仙洞御所
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議論の要約:皇位継承に伴う各施設の名称と記事内容変更
仙洞御所(せんとうごしょ)は、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇の御所。
仙洞とは本来仙人の住み処を指し、そこから転じて上皇・法皇の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。
解説
仙人とは中国で古くから信じられた理想的な人間像で、俗世を離れて深山に隠遁することから、退位した天皇の住まいの美称として用いられるようになった。貴人の住まいを「御所」ということから「仙洞御所」と呼ばれた。
上皇・法皇は退位後、内裏から退去して仙洞御所に移るのを常とし、里内裏が多くそれにあてられた。仙洞御所はまた「院(いん)」とも呼ばれ、これも上皇・法皇の別称として使われた。仙洞御所には家政機関としての院庁が置かれたほか、白河上皇の時には近衛として北面武士のちに西面武士が設置された。
現在の仙洞御所
2019年(平成31年)4月30日24時00分を以って第125代天皇が退位して上皇 [1] となり、同時刻である令和元年5月1日0時00分、今上天皇が第126代天皇に即位した[2] 。これに伴い、東京都 千代田区 千代田 皇居の従来の御所が上皇の御所である「吹上仙洞御所」[3] [4] に、同都港区 元赤坂 赤坂御用地の従来の東宮御所が天皇の御所である「赤坂御所」[5] にそれぞれ改称された[6] 。
その後、2020年(令和2年)3月31日に[7] 上皇・上皇后は、赤坂御所が正式な仙洞御所として改修されるまでの間の仮住まいとして、同都港区高輪の高輪皇族邸 (旧高松宮邸)[8] [9] に転居し、これを「仙洞仮御所」と称した[10] 。吹上仙洞御所は改修を経て、2021年(令和3年)9月6日より今上天皇一家の正式な御所となった。そして天皇一家転居後の赤坂御所は改修され、2022年(令和4年)4月26日に上皇・上皇后が高輪皇族邸から再度転居し、正式な「仙洞御所」となった。
京都仙洞御所
概要
現在、京都市 上京区にある京都御苑内で、京都御所の南東に位置している。これは1627年(寛永4年)に京都新城の跡地に後水尾上皇のために造営されたもので、正式名称は「桜町殿」という。東部には広い池を中心に庭園が広がっている。初め小堀遠州によって築庭されたが、のちに後水尾上皇の意向により大きく改造されている。
仙洞御所の建築群は1854年(嘉永7年/安政元年)の火災後再建されず、現在では庭園のみが残っている[11] 。1867年(慶応3年)以降には隣りの御常御殿が残る大宮御所に組みいれられ、皇室の京都における邸宅として整備された。庭園の南東周辺が空地であり、これを利用して大正天皇及び昭和天皇の大礼の際に、大嘗宮が建立された。平成初期にも京都迎賓館建設地として、こちらも検討されたが、京都御苑の別の一角に建設された。
なお、仙洞御所西北に隣接する京都大宮御所は後水尾天皇の中宮であった東福門院の女院御所として造営されたものが元となっている。前述のとおり京都大宮御所は御常御殿の改修を行いそれに伴い仙洞御所との塀を除きこれを組み入れた。大正時代には大宮御所の御常御殿の内装などが洋室に改装されるなど住居としての実用性が向上し、仙洞御所の庭園を合わせた邸宅としての装いが整った。現在では大宮御所と仙洞御所を合わせた邸宅を単に「大宮御所」と呼び、天皇・皇后の行幸啓(帰京)の際の滞在施設として使用されている。
築造の経緯
仙洞御所(大宮御所ふくむ)の地は、かつて聚楽第の後身として太閤秀吉が築いた豊臣家の本邸「京都新城」のあった地であり、当時は太閤御所 ・太閤上京御屋敷などと呼ばれていた。豊臣秀吉が没した翌慶長4年9月に大坂城から秀吉の正室の北政所が移り居住した。彼女は寛永元年に没する。しばらくは甥の木下利房(次男の利次が北政所の養子として羽柴家を継承)が居住したが、寛永4年に後水尾天皇が譲位の意向を示すと、幕府はこの地を仙洞御所と大宮御所の地として選び御所建設工事に着手した。
このとき御所の規模構造について大坂城代から「皇居より大きくしないこと」などと細かな指示書が示されている。譲位の意向は中宮の東福門院所生の親王が夭折し、いったん撤回され、工事の進捗は緩慢になったと考えられる。寛永6年11月天皇が突如譲位を決行すると、工事を再開、翌7年12月に上皇は新構の仙洞御所に移徙(わたまし)している。このとき多くの建物は二条城から寛永行幸の際に使用した建物を移築再利用している。阿古瀬淵は豊臣家邸宅庭園の遺構と伝える。
1840年(天保11年)の光格上皇の崩御後は、退位し上皇となる天皇がいなかった事から、1869年(明治2年)の東京奠都に伴う東京への皇室や御所の移転を経た後も従来より単に「仙洞御所」と称されていた。
2019年(平成31年)4月30日、第125代天皇明仁が東京奠都後の天皇としては初めて退位し[12] 、上皇となった。その上皇の御所として「仙洞御所」が東京(東京都内)にも整備されることから、区別の為に従来の仙洞御所は「京都仙洞御所」と改称された[13] [14] 。
上記以外の仙洞御所
平安京の北西部を占める妙心寺は、花園上皇の仙洞御所である萩原院を寺に改めたものである。
脚注
- ^ 天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)第3条に基づき、退位の翌日(令和元年5月1日)よりこの身位になる。
- ^ 2019年(令和元年)5月1日内閣告示第2号「皇位継承に関する件」
- ^ 2019年(令和元年)5月1日内閣告示第4号「上皇上皇后両陛下の御在所が定められた件」
- ^ "両陛下住まい、退位後は「吹上仙洞御所」と改称". 読売新聞. (2019年4月22日). https://www.yomiuri.co.jp/national/20190422-OYT1T50270/
- ^ 2019年(令和元年)5月1日内閣告示第3号「天皇皇后両陛下の御在所が定められた件」
- ^ 皇室関連施設 - 宮内庁(2019年7月1日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ "マスク姿の上皇ご夫妻、高輪の仙洞仮御所で仮住まい". 読売新聞オンライン. 読売新聞社 (2020年3月31日). 2020年4月30日閲覧。
- ^ 天皇陛下の御退位に伴うお住居の移転等について(平成29年12月18日発表)(2018年1月4日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 2020年(令和2年)2月27日内閣告示第1号「上皇上皇后両陛下の御在所を東京都港区高輪一丁目十四番一号の殿邸に定められ、仙洞仮御所と称する等の件」
- ^ 赤坂御所・仙洞仮御所・宮邸 - 宮内庁(2020年5月1日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ "仙洞御所". ミカド文庫. 2020年7月18日閲覧。
- ^ 2019年(令和元年)5月1日内閣告示第1号「天皇陛下御退位等に関する件」
- ^ 京都事務所の所掌事務を定める内閣府令及び宮内庁組織規則の一部を改正する内閣府令(上段部分参照) - 官報
- ^ 皇位継承後のお住まいの名称を発表|NHKニュース - ウェイバックマシン(2019年4月28日アーカイブ分)
参考文献
- 『京都 御所の庭 - 京都御所・仙洞御所』小学館〈週刊日本庭園をゆく7〉、2005年。
- 根岸鎮衛『耳嚢』全3冊 長谷川強校注、岩波書店〈岩波文庫〉、1991年。 - 江戸時代の随筆。仙洞御所についての逸話を収録。
関連項目
外部リンク
座標: 北緯35度1分23.89秒 東経135度45分47.85秒 / 北緯35.0233028度 東経135.7632917度 / 35.0233028; 135.7632917