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橘島田麻呂

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橘島田麻呂
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下兵部大輔
主君 安殿親王
氏族 橘氏
父母 父:橘奈良麻呂、母:大伴古慈斐
兄弟 安麻呂島田麻呂清野清友入居
淡海三船
真材、長谷麻呂、有主、千株、常主
常子春澄善縄室、藤原貞本
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橘 島田麻呂(たちばな の しまだまろ)は、平安時代初期の貴族参議橘奈良麻呂の子。官位正五位下兵部大輔橘氏長者

経歴

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延暦16年(797年)春宮亮に任ぜられ、皇太子・安殿親王(のち平城天皇)に仕える(この時の位階従五位下)[1] 。娘で桓武天皇女御となった常子の薨伝によると、正五位下兵部大輔に至ったとされる[2] 。詳細な経歴は伝わらないが、子女に恵まれ子孫から多数の公卿を輩出した。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『日本後紀』延暦16年2月15日条
  2. ^ a b 『日本後紀』弘仁8年8月1日条
  3. ^ a b c d 『尊卑分脈』
  4. ^ a b 『公卿補任』
  5. ^ 『日本後紀』天長元年2月9日条
  6. ^ 「橘氏系図」(『続群書類従』巻第164所収)

参考文献

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  • 森田悌『日本後紀 (上)』講談社講談社学術文庫〉、2006年
  • 森田悌『日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2007年
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年

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