斎藤十朗
これはこのページの過去の版です。219.54.56.40 (会話) による 2010年6月14日 (月) 10:56 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版 とは大きく異なる場合があります。
斎藤十朗 さいとう じゅうろう | |
---|---|
生年月日 | (1940年02月05日) 1940年 2月5日(84歳) |
出生地 | 三重県 伊賀市 |
出身校 | 慶應義塾大学 |
前職 |
三井銀行行員 (現・三井住友銀行) |
現職 |
社会福祉法人中央共同募金会会長 全国社会福祉協議会会長 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) 自由民主党 |
親族 | 父・斎藤昇 |
在任期間 | 1995年 8月4日 - 2000年 10月19日 |
天皇 | 今上天皇 |
内閣 | 第3次中曽根内閣 |
在任期間 | 1986年 7月22日 - 1987年 11月6日 |
選挙区 | 三重県選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1972年 10月23日 - 2004年 7月25日 |
テンプレートを表示 |
斎藤 十朗(さいとう じゅうろう、1940年 2月5日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。参議院議員(6期)、厚生大臣(71代)、参議院議長(21・22代)を歴任。
厚生大臣・警察庁長官を務めた斎藤昇は父。妻は表千家家元千宗左の妹。
人物
1958年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。慶應義塾大学卒業後、三井銀行を経て、父・昇の死去に伴う1972年の参議院議員補選に父の後を継いで立候補し初当選。連続当選6回。
自民党内では田中派→竹下派→小渕派→橋本派に所属。第3次中曽根内閣の厚生大臣として初入閣。また、自民党国会対策委員長、自民党参院幹事長、自由民主党参議院議員会長などを歴任。「参議院のプリンス」「ミスター参議院」と呼ばれる。1989年の参院選惨敗によるねじれ国会下で消費税廃止法案の審議で自民党参院幹事長として対応に苦慮していたが、「審議時間は長く取れても、最終的には採決・可決・衆議院送付せざるを得ない」と小沢一郎幹事長ら党執行部に対して話すことになり、消費税廃止法案が参議院本会議で可決された。
1995年、55歳の若さで第21代参議院議長に就任、慣例に従い自由民主党の党籍を離脱。1998年の改選時には異例の議長再任を果たした。この背景には斎藤の仲人をつとめた竹下登元首相の後押しもあった。議長として参議院改革に尽力し、押しボタン式投票を導入した。1999年 8月12日の通信傍受法など「組織犯罪対策三法」採決では、野党が牛歩戦術を取った際、斎藤は議長職権で投票時間を制限して、牛歩を封じた。
2000年に選挙制度改革をめぐり、参議院の特別委員会において委員会への名簿の提出を拒否すると、斎藤は議長権限で野党の委員を選出した。10月19日、選挙制度改革をめぐる与野党調停に失敗し、責任をとる形で辞任。その後もしばらくの間無所属のままでいたが、2001年 4月2日、自民党に復党。三重県連会長となる。2004年、政界引退。第20回参議院議員通常選挙には津田健児が代わって立候補したが、民主党の芝博一に敗れた。3年前の第19回参議院議員通常選挙でも自民党候補は敗れており、これで自民党は参議院三重県選挙区での議席を失った。政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。
議員引退後は、全国社会福祉協議会、中央共同募金会、全国老人クラブ連合会の各会長を務めている。
議会 | ||
---|---|---|
先代 原文兵衛 |
日本の旗 参議院議長 第21・22代:1995年 - 2000年 |
次代 井上裕 |
公職 | ||
先代 今井勇 |
日本の旗 厚生大臣 第67代:1986年 - 1987年 |
次代 藤本孝雄 |
党職 | ||
先代 原文兵衛 |
自由民主党参議院議員会長 第18代 : 1992年 - 1995年 |
次代 遠藤要 |
再編前 |
| ||||
---|---|---|---|---|---|
厚生労働大臣 | |||||
2001年の省庁再編により厚生大臣と労働大臣は統合された。 カテゴリ Category:日本の厚生労働大臣・Category:日本の厚生大臣・Category:日本の労働大臣 |