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韓奇峰

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韓 奇峰(かん きほう、Han Qifeng、? - 1862年)は、末の捻軍の反乱の指導者の一人。韓老万と呼ばれた。

安徽省 潁州府 亳州 曹市集出身。地主出身であったが、捻軍の蜂起に参加し、1855年雉河集の会盟に参加して、藍旗旗主となった。1857年、盟主の張楽行に従い淮南に進軍し、陳玉成率いる太平天国軍と連合して正陽関を占領し、寿州を包囲した。このときに弟の韓碧峰韓秀峰を捻軍代表として太平天国軍に派遣して、連絡にあたらせた。1858年に陳玉成とともに固始を包囲したが、陥落させることができず、根拠地に帰った。1862年センゲリンチン(僧格林沁)率いる清軍が捻軍への攻撃を開始すると、防衛にあたったが、砲弾にあたって戦死した。

参考文献

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  • 郭穀生・史式編『太平天国大辞典』、中国社会科学出版社

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