蒲谷 亮一(かばや りょういち、1944年(昭和19年)9月17日 [1] - )は、日本の政治家。元神奈川県 横須賀市 長(1期)。
来歴
神奈川県横須賀市出身。栄光学園中学校・高等学校を経て、東京大学法学部卒業。自治省に入り、横須賀市副市長、宮城県副知事、札幌市助役などを歴任する[2] 。2005年の横須賀市長選挙に立候補し、横須賀市が地盤で当時の内閣総理大臣 小泉純一郎ほか30人を超す市議会議員の支援や、連合神奈川など200を超す団体の推薦を受け当選した[3] [4] 。2009年の市長選挙で再選を目指したが、元横須賀市議の吉田雄人に敗れた[4] 。
脚注
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、162頁。
- ^ 引用エラー: 無効な
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- ^ 『神奈川新聞』2005年6月27日1面。
- ^ a b 『地方選挙総覧 <知事・市長・特別区長> 平成篇 1989-2019』184頁。
参考文献
- 『地方選挙総覧 <知事・市長・特別区長> 平成篇 1989-2019』日外アソシエーツ、2019年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。
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官選 |
- 鈴木忠兵衛1907年5月17日-1909年4月18日
- 鈴木福松1909年9月14日-1911年1月9日
- 田辺男外鉄1911年7月15日-1917年7月14日
- 奥宮衛1917年10月6日-1923年7月14日
- 市長職務管掌 林茂1923年7月31日-1923年10月9日
- 奥宮衛1923年10月9日-1924年8月16日
- 石渡坦豊1924年12月6日-1927年5月26日
- 岡田三善1927年7月4日-1927年12月12日
- 小栗盛太郎1928年3月12日-1930年5月30日
- 高橋節雄1930年9月22日-1932年3月2日
- 大井鉄丸1932年3月22日-1933年5月15日
- 三上文太郎1933年5月26日-1934年4月18日
- 小泉又次郎1934年5月15日-1935年11月15日
- 鈴木斎治郎1936年1月22日-1938年8月10日
- 久野工1938年9月27日-1941年1月17日
- 岡本伝之助1941年2月13日-1943年4月17日
- 梅津芳三1943年5月9日-1947年1月3日
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公選 |
- 太田三郎1947年4月8日-1949年6月13日
- 石渡直次1949年7月19日-1953年6月24日
- 梅津芳三1953年7月12日-1957年7月9日
- 長野正義1957年7月10日-1973年7月9日
- 横山和夫1973年7月10日-1993年7月9日
- 沢田秀男1993年7月10日-2005年7月9日
- 蒲谷亮一2005年7月10日-2009年7月9日
- 吉田雄人2009年7月10日-2017年7月9日
- 上地克明2017年7月10日-現職
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