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オードリー (お笑いコンビ)

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オードリー
メンバー 春日俊彰
若林正恭
結成年 2000年
事務所 ケイダッシュステージ
活動時期 2000年-現在
出身 現事務所直入
出会い 日本大学第二中学校
旧コンビ名 ナイスミドル
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才
ネタ作成者 若林正恭
現在の代表番組 スクール革命!
キャンパスナイトフジ
オードリーのシャンプーおじさんなど
同期 NON STYLE
平成ノブシコブシ
ダイアンなど
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
2008年 M-1グランプリ2位
2009年 新春お笑い大賞2009!!ニューウェーブ大賞 1位
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オードリーは若林正恭と春日俊彰によるお笑いコンビ。所属事務所ケイダッシュステージ2000年 4月結成。

キャッチコピーは『高速の温度差』(エンタの神様)、『心地よいズレ漫才』(爆笑レッドカーペット)。

メンバー

東京都 中央区出身。ツッコミ(27歳まではボケだった)・ネタ作り担当。血液型はO型。身長169cm、体重62kg。
ドSである。
埼玉県 所沢市出身。ボケ担当(27歳まではツッコミだった)。血液型はB型。身長176cm、体重84kg。
ドMである。
ネタ中にアゴがはずれたことがある。

略歴

  • 二人共に名門日本大学第二中学校・高等学校の出身。中学2年生の時に二人はクラスメイトとなる。若林の前の席が春日だった。1994年に日大二高に進学、ここでもまたクラスメイトになり、たまたま同じアメリカンフットボール部に入部。そのため二人とも、今でもアメリカンフットボールが特技である(ポジションは若林がランニングバック、春日がディフェンスエンド)。
  • 1997年、高校卒業後、春日は日本大学 商学部、若林は東洋大学 第二部 社会学部にそれぞれ進学、卒業している。
  • 若林は高校生時代からお笑いをやりたいと思うようになる。当時アメリカンフットボールで関東代表に選ばれていた春日を見て「春日がいい」と思い、高校3年生の時から誘うようになる。大学に入学した後も春日を誘い続けていたという[1]
  • 高校時代、春日と若林ともう一人の親友でいつも3人でつるんでいたため、若林はこのトリオでお笑いをしたいと思っていた。しかしその親友が家庭の事情でお笑いの道に入ることが難しかったので、春日とのコンビとなった。
  • 若林が春日を誘った理由としては、『春日は意見を持たないので、意見の衝突もする事が無く、何となく言うことを聞いてくれそうだったから』との事だが、実際には言うことを聞かず、余計なアドリブばかり入れてくる為、誘ったことを少し後悔している。上手くネタに組み込まれることもあるため、割り切っている。
  • 2000年4月、事務所主催のライブに「若林春日」で参加しようとするものの、「コンビ名がないと参加できない」と言われ、春日がその場で思いついた「ナイスミドル」というコンビ名でのデビューを余儀なくされる。
  • 2005年4月、コンビ名を「オードリー」に改名。これは、事務所社長から「うにいくら」、「オードリー」の2択を迫られ、その場が寿司屋であったこともあり、「うにいくら」は社長の思いつきと判断。そのため「オードリー」に決定した。社長は、「華が無い二人なので、華のあるオードリー・ヘプバーンから採った」としている。
  • 2006年10月、新宿のシアターモリエールにて初の単独ライブとなる「シャンプーおじさん」を行う。
  • 2008年12月21日、M-1グランプリ2008 2位(決勝1回戦のネタでは1位)。
  • 2009年1月1日、フジテレビ「新春お笑い大賞2009!!」でニューウェーブ大賞 1位(視聴者による電話投票で212,036票中76,009票獲得)
  • 2009年、『日経エンタテインメント!』(7月号)の「好きな芸人・嫌いな芸人ランキング」の好きな芸人ランキングで初登場2位を獲得。

芸風

漫才
  • 主に「ズレ漫才」と呼ばれる漫才を行う(「ズレ漫才」という名称は若林による命名)。話を進めようとする若林に対し、春日が意味不明なツッコミやタイミングの悪い発言を行うのを若林がたしなめたり、逆に若林が突っ込んだりする為、話が殆ど進まない内にネタが終わる。
  • 基本的に、春日は意味不明なツッコミをしながら若林の背中を叩く。間髪入れずに若林が春日の左額を叩きながら逆ツッコミをする。これをスピーディーにテンポ良く続けるのが彼らの漫才の持ち味となっている。
  • 漫才ネタを始める際、若林はすぐにセンターマイクに着く。春日は胸を張ってのっしのっしとセンターマイクに歩み寄り、少し遅れて到達してから、客に「みなさん、本物の春日ですよ」「みなさん、夢でお会いして以来ですね」などの自信過剰な挨拶を行うのが通例。ネタの終わりには、若林は普通にお辞儀し、春日は左手を挙げ「ばぁい」と言って締める。一般的な締め方をしていたこともあった。
  • 漫才の途中に若林が春日に「気持ち悪い」や「お前と漫才なんかやってらんねーよ」と発言したときに春日が「お前それ本気で言ってるのか?」と言い、「いや、本気で言ったらお前と一緒に何年も漫才やってねーだろ」と若林が発言した後「ヘヘヘヘヘッ!」と互いに笑い合うなど、コンビ愛を見せるようなネタを行うのも定番であり、 同時に春日が笑わなかったり相手のノリに合わせないこともネタの一つである。
スタイル確立への道
当初は爆笑問題のようなスタイルの漫才を目指し、若林がボケ、春日がツッコミだった(『わかを』『味覚』などのネタがある)。しかし春日は「自分では出来ているつもりだった」[2] がツッコミ間違いが多く、何度やっても上手くいかなかった。自分達のトークライブのビデオを見ていた時、ツッコミ間違いを数えてみたら2時間で28個もあったという。
しばらくは伸び悩む時期が続き、同期の中でも特に落ちこぼれてしまった。若林は解散や芸人への道を諦めることを何度も考えたという。
6年目に『エンタの神様』の若手オーディションにおいて、彼らのネタを見た構成作家に「どう見ても春日はツッコミとしてポンコツでまったく伸び代がない」と指摘されたことをきっかけに、春日の間の悪いツッコミに対して若林が逆にツッコミをする現在の形にスタイルを変更した。
新しいスタイルでもオーディションには落ち続け、事務所と作家に否定され続けたが、あるライブでネタを見た笑福亭鶴光に初めて賞賛された。また、ラ・ママで行われた渡辺正行主催のオーディションにて、渡辺本人から「これはM-1の決勝に行ける漫才だよ」と絶賛され、トイ・ストーリーのバズ・ライトイヤーが春日のキャラ作りの参考になるから見るようにとのアドバイスを受けた。若林は帰り道に原付を運転しながら泣いたという。
以来、2回戦落ちの常連であったM-1、まったくオンエアされることのなかった『爆笑オンエアバトル』でも結果を残せるようになった。
若林は上記のような経緯を経て辿り着いた現在の形を自嘲的に「正統派を目指して挫折したクズ2人」[3] というような形で表現することがある。
漫才の基本的な形を(意図的に)崩しているため、関西のお笑いファンなど一部からの評価は分かれている[4]
ネタ作成
ネタは若林が作っているが、春日も参加している。春日と合わせる時には、レコーダーを置いてまず若林が一人で喋り、春日がそれに入る、という事を何度も繰り返し、まとめている。台本にして演技指導をしていくと春日の頭がパンクしてしまう為、レコーダーが必要不可欠であり、他の方法が出来ないとの事。
具体的には若林が普通の話をしている所に、春日がアドリブで入り、それをネタとしてまとめている。若林「ネタの出来は春日次第」春日「いや、作業も責任も半々です!」と語っている。
若林は春日の宣材写真をおいてネタを作ることもある。(若林自身がやりたいと思ったネタでも、春日ができないため、春日のできることを考えて作っている)
その他
  • ダイノジもこのようなネタを演じることがある。
  • ブレイク当初、世間では「ダメつっこみ漫才」というネーミングで紹介されていたが、あまり的を射ていないと感じていた若林は「ズレ漫才」と自負している。以降テレビ番組では「ズレ漫才」と紹介されることが多くなった。
  • 二人が学生時代、アメリカンフットボール部に所属していたこともあり、アメフトに関連したショートコントなどもやっていた。また春日の決め台詞である「トゥース!」という言葉は、もともとアメフトでハドル(作戦会議)前に集合の合図として出す掛け声である。かつては若林もネタとして使用していたことがある。
  • 春日は天然なところがあり、事務所の先輩である原口あきまさは「お前(若林)がきちんとフォローしなきゃダメだぞ!!」と述べている。原口によると以前の単独ライブのコーナー(春日とのファミレスのコント)で春日が全然ツッコめず、そのコーナーが潰れかけ、その時に「春日はツッコミじゃねぇ」と判ったという。最近の人気ぶりについて「お前ら、本当に(ボケとツッコミ)入れ替えて良かったなぁ」と述べた。若林は春日について「大事な場面で一番やっちゃいけない事をしてしまう」、本人は自らを「予想もしない所から、とんでもない球を投げる」と言っている[5]
  • ものまね芸もあり、若林が「しろまるしろまるをする藤岡弘、と」の後、春日が「中尾彬」とネタ振りをしてものまねをする。(例:若林「覗きをする藤岡弘、と」・春日「中尾彬」・若林「(藤岡のまねで)オイオイオイオイ」・春日「(中尾のまねで)丸見えだねぇ」)
  • ザ・イロモネアでは、「オードリーのノンフィクションショートコント」というコントをやっていた事がある。
  • 春日が所沢出身なので西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)ファンと公言している。春日の少年時代はちょうど西武黄金期と重なるので周りの友人たちほとんどがが西武ファンだったと話している。

エピソード

  • ショーパブなどでの芸歴7年目になってもオーディションも受からずテレビにも一切出れずに絶望した若林は、「もう辞めよう」と春日に話していた。ある日、たまらなくなった若林が稽古場から飛び出したが、春日が泣きながら原付で追いかけ、1000円を渡して「すみません、これでお笑い続けてください」と言い、その時は収まったという。その後も何度も若林が辞めたいと伝えたことがあったが、その度に楽観主義の春日は「いつかは世間が振り向く」などといって引き止めていた。
  • 2004年当時25才の若林が、とんねるずのみなさんのおかげでした博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜に個人名で出演、矢沢永吉のモノマネ(武道館でのリハーサル風景「丸いねぇ〜」)を披露した。
  • 2007年の春日のK-1出場は、売れない芸人の売名行為と言われ、批判的な意見が多かった。若林は、そんなことを言われるくらいならこのままでいい、K-1は辞めてほしいと伝えたが春日は断った。試合結果は、終始圧倒され完敗し、鼓膜を破られる怪我を負った。のちに若林は自身のブログで「おそらく春日さんは、昨日と同じような今日が何年も続いてその流れを変えるような挑戦をしたかったんですよ」と語っている。[6]
  • M-1グランプリ2008で敗者復活枠から準優勝となったが、2009年7月16日のダウンタウンDXで春日は準決勝敗退後飲みに行った際にダイアンかナイツが優勝すると予想していた。
  • ある時重要なオーディションに春日が遅刻し、若林が問い詰めたところ春日が「申し訳ない」としか言わない事に若林が切れ、「もう解散だ!」と言って原付で飛び出したところ、2メートル後ろを春日がずっとついてきた。原付をとめて「言いたいことがあるなら言え」と若林が言ったところ、春日は「本当に春日と解散するんですか」と言い、感極まった若林は春日を殴って「お前とやりてぇにきまってんだろ!」と言うと春日が泣きながら「ありがた〜い!」と言った。
  • 別の事務所であるが、同期にNON STYLE平成ノブシコブシなどいる。NON STYLEとはM-1グランプリ2008でのライバル同士、平成ノブシコブシは2009年2月25日のはねるのトびらのスターだらけの大運動会で共演した。

出演

テレビ

レギュラー

過去の主な出演番組

主な出演番組の一覧
日本テレビ
フジテレビ
TBSテレビ
テレビ朝日
その他

インターネットテレビ

備考

  • 地上波への進出が増え、番組を休みがちである。その場合は事務所の先輩にあたる大輪教授などが代打で登場する。

ラジオ

DVD

2005年5月と7月のケイダッシュのライブを収録
  • 爆笑解禁 ケイダッシュライブ Vol.2(ポニーキャニオン、2006年6月21日)
2006年2月と4月のケイダッシュライブを収録
  • オードリー DVD(CCRE、2009年7月22日)

PV

声優

映画

雑誌

  • お笑いポポロ2008年8月号vol.24、2008年10月増刊号、2008年11月号vol.25、2009年2月号vol.26

CM

外部リンク

脚注

  1. ^ 参考:麻布台出版社『お笑いポポロ』2008年8月号の記事
  2. ^ おしゃれイズム』出演時のコメント。
  3. ^ オードリー若林の「どろだんご日記」2008年12月03日
  4. ^ 行列のできる法律相談所ゲスト出演時の島田紳助の発言より
  5. ^ Gyaoジョッキー「告っちゃ!」♯19内で述べている
  6. ^ オードリー若林の「どろだんご日記」2007年09月03日
  7. ^ オードリー初声優 アニメで「トゥース!」 サンケイスポーツ 2009年6月16日
M-1グランプリ2008 ファイナリスト
優勝
最終決戦進出
1stラウンド敗退

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