荒川仁人
荒川 仁人(あらかわ にひと 1981年 12月23日 - )は、日本のプロボクサー。東京都 武蔵野市出身[1] 。
現OPBF東洋太平洋ライト級王者、第56代日本ライト級王者(防衛3度後、2011年8月返上)、WBA世界ライト級6位、WBC世界ライト級7位。八王子中屋ボクシングジム所属。静岡県立下田南高等学校(現下田高)南伊豆分校卒[2] 。
基本情報 | |
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本名 | 荒川仁人 |
通称 | 童顔の狙撃手 "babyface sniper" |
階級 | ライト級 |
身長 | 172cm |
国籍 | 日本の旗 日本 |
誕生日 | (1981年12月23日) 1981年 12月23日(42歳) |
出身地 | 東京都武蔵野市 |
スタイル | サウスポー(ボクサーファイター) |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 23 |
勝ち | 21 |
KO勝ち | 14 |
敗け | 1 |
引き分け | 1 |
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来歴
2010年4月22日、後楽園ホールで近藤明広と対戦し、初回にはキャリア初のダウンを喫したが、的確なパンチを重ねて2-0の判定勝利で日本ライト級タイトルを獲得した[3] 。同年9月4日の初防衛戦では4位の大村光矢と対戦。2回に右フックでダウンを奪うと一方的に試合を進め、5回TKOで挑戦者を退けた[4] 。
2011年1月8日には中森宏との対戦で2回にダウンを奪われるが、3回に試合を立て直すと中盤からは終始優位に試合を運び、8回の連打で試合を止め、2度目の防衛に成功した[5] 。
荒川の所属する八王子中屋ジムは積極的にメキシコと交流しており、2011年5月にはサウル・アルバレスを抱えるメキシコ・グアダラハラのジュリアン・マグダレン・ジムで約2週間のトレーニングをした。そこでは当地の方式に従って到着の翌日からストレッチもなしにスパーリングを行い、また初めてロープワークの指導を受け、メキシカン独特のコンビネーションやパンチのアングルにじかに触れて技術面の修正をした[6] 。
同年6月13日には9位生田真敬と対戦し、4回に右フックからの連打でダウンを奪うと、さらにフックをまとめて、この回ストップ勝ちで3度目の防衛に成功した[7] 。この勝利により、東日本ボクシング協会から同年6月度月間賞の最優秀賞を受け[8] 、日本ライト級タイトルは8月12日付で返上した[9] 。
同年10月4日、空位のOPBF東洋太平洋ライト級タイトルを1位で無敗のジェイ・ソルミアノと争った。荒川は2回にはダウンを喫したが、3回から速いコンビネーションを見せ、試合はパワーのソルミアノとアグレッシブさで上回る荒川との一進一退の攻防となった[10] 。ソルミアノは毎回KOを狙ったが、荒川は技術的なボクシングで危険なパンチをかわし続け[11] 、最終的に連打で挽回に成功した荒川が[12] 2-1の判定勝ちで、新チャンピオンとなった。これまで頭脳的なスタイルが評価されてきた荒川だが、この試合では視界が塞がれてミスもあったものの、気迫のこもった攻撃を見せた[13] 。
戦績
- アマチュアボクシング戦績 5戦4勝(3RSC)1敗
- プロボクシング戦績 23戦21勝(14KO)1敗1分
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
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1 | 2004年2月10日 | 勝利 | 1R 2:21 | KO | 山下真外 | 日本の旗 日本 (角海老宝石) |
プロデビュー戦 |
2 | 2004年5月5日 | 勝利 | 2R 1:01 | TKO | 中沢勇輝 | 日本の旗 日本 (ヨネクラ) |
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3 | 2004年10月30日 | 勝利 | 4R | 判定3-0 | 前田拓馬 | 日本の旗 日本 (京葉) |
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4 | 2005年3月29日 | 勝利 | 2R 2:28 | KO | 濱邊哉壮 | 日本の旗 日本 (シャイアン) |
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5 | 2005年5月27日 | 勝利 | 1R 2:32 | TKO | 長崎大之 | 日本の旗 日本 (三迫) |
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6 | 2005年8月18日 | 勝利 | 4R | 判定3-0 | 山内基功 | 日本の旗 日本 (松戸平沼) |
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7 | 2005年9月28日 | 勝利 | 4R 1:49 | KO | 竹内俊介 | 日本の旗 日本 (新田) |
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8 | 2005年11月3日 | 勝利 | 6R | 判定2-1 | 加藤善孝 | 日本の旗 日本 (角海老宝石) |
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9 | 2005年12月18日 | 勝利 | 6R | 判定2-0 | 小出大貴 | 日本の旗 日本 (緑) |
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10 | 2006年4月26日 | 勝利 | 3R 2:11 | KO | 酒井義信 | 日本の旗 日本 (鎌ヶ谷) |
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11 | 2006年9月16日 | 敗北 | 8R | 判定0-2 | 加藤善孝 | 日本の旗 日本 (角海老宝石) |
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12 | 2007年4月21日 | 勝利 | 8R 2:11 | TKO | 遠藤智也 | 日本の旗 日本 (ドリーム) |
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13 | 2007年11月14日 | 勝利 | 1R 1:51 | KO | ラモナ・プルバ | インドネシアの旗 インドネシア | |
14 | 2008年6月1日 | 勝利 | 5R 0:05 | TKO | ジャメッド・ジャラランテ | インドネシアの旗 インドネシア | |
15 | 2008年9月20日 | 引分 | 12R | 引分け | ランディ・スイコ | フィリピンの旗 フィリピン | OPBF東洋太平洋ライト級タイトルマッチ |
16 | 2009年1月24日 | 勝利 | 6R 2:25 | TKO | 鎧塚真也 | 日本の旗 日本 (協栄) |
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17 | 2009年5月5日 | 勝利 | 5R 1:40 | KO | ペッチバンプラン・サクチャトリー | タイ王国の旗 タイ | |
18 | 2009年11月21日 | 勝利 | 8R | 判定3-0 | 西原竜二 | 日本の旗 日本 (フジタ) |
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19 | 2010年4月22日 | 勝利 | 10R | 判定2-0 | 近藤明広 | 日本の旗 日本 (日東) |
日本ライト級タイトルマッチ |
20 | 2010年9月4日 | 勝利 | 5R 0:54 | TKO | 大村光矢 | 日本の旗 日本 (三迫) |
日本王座防衛1 |
21 | 2011年1月8日 | 勝利 | 8R 0:55 | TKO | 中森宏 | 日本の旗 日本 (平仲) |
日本王座防衛2 |
22 | 2011年6月13日 | 勝利 | 5R 2:21 | KO | 生田真敬 | 日本の旗 日本 (ワタナベ) |
日本王座防衛3 |
23 | 2011年10月4日 | 勝利 | 12R | 判定2-1 | ジェイ・ソルミアノ | フィリピンの旗 フィリピン | OPBF東洋太平洋ライト級タイトルマッチ |
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人物
生まれは東京都武蔵野市だが[1] 、学生時代は静岡県南伊豆で暮らした。
高校では創設まもない野球部でピッチャーを務めていたが[14] 、その当時WOWOWエキサイトマッチで世界のトップボクサーを見てボクシングを志すようになった[14] 。
高校卒業後19歳で同級生の父親が会長を務める八王子中屋ボクシングジムでボクシングを始めた[14] 。
- ニックネームは童顔の狙撃手 "Babyface(d) Sniper"[15] ( ベビーフェイス・ スナイパー)
およそボクサーとは思えない温和な表情と、ほとんどのKO勝がロングレンジからの一撃の左ストレートだった事からこのニックネームがついた。 但しランディスイコ戦での引き分け以降はパンチを強振せずラウンド数を考え理詰めのボクシングをするようになった。
獲得タイトル
- アマチュア獲得タイトル
- デビュー時の太田区民大会で優勝。
- 2003年5月5日 全日本実業団選手権 ライト・ウェルター級優勝。
- プロ獲得タイトル
- 2005年11月3日 - 第62回東日本ライト級新人王獲得[14]
- 2005年12月18日 - 第52回全日本ライト級新人王獲得[14]
- 2010年4月22日 - 第56代日本ライト級王者(防衛3)2011年8月 3連続TKO防衛後に返上
- 2011年10月4日 - 第44代OPBF東洋太平洋ライト級王座獲得
脚注
- ^ a b ボクシング・マガジン編集部編(日本ボクシングコミッション・日本プロボクシング協会協力 編『日本ボクシング年鑑2005 (Japan Boxing Year Book 2005)』ベースボール・マガジン社、2005年4月30日、58頁。ISBN 978-4-583-03849-0。
- ^ 中日新聞 2010年8月12日
- ^ "荒川 初ダウンも判定で新王者に". スポーツニッポン. (2010年4月23日). http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2010/04/23/kiji/K20100423Z00002220.html 2011年10月8日閲覧。
- ^ "荒川が初防衛!今後の課題は「見栄え」". デイリースポーツ. (2010年9月4日). http://www.daily.co.jp/ring/2010/09/05/0003398755.shtml 2011年10月8日閲覧。
- ^ "荒川V2...ダウン喫すも8回TKO". デイリー・スポーツ. (2011年1月8日). http://www.daily.co.jp/ring/2011/01/09/0003725728.shtml 2011年10月8日閲覧。
- ^ "荒川仁人が本場で感じたこと". アイアンマン増刊『ボクシング・ビート』 (フィットネススポーツ) (7月号): pp. 46–47. (2011年7月15日).
- ^ "荒川TKO勝ちでV3". 日刊スポーツ. (2011年6月14日). http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20110614-790114.html 2011年10月8日閲覧。
- ^ "6月月間賞 MVPは日本ライト級王者の荒川仁人". スポーツ・ニッポン. (2011年6月28日). http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2011/06/28/kiji/K20110628001102970.html 2011年10月8日閲覧。
- ^ "荒川が比国の強豪と空位の東洋ライト級王座決定戦". ボクシングニュース「Box-on!」. (2011年8月14日). http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2011/08/blog-post_14.html 2011年10月8日閲覧。
- ^ Joe Koizumi (2011年10月5日). "Arakawa wins OPBF 135lb belt" (英語). Fightnews.com. 2011年10月8日閲覧。
- ^ Hisao Adachi (2011年10月5日). "Nihito Arakawa, Yoshitaka Kato Win Big at Korakuen Hall" (英語). BoxingScene.com. 2011年10月8日閲覧。
- ^ 時事通信社 (2011年10月4日). "荒川、加藤が新王者=ボクシング". 朝日新聞 . http://www.asahi.com/sports/jiji/JJT201110040116.html 2011年10月8日閲覧。
- ^ "荒川ピンチに耐え幸運の新王者 東洋ライト級王座決定戦". ボクシングニュース「Box-on!」. (2011年10月4日). http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2011/10/blog-post_6805.html 2011年10月8日閲覧。
- ^ a b c d e "WE LOVE FUSSA - HUMAN WATCH 第四回 荒川仁人インタビュー". WE LOVE FUSSA. (2011年10月4日). http://we-love-fussa.com/img/human/nihito.html 2011年10月8日閲覧。
- ^ The Boxing Bulletin (2010年9月6日). "Japanese Scene Weekend Recap Ota Decisions Yuba, Arakawa Stops Omura" (英語). SB Nation. 2011年10月8日閲覧。