) [返信 ]
- 削除 史書が信頼できる情報源だとしてもその言及が戦場に出陣し討ち死にしたという記述程度では「有意な言及」(対象の話題について、直接的かつ詳細に述べていること)とはいえないでしょう。--Popbeans(会話) 2023年11月3日 (金) 14:52 (UTC) [返信 ]