東松島市
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ひがしまつしまし ウィキデータを編集 東松島市 | |
---|---|
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村コード | 04214-5 |
法人番号 | 1000020042145 ウィキデータを編集 |
面積 |
101.30km2 |
総人口 |
37,392人 [編集] (推計人口、2025年1月1日) |
人口密度 | 369人/km2 |
隣接自治体 | 石巻市、遠田郡 美里町、宮城郡 松島町 |
市の木 | 松 |
市の花 | さくら |
東松島市役所 | |
市長 | 渥美巖 |
所在地 |
〒981-0503 宮城県東松島市矢本字上河戸36-1 北緯38度25分34.5秒 東経141度12分37.5秒 / 北緯38.426250度 東経141.210417度 / 38.426250; 141.210417 |
外部リンク | 東松島市 |
■しかく ― 政令指定都市 / ■しかく ― 市 / ■しかく ― 町・村 | |
ウィキプロジェクト |
東松島市(ひがしまつしまし)は、宮城県中部、仙台湾沿岸に位置する市。
概要
宮城県の中部に位置し、周りを石巻市、美里町、松島町に境を接する。また、南側は太平洋(石巻湾)に面している。野蒜は鳴瀬川の河口にあたり、北上運河、東名運河も通じる。
沿革
- 2005年(平成17年)4月1日 - 桃生郡 矢本町と鳴瀬町の合併(平成の大合併)によって発足した。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)による津波が襲来、死者1,000人以上を出した上、市内全住宅の3分の2を超える約11,000棟が全半壊した[2] 。詳しくは後述。
行政
市長
- 市長:渥美巌(あつみいわお、2017年4月29日就任、1期目)
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|
初-3代 | 阿部秀保 | 2005年4月29日 | 2017年4月28日 |
4代 | 渥美巌 | 2017年4月29日 | 現職 |
経済
- 市内には航空自衛隊 松島基地が置かれている。
- 商圏としては石巻商圏の範囲であるが、近年イオングループ系のショッピングセンターが市内に完成したほか、三陸自動車道の開通もあり、仙台とのアクセスは向上した。
郵便局
- 矢本郵便局(集配局)
- 鳴瀬郵便局(集配局)
- 野蒜郵便局
- 宮戸郵便局
- 大塩郵便局
- 宮城赤井郵便局
姉妹都市・提携都市
日本国内
- 提携都市
- 埼玉県の旗 富士見市(埼玉県)
- 愛知県の旗 小牧市(愛知県)
- 愛知県の旗 北名古屋市(愛知県)
- 2014年(平成26年)2月23日 災害時相互応援協定締結。
- 愛知県の旗 豊山町(愛知県西春日井郡)
- 2014年(平成26年)2月23日 災害時相互応援協定締結。
教育
高等学校
中学校
小学校
人口
東松島市(に相当する地域)の人口の推移
総務省 統計局 国勢調査より
1970年(昭和45年)
32,192人
1975年(昭和50年)
33,901人
1980年(昭和55年)
36,865人
1985年(昭和60年)
39,280人
1990年(平成2年)
40,424人
1995年(平成7年)
42,778人
2000年(平成12年)
43,180人
2005年(平成17年)
43,235人
2010年(平成22年)
42,903人
2015年(平成27年)
39,503人
2020年(令和2年)
39,098人
交通
鉄道
- 中心となる駅:矢本駅
バス
道路
高速道路
一般国道
県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
史跡・名勝
レジャー
祭り・イベント
伝統芸能
出身著名人
- 相澤タロウイチ - イラストレーター・絵本作家
- 阿部豊 - 俳優・映画監督
- 池田渉 - プロラグビー選手(三洋電機ワイルドナイツ→リコーブラックラムズ)
- 内海安吉 - 政治家
- 大槻俊斎 - 仙台藩医・幕府医(お玉が池種痘所を設立。初代西洋医学所頭取。東京大学 医学部の初代総長とみなされている)
- 尾形貴弘 - お笑い芸人(パンサー)
- 大久秀憲 - 小説家
- 白岩亮治 - 大相撲力士
- 富田鐵之助 - 外交官・実業家(日本銀行第2代総裁)
- ニードル - 伊藤政仁・石垣進之介(共に旧鳴瀬町出身)のお笑いコンビ
- 山路嘉人 - 元プロサッカー選手(東芝サッカー部→ブランメル仙台)
- 矢本平之助 - 政治家
- 太十郎 - 日本人として初めて、漂流も含め世界一周をした4名の船乗りのうちの1人(奥田多十郎とも書く)
- 儀兵衛 - 1793年 - 1804年に渡り、奥田太十郎らと共に世界一周した船乗り(奥田儀平とも書く)
東日本大震災
被害状況
- 死者1,109人(2014年 1月時点)、行方不明者 25人 家屋被害・・半壊以上が11,000棟を超える(全世帯の73.4%)。また、浸水域は市街地の約65%に達した[4] 。
- 電気:全体的な復旧まで約2週間、宮戸地区は津波被害が甚大のため復旧まで約3か月。
※(注記)2011年(平成23年)3月11日時点の電気供給契約数 22,574件。
- 上水道:2週間以上かけて徐々に復旧。宮戸地区は3か月以上。
※(注記)2011年(平成23年)3月11日時点の上水道供給契約数 15,012件。
- JR仙石線:矢本駅〜松島海岸駅間が不通状態のため、バスによる代替輸送を開始するととにもに、野蒜北部丘陵地区へ鉄
道路線の変更を決定。2011年(平成23年)7月16日、石巻駅〜矢本駅間がディーゼル列車により再開。
- 固定電話:2週間程度を復旧に要した。
- 携帯電話:7日程度復旧に要した。[5]
- 津波は野蒜海岸にて観測、浸水高 10.35m[6] 。
- 野蒜地区は、東側の仙台湾(石巻湾)から押し寄せた津波が内陸2キロ弱を横断し、西側の松島湾に流れ込んだ。野蒜小学校の体育館で13人が、特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅的被害を受け、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊松島基地も冠水し、多くの航空機が破損した。
- その一方、野蒜地区では民間人の佐藤善文が自宅裏の岩山に10年かけて避難階段と避難小屋を作っていた。近所の住民は「津波なんてここまで来るわけがない」と佐藤を変わり者扱いし、この避難所を「佐藤山」と呼んでいたが、結果的に約70人が津波被害を免れた[7] [8] [9] 。
当時の状況
-
津波により冠水した車両と家屋(赤井地区)
2011年3月13日撮影 -
津波によって破壊された家(野蒜地区)
2011年3月17日撮影 -
津波によって発生した瓦礫と流されたランドセル
2011年3月17日撮影 -
地震から約1か月後の東松島市立野蒜小学校屋内運動場
2011年4月17日撮影 -
行方不明者の捜索のため川をせき止めて水を抜き、川底の瓦礫の撤去が行われた
2011年5月25日撮影
脚注
[脚注の使い方]
注釈
出典
- ^ 図典 日本の市町村章 p37
- ^ 統計局ホームページ
- ^ "震災教訓、広域タッグ 災害時相互支援へ協定". 47NEWS (2012年5月15日). 2017年4月13日閲覧。
- ^ 東松島市 東日本大震災記録誌
- ^ 東松島市
- ^ 〜平成23年3月11日発生 東日本大震災の概要〜
- ^ "手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島". 朝日新聞. (2011年3月31日). http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103290226.html 2014年1月16日閲覧。
- ^ 東松島市を襲った大津波の証言
- ^ "70人の命救った手作り避難所「佐藤山」 東松島市野蒜地区". 産経フォト. (2016年8月11日). http://www.sankei.com/photo/story/news/160811/sty1608110028-n1.html 2018年3月17日閲覧。
参考文献
関連項目
→「Category:東松島市」も参照
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外部リンク
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