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森寅雄

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森寅雄(もり・とらお 1914年 6月11日 - 1969年 1月8日)は、日本のフェンシング選手。「タイガー・モリ」の異名をとった稀代の名選手である。群馬県 桐生市出身。幕末の剣豪・森要蔵の孫。講談社の創立者・野間清治は母方の伯父。

略歴

  • 1937年、剣道普及のため渡米。南カリフォルニア大学でフェンシングを開始
  • 1938年、全米フェンシング大会に出場し、準優勝を果たす
  • 太平洋沿岸選手権優勝するなど、世界トップレベルの活躍を見せる
  • 1941年、太平洋戦争のため日本に帰国
  • 1951年、フェンシングアメリカ西部地区大会で優勝。
  • 1960年、ローマオリンピックアメリカ代表監督を務める
  • 1968年、メキシコオリンピックでアメリカ代表コーチを務める
  • 「モリ・フェンシング・アカデミー」を設立し後進の指導にあたった
  • 1969年、剣道の稽古中に心臓発作を起こし死去。
  • 選手としての絶頂期に戦争が起こったため、オリンピック出場はかなわなかった。悲運の剣士である。

関連項目

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