クラキンコ
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クラキンコ | |
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欧字表記 | Kura Kinko |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 2007年 4月11日(18歳) |
父 | クラキングオー |
母 | クラシャトル |
母の父 | ワカオライデン |
生国 | 日本の旗 日本(北海道 日高町) |
生産者 | 倉見牧場 |
馬主 | 倉見利弘 |
調教師 |
堂山芳則(北海道) →中村護(大井) →堂山芳則(北海道) |
競走成績 | |
生涯成績 |
27戦11勝 (地方競馬26戦11勝) (中央競馬1戦0勝) |
獲得賞金 | 2979万8000円 |
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クラキンコは日本で生産、調教された競走馬である。馬名の意味・由来は「冠名(クラ)+父名より(キン)+子」。両親ともに北海優駿勝ち馬という、ホッカイドウ競馬の申し子として生まれ、史上4頭目、牝馬では初の北海道三冠を達成した。とくに北海優駿は、非常にめずらしい両親と娘の2世代3頭による制覇である。ダートグレード競走でも実績を残した。
経歴
誕生までの経緯
クラキングオーは2000年の北海優駿、王冠賞の二冠を制するなど重賞を5勝し、ホッカイドウ競馬の第一線で活躍していた。しかし、2003年のレース中に故障を発生して競走を中止。予後不良の判断を迫られる重症だったが、奇跡的に命を取り留めた。その後は現役を引退。故郷の倉見牧場で功労馬として余生を過ごし、2006年からは種牡馬登録もされ、自家種牡馬としての役目も担うことになる。初年度の配合相手に選ばれたのは、クラキングオーと同じく北海優駿を勝った、牧場の看板ともいえる繁殖牝馬クラシャトル。そして翌年、クラキングオーの初年度ただ1頭の産駒、後にクラキンコと名付けられる栗毛の牝馬が誕生する。
2歳時
2歳になったクラキンコはかつて父を手がけた堂山芳則厩舎に所属。2009年 8月11日のフレッシュチャレンジ(新馬戦)でデビューする。能力検査のタイムが出走馬中ダントツの最下位[1] と芳しくなく6番人気であったが、2番手追走から直線で一時抜け出し2着に惜敗。勝ったのは後に大井に移籍して翌年の羽田盃を勝つシーズザゴールド。3着に8馬身差をつける、負けて強しの競馬だった。そしてルーキーチャレンジ(未勝利戦)、ザール賞を楽勝し、デビュー戦がフロックでないことを証明する。ルールオブロー賞は最後方から猛然と追い込むも時すでに遅く3着。ダートグレード競走初挑戦のエーデルワイス賞も後方からの競馬で、先に抜けだしたオノユウに届かず2着だった。次走は中央の特別指定競走である赤松賞で芝レースに初挑戦するが、先行するも直線で伸びず、アパパネの12着と惨敗した。ホッカイドウ競馬のオフシーズンとなる12月からは大井の中村護厩舎に移籍。東京2歳優駿牝馬を目指したが、右前肢に内側管骨瘤の症状が出たため、回避して休養に入る。
3歳時
北海道三冠の一冠目である北斗盃はホッカイドウ競馬の開幕週に行われるため、ステップレースを使う目的で引き続き大井に所属し、菜の花特別から戦線に復帰。このレースはスタートで大きく出遅れて7着、次走のたんぽぽ特別では中団後方から直線で内から伸び、追撃をハナ差でしのいで勝利する。再び堂山厩舎に戻って迎えた北斗盃では、中団追走から直線で内を突いて先頭に立ち、ゴール前は抑える余裕も見せる完勝で一冠目を制する。続く北海優駿は4番手から4コーナーでもったまま先頭に立ち、直線でも3頭の南関東勢を完封。着差以上に余裕のある勝利で二冠を達成した。その後はフロイラインカップ、華月賞を経て三冠目の王冠賞に向かうことになり、フロイラインカップをほとんど追わずに楽勝するが、熱発のため華月賞を回避して王冠賞に臨む。そしてレースでは5番手追走から4コーナーで先頭に立ち、そのまま押し切って三冠を達成した[2] 。
三冠達成後の緒戦となったオープン特別のNOSAI日高特別は2番手に先行し、4コーナーで楽に先頭に立って直線で後続を突き放し、古馬との初対決を制した。"四冠"を目指した道営記念はファン投票1位で出走。5、6番手に先行し、直線で先頭争いに加わるが抜け出せず、勝った同じ厩舎のオネストジョン[3] らにもかわされて5着に敗れた。ホッカイドウ競馬のオフシーズンに入った12月には名古屋グランプリに出走。先行して3番手につけるが、2周目3コーナー付近で手ごたえがなくなり、8着に敗れた。
この年の活躍が認められ、ホッカイドウ競馬の年度代表馬賞(サラブレッド系3歳以上[4] )を受賞した。
4歳時
2011年の初戦は5月5日のコスモバルク記念。遠征してきた岩手の三冠馬ロックハンドスターとの三冠馬対決に、南関東重賞2勝をひっさげてホッカイドウ競馬に復帰したショウリダバンザイも加わっての三つ巴の戦いが注目された。レースでは3番手で折り合い、直線で外目から抜けだすと、追い込んできたショウリダバンザイをクビ差しのいで勝利した。続く星雲賞では逃げるリアライズトロイカを最後の直線でクビ差かわして優勝した。ノースクイーンカップでは中団追走から直線で抜け出しを図るが、後方から追い込んだショウリダバンザイの脚色が上回り2着に敗れた。ブリーダーズゴールドカップではインの4番手で競馬をするも中央勢に突き放され、勝ち馬から3.3秒差の6着と大敗した。ステイヤーズカップでは3コーナー先頭から逃げこみを狙うも、昨年の王冠賞で破ったサムライジャパンらに差されて3着。瑞穂賞では先手をとったものの直線伸びず6着と、地元での地方勢同士によるレースで初めて掲示板を外す。2年連続ファン投票1位に選出された道営記念では、ハイペースを好位で追走したが4コーナーで手ごたえがなくなり、勝ち馬から1.7秒差の7着と惨敗した。
5歳時
コスモバルク記念は連覇がかかっていたが、2番手追走も直線で後続につかまり5着に終わった。星雲賞では単騎逃げを打ち、終始他馬を寄せ付けず、昨年のこのレース以来の勝利で連覇を達成した。ノースクイーンカップでも逃げる形になったが、4コーナーでつかまり、勝ち馬から2.3秒差の7着と大敗した。オープン戦では転厩初戦のシャアの圧勝を許して2着、ステイヤーズカップでも逃げたシャアを好位集団の先頭で追走するも直線突き放されて3着に終わった。
競走成績
血統表
祖母、父の祖母はともに倉見牧場の基幹となった牝馬で、それぞれの牝系で最も活躍した馬を両親に持つ、オーナーブリーディングの結実ともいえる配合。その牝系は小岩井農場の基礎輸入牝馬の1頭であるウェットセールにさかのぼる。ただし、近親の中央重賞勝ち馬は5代先までさかのぼっても、5代母ソウリュウの半弟ライリュウ(中京記念)のみ、中央G1勝ち馬はウェットセール以降すべての子孫をたどってもバンブービギン(菊花賞)のみと、繁栄している血統ではない。
父クラキングオーはクラキンコ以降も毎年1、2頭に種付けを行っていたが、娘の三冠達成から間もない2010年 10月24日に心不全で死亡し、クラキンコを含めて3頭しか産駒を残せなかった。3頭の産駒はいずれもホッカイドウ競馬で勝ちあがり、クラキンコの全弟クラグオー[6] は鎌倉記念2着などの実績を挙げた。クラキングオーの母クラファストレディの半兄には、クラキンコの活躍当時に笠松競馬場の現役最高齢誘導馬として知られた、ハクリュウボーイがいる。
母クラシャトルはホッカイドウ競馬のほか、南関東、笠松にも転戦し、前述の北海優駿など重賞5勝。ホクトベガの"伝説の大差勝ち"で知られる1995年 エンプレス杯にも出走している。祖母クラネバダンサーも北斗盃と北海優駿でそれぞれ3着など、ホッカイドウ競馬に縁のある一族であるが、クラキンコとクラシャトル以外は重賞での入着までにとどまっている。
脚注
- ^ 800メートルの走破タイムが57.5秒と、一番早いシーズザゴールドより7.5秒、2番目に遅い馬より3.2秒も遅かった。ちなみに過半数の馬は53秒以内で走破する。父のクラキングオー、全弟のクラグオーも能力検定では出走馬中最下位であった。
- ^ 3レースの距離差1400メートルは4頭の三冠馬のうち最長。堂山調教師は2001年のミヤマエンデバーに続いて2度目の三冠馬トレーナーとなった。父クラキングオーとの王冠賞父子制覇でもある。
- ^ 騎乗していたのも堂山厩舎所属で、クラキンコの準主戦ともいえる小国博行。また、この勝利で堂山調教師はホッカイドウ競馬の2010年度リーディングトレーナーとなっている。
- ^ 年度代表馬賞は2歳と3歳以上の2部門に分かれている。この年の2歳部門の受賞馬はカネマサコンコルドで、この馬も堂山厩舎所属であった。
- ^ a b 濃霧のため計測不能であった。
- ^ クラキンコがキングオーの「キン」を、弟が残りの「グオー」を与えられている。
参考
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ、Racing Post エラー:
|racingpostname=
が未定義です。(参照1・参照2)