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神田神保町

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曖昧さ回避 この項目では、書店街として著名な東京の(神田)神保町について説明しています。そのほかの神保町については「神保町」をご覧ください。
日本 > 東京都 > 千代田区 > 神田神保町

神田神保町(かんだじんぼうちょう)は、東京都 千代田区地名で、旧神田区地域内である。

郵便番号 101-0051

概要

中心部には東西に靖国通りが、南北に白山通りが敷設されており、この交差地点が神保町交差点である。多くの書店出版社、出版問屋の取次店が所在し、世界最大級の古書店街として知られている。中には解体新書の原本を売っている店も存在するなど文化的、歴史的に価値の高いことから太平洋戦争中、アメリカ軍が空爆禁止地区の一つとしていた。また、スポーツ用品店や登山用品店も多く立ち並ぶ。

神保町とその周辺には大学専門学校が集まっているので、学生街としての一面を持つ。そのため書籍のほか、マニアックな音楽媒体やアイドル関連の物品を売るところが充実している。また、安価な飲食店が多く立ち並んでいる。

沿革

「神保町」の名は、江戸時代旗本神保長治に由来する。彼の邸宅は現在の神田神保町二丁目にあり、その前面を通る道は「神保小路」と呼ばれていた。

1913年(大正2年)、当時小川町を広域地名としていたこの辺り一帯が、大火で焼失した。元神田女学校教員岩波茂雄が焼け跡に古書店を開き、同店内で夏目漱石の作品や『哲学叢書』の出版販売も行って大成功を収めた[1]

1921年(大正10年)、神田区駿河台に芸術教育で名高い「文化学院」が開校され、音楽、美術、舞踊など芸術関係書が濃紺くるみの学術書、けばけばしい猥雑本とともに書店の軒先に彩りを添えるようになり、「ない本はない」ありさまとなった。震災後、復興事業として一大舗装道路「大正通り」(現・靖国通り)が完成すると、交差点名として「神保町」が登場、昭和期には今日と変わらぬ景観を呈した。戦時中には、アメリカ軍が「神保町の古書が焼失することは、文化的に極めて大きな損失である」として、この一帯のみ空襲を避けたという都市伝説もある。

1987年バブル期の頃は、地価高騰の中で都心にも関わらず地価に割安感があったため、神保町の各店舗が地上げ屋の格好のターゲットとなり、放火などの事件も発生する。しかし各店舗が一致団結してこれに抵抗したため、結果的に大多数の店舗がこの地に残る事になった。

書店街・古書店街

古書店
神田古書店街」も参照

神田古本祭りや神保町ブックフェスティバル等、に関するイベントも毎年行われている世界最大級の書店街である。特に古書店が多く、古書店街としても世界最大級である。神保町最大の書店は三省堂書店神田本店で、神保町のランドマーク的存在として親しまれている。神保町は三省堂書店創業の地でもある。その他の大規模店舗としては、書籍チェーンを展開する書泉も所在するが、大部分の店舗は、専門性のある著名な店舗であっても、小規模な書店・古書店である。

古書店の多くは靖国通り沿いにあり、それらの多くは通りの南側に、すなわち北向きに建っている。これは、日光が当たって古書が傷むのを避けるためといわれている。

靖国通り開通以前は神保町すずらん通りがメインストリートであったが、すずらん通り沿いの古書店もほぼ北向きに立っている。三省堂書店もかつてはすずらん通り側(「けやき広場」のある方)が正面であった。

飲食店街

タンゴがかかる老舗喫茶店(2008年1月)
裏通りにはうまくて安く量も多いと評判の店も(2006年11月)

飲食店が充実しており、カレー専門店が多いことから「カレーの街」と知られている[2] 。カレー店が多いのは、カレーならば本を読みながら片手で食べられるためである。他にも天麩羅、麺類、洋食、中華など、手軽な値段で食べられる飲食店が豊富にある。クラシカルな喫茶店が多いのも特徴で、「文豪が通った」とされるもある。近隣出版社が多いため、各社の編集者らが打ち合わせや雑談をしている姿は日常風景となっている。

周辺地域

神保町近辺は複数の大学・高等学校や専門学校、予備校が集まっている学生街でもある。歩いて行ける範囲には、日本大学(経済学部・法学部・理工学部・歯学部)、専修大学明治大学法政大学東京電機大学東京医科歯科大学順天堂大学共立女子大学、東京YWCA専門学校、駿台大原簿記学校TAC(学校法人ではなく株式会社)などがある。東京商科大学國學院、また昭和50年代までは中央大学もかつてはこの地にあり、日本大学、専修大学、明治大学、東京電機大学、中央大学は神田5大学と呼ばれた。しかし関東大震災や戦災・学生運動・校地拡大等の為次々と郊外に移転していった。

また、靖国通りと明大通りの交わる駿河台下交差点を境に、楽器店街の御茶ノ水スポーツ用品店街の神田小川町に隣接しており、商業地域として賑わっている(小川町を東に抜ければ秋葉原に至るため、足を伸ばす事も可能)。

神保町地区は「裏路地文化」が根付く下町地区でもあると各種雑誌などに紹介されており、メインストリートから脇道に入ると、大都心としての性格と日常生活が融合した独特の雰囲気が残っている。しかし近年は大学校舎の高層化(明治・法政など)や、再開発による高層ビルマンションの建設で街並みも変貌を遂げつつある。小学館集英社の本社がある一ツ橋に隣接しており、神保町内にも多数の出版社が所在している。なお、ポケモンハム太郎のライセンス管理で有名な小学館プロダクションはここ、神田神保町にある。

かつては映画館が多数存在したが近年は岩波ホールのみになっていた。2007年7月7日に神保町シアタービルがオープンし映画用の神保町シアター吉本興業運営の神保町花月が入居した。ちなみに神保町には一時吉本興業東京本社が存在した。

その他、救世軍日本本営も存在している(靖国通りと白山通りの交差点の近くにある大きなビルが救世軍日本本営)。


奇数番地と偶数番地

神田神保町の現在の町域は、1934年1月1日の区画整理により誕生した。この区画整理は現在の靖国通りの拡幅工事と並行して行われ、神田神保町の地番の数字を新たに割り当てる際、靖国通りより南では奇数を(靖国通り側から順に)割り当てた(北では偶数を同様に割り当てた)。

この地区は現在でも住居表示が行われておらず、依然として上記の地番によって住所を表現している。このため、住所を見るだけで靖国通りの南北どちらに位置するのか、靖国通りからどれくらい離れているのかを直感的に把握できる反面、上記の地番割り当ての法則を知らないバイク便などが同じところをぐるぐる回る光景も見られることがある。

住居表示の街区表示板と同機能のものを、町会が独自に設置している地区もある。

再開発事業・ジェイシティ東京

神田神保町は周辺地区と同様、いくつもの道路により細かく分断された街区上に古くからの建物が密集しているため、防災性と「土地の高度利用」が課題として挙げられている。この課題への克服と、土地価格高騰による人口流出の傾向に歯止めをかけるため、千代田区は1990年に再開発基本計画を作成し、この地区を「住み続けられる街」のモデル地区にすることを具体化した。その後この計画は「神保町一丁目南部地区第一種市街地再開発事業」として1994年2月に都市計画決定され、2000年に権利変換を終えて工事が開始され幾つかの震災復興期の建物が失われた。

再開発事業の内容は、神田神保町一丁目の43番地から71番地(偶数番地を除く)と33番地の計16街区2.5ヘクタールを区画整理により3街区に統合し、総延床面積14万2000平方メートルの複合施設(商業施設棟と居住棟)を建設するというものであり、2003年11月をもって事業は完了した。総事業費はおよそ645億円(そのうち約8パーセントは千代田区の補助金を利用)。事業主体は地権者およそ130人からなる神保町一丁目南部地区市街地再開発組合で、三井不動産が「プロジェクトマネジメント業務」(総合企画)を担当した(なお、地区の防災性を高めるため、周辺の白山通りの拡幅と広場の設置が同時に行われた)。

この複合施設はジェイシティ東京と呼ばれ[3] 、再開発計画における北街区(現101番地、旧33番地)には神保町101ビルが、西街区(現103番地、旧49・51・53・55・69・71番地)には東京パークタワーが、東街区(現105番地、旧43〜47・57〜67の奇数番地)には神保町三井ビルディングが建設された。

神保町101ビル

  • 延床面積:4,517平方メートル
  • 地上:12階
  • 地下:なし
  • 高さ:50.60メートル
  • 鉄骨造、コンクリート充填鋼管柱
  • 文化産業信用組合など

東京パークタワー

  • 延床面積:48,243平方メートル
  • 地上:29階
  • 地下:3階
  • 高さ:104.79メートル
  • 高層鉄筋コンクリート造、一部は鉄骨鉄筋コンクリート造
  • 流通科学大学東京オフィス、住宅など

神保町三井ビルディング

再開発事業の沿革

  • 1994年2月:都市計画決定(東京都告示第84号、この決定内容はその後2年ごとに計2回修正)、東京都住宅マスタープランで「住宅供給型再開発促進ゾーン」に指定
  • 1995年10月:事業主体・神保町一丁目南部地区市街地再開発組合が設立される
  • 1997年3月:権利変換計画の認可
  • 2000年2月:権利変換完了
  • 2000年10月:工事着工
  • 2001年:一般販売した251戸が即日完売する
  • 2002年1月:神保町101ビル竣工
  • 2003年3月:神保町三井ビルディング・東京パークタワー竣工
  • 2003年9月:神保町一丁目南部地区市街地再開発組合が解散

交通

鉄道
バス
道路

同町を舞台・背景とした作品

漫画
小説
TVアニメ
ドラマ

補足

  1. ^ 岩波の成功により教養人・大学生が神保町に足を運ぶようになり、以後2匹目のどじょうを狙うべく一誠堂古書店、東京堂等の店舗新設が見られ、また読書の場を供すべくカフェを開業する者が相次いだ。
  2. ^ ナビブラ神保町: 「神保町カレーの実力をチェック!」[1](執筆: 小野員裕)
  3. ^ 数字は『都市計画マスタープラン 地域別まちづくりプラン』千代田区役所より。

関連項目

外部リンク

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