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三郷市逮捕監禁致傷事件

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三郷市逮捕監禁致傷事件
場所 東京都 足立区埼玉県 三郷市
日付 2004年(平成16年)5月19日
日本標準時
概要 逮捕・監禁致傷
攻撃手段 拉致
攻撃側人数 1人
負傷者 1人
犯人 男(犯行当時33歳、女子高生コンクリート詰め殺人事件前科あり)
対処 懲役刑
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三郷市逮捕監禁致傷事件(みさとし たいほかんきんちしょうじけん)は、女子高生コンクリート詰め殺人事件の準主犯格だった男(本事件当時33歳)が、出所後に知人男性を暴行・監禁し負傷させた事件[1]

事件の概要

犯人は、女子高生コンクリート詰め殺人事件で準主犯格(同記事中では「少年B」と表記)として懲役5年以上10年以下の不定期刑判決を受け、少年刑務所に服役したが[1] [2] 1999年8月に出所した[3] 。出所後、男は中国人女性と結婚・離婚した。事件後、父親は離婚し母親と暮らしていた。一時コンピュータ関連の会社に就職したが、2002年頃からは仕事に就かず、暴力団に出入りしていた。以前の事件で感情が不安定になっており、昼間でも「ギャー」とか、「ウー」などと叫ぶことがあった。事件当時、男は埼玉県 八潮市内に居住し、コンピュータ会社にアルバイトとして勤務していた[1]

本事件

男は2004年 5月19日午前2時頃[1] 東京都 足立区 花畑の路上で[1] 、被害者の知人男性(当時27歳)に因縁を付け[1] 、顔・脚などに殴る蹴るなどの暴行を加え、金属バットで脅迫した[1] 。男性を車のトランクに押し込み、約40分間車を走らせた後[1] 、埼玉県三郷市内のスナックバーに拉致・約4時間監禁し[2] 、スナックで男性に対し「俺の女を取っただろう。殺すぞ。俺は人を殺したことがある」などと脅迫して[1] [2] 、殴る蹴るなどの暴行を加え[1] 、顔などに全治約10日間のけがを負わせた[1] [2] [4] 。また、男は犯行前にも被害者に対し「俺は少年の時に10年懲役に行ってきた」「女を監禁していて、遊びから帰ってきたら、女が死んでたんだよ。それで、たばこに火をつけて、煙を鼻に近づけたら煙が揺れなかった。だから死んだってわかったんだよ」などと、コンクリート詰め事件への関与を伝えつつ[5] 、「俺は警察を騙したり、検事を丸め込んだりするノウハウや知識を学んだ。今度、何かあってもすぐに出て来られる」と話していた[5] [2]

2004年6月4日、男は逮捕・監禁致傷容疑で警視庁 竹の塚警察署逮捕された[1] 。取り調べに対し男は容疑を認めた上で「ちょっとやりすぎた」と供述した[1] 東京地方検察庁6月25日、逮捕・監禁致傷罪で男を起訴した[1]

刑事裁判(東京地裁)

2004年7月28日東京地方裁判所(菊池則明裁判長)で初公判が開かれた[5] [2] 被告人の男は大筋で起訴事実を認めた一方で[5] 、監禁行為については「男性とお茶を飲んで話していた」、脅迫については「被害者を殴ったのは事実だが、『(別の事件で)俺は人を殺したことがある』という台詞は言っていない」[2] 、「トランクには男性が自分から入っていった」などと述べ[3] 、起訴事実の一部を否認した[5] [2]

2005年(平成17年)1月18日の論告 求刑公判で、検察側は「粗暴犯の常習性が顕著に認められ、再犯の恐れは極めて大きい」[6] 、「自分が好意を寄せる女性と、被害者の男性が交際していると邪推して犯行に及んだ男は、刑務所を出所後、暴力団に加入して活動して犯行に至っている。前の事件の関係者の感情を踏みにじるような脅迫の言葉を用いて再犯に及び、更生意欲の乏しさをうかがわせる」として[4] 、男に懲役7年を求刑した[6] [4] 。弁護側は最終弁論で「深く反省している」と寛大な判決を求めて結審した[6]

2005年 3月1日、東京地裁(菊池則明裁判長)は判決理由で、コンクリート詰め殺人事件に言及し「更生が期待されていたのに、出所から4年9か月余りで犯行に及んだことは、一般社会に大きな衝撃を与えた。前に犯した殺人のことを脅し文句に用いるなど、男が真に深い反省の下に前の事件と向き合い、再出発を図ったのかについては疑問の余地がある」と指摘し[3] [7] 、「犯行は執拗かつ危険。動機も自己中心的である」と犯行を非難した一方で[3] 、「男は1999年8月に出所後、結局は暴力団に入ったものの、一時は派遣社員として働くなどして更生に努めた。前科が周囲に知れ、職場での人間関係に行き詰まるなどの事情があり、更生意欲をそいだ面も否定できない」として、男に懲役4年の判決を言い渡した[3] [7] 。菊池裁判長は男に「責任を果たしたら今度こそ本当の意味での再出発を期待しています」と説諭した。

男は東京高等裁判所控訴したが、5月13日に控訴を取り下げ、懲役4年の実刑判決が確定した[8] [9]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 産経新聞』2004年7月4日大阪朝刊社会面「女子高生コンクリ殺人の元少年 男性監禁、暴行で起訴 東京地検」
    『産経新聞』2004年7月4日東京朝刊社会面「コンクリ詰め殺人有罪の男 監禁、傷害で逮捕」
  2. ^ a b c d e f g h 朝日新聞』2004年7月28日夕刊第一社会面19面「監禁致傷罪で初公判 女子高生コンクリ殺人の元少年、一部否認」
  3. ^ a b c d e 『産経新聞』2005年3月1日大阪夕刊社会面「コンクリ詰め殺人の元少年 知人監禁で懲役4年 東京地裁判決」
    『産経新聞』2005年3月2日東京朝刊社会面「コンクリ殺人準主犯の男 『反省に疑問』懲役4年」
  4. ^ a b c 『朝日新聞』2005年1月18日夕刊第一社会面15面「監禁致傷で7年求刑 女子高生コンクリ殺人の元少年」
  5. ^ a b c d e 『産経新聞』2004年7月28日大阪夕刊社会面「女子高生コンクリ事件の元少年 監禁致傷 罪状認める 東京地裁」
    『産経新聞』2004年7月29日東京朝刊社会面「女子高生コンクリ殺人で服役の元少年 監禁事件初公判検察側冒頭陳述」
  6. ^ a b c 『産経新聞』2005年1月18日大阪夕刊社会面「監禁致傷で7年求刑 コンクリ詰め殺人の元少年 東京地裁公判」
    『産経新聞』2005年1月19日東京朝刊社会面「逮捕監禁致傷で7年求刑 コンクリ殺人元少年」
  7. ^ a b 『朝日新聞』2005年3月1日夕刊第一社会面19面「元少年、懲役4年判決 コンクリ殺人服役後、監禁致傷 東京地裁」
  8. ^ 『産経新聞』2005年6月8日大阪夕刊社会面「コンクリ殺人の被告が控訴取り下げ」
    『産経新聞』2005年6月9日東京朝刊社会面「B被告が控訴を取り下げ」((注記)記事見出しに男の実名が使われているため、その部分を女子高生コンクリート詰め殺人事件記事中での表記に置き換えた。)
  9. ^ 『朝日新聞』2005年6月8日夕刊第二社会面14面「監禁致傷で有罪、控訴を取り下げ コンクリ殺人の元少年」

関連項目

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