丹波敬三
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これはこのページの過去の版です。106.170.112.166 (会話) による 2012年8月13日 (月) 07:57 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版 とは大きく異なる場合があります。
106.170.112.166 (会話)による2012年8月13日 (月) 07:57時点の版
丹波 敬三(たんば けいぞう、1854年(安政元年) - 1927年(昭和2年))は、明治・大正期の薬学者。摂津国走井村(現大阪府 豊中市)出身。蘭方医 丹波元礼の三男。丹波直次、丹波哲郎、丹波明の祖父。先祖は丹波康頼。そして直系である丹波家がその末裔。
東京大学製薬学科(現在の薬学部)第一期の卒業生で、ドイツのエアランゲン大学に自費留学して衛生学・裁判化学を学ぶ。1887年帰国後、改組されて東京帝国大学医科大学薬学科となった母校の教授となり、梅毒治療薬「サルバルサン」を研究し、これを国産化。「タンバルサン」と命名し、国内で販売すると共に、薬事法の概要の制定に携わる[1] など、日本の近代薬学の基礎を築いた。1912年第5代日本薬剤師会会長となる。1917年 東京薬学専門学校(現在の東京薬科大学)校長となり、同年勲一等瑞宝章受章。1927年死去し、多磨霊園に葬られる。
脚注
スタブアイコン
この項目は、薬学に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:薬学/Portal:医学と医療/Portal:化学)。
スタブアイコン
この項目は、科学者 に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。