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ノート:原子

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これはこのページの過去の版です。IP WATCHER (会話 | 投稿記録) による 2008年7月16日 (水) 04:47 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎記述の除去についての説明 )であり、現在の版 とは大きく異なる場合があります。

IP WATCHER (会話 | 投稿記録)による2008年7月16日 (水) 04:47時点の版 (→‎記述の除去についての説明 )

原子の数約1000種類と言うのはどの範囲で数えたものでしょうか?また無次元数であることを表す表現として「単位は無い」という表現はあまり正確では無い気がするのですが何かより適切な表現は無いでしょうか?yhr 2005年2月18日 (金) 21:29 (UTC) [返信 ]

1000種類というのは、不安定核種までを含めた数を記述しました。が,改めて数えてみると2000〜3000ありますね。これは失礼しました。
原子のような項目は化学に明るくない読者も目にするだろうと思い,「単位を持たない」と多少乱暴な表現になってしまいました。「比率を表す量であるため、原子量には単位を付けない。このような数を無次元数と呼ぶ。」ではいかがでしょうか。Hareno 2005年2月18日 (金) 21:51 (UTC) [返信 ]
早速のお返事ありがとうございます。不安定核種を含めるということだとここの記述によれば約6000もあるらしいです。たぶん超重核の方向でのリミットがあまりきちんと決まらないのでこのように大きく異なった数値が出てくるのかと思います。無次元数の説明はわかりやすいと思います。あえて難癖をつけるなら無次元数事態の説明は次元の方で行ったほうがすっきりするかなという気がします。yhr 2005年2月18日 (金) 23:00 (UTC) [返信 ]

不正確な説明

「原子(げんし、Atom)は物質の最小構成単位である粒子。」という冒頭の説明は問題がありませんか。--エンチャンテッド・ボイセイ 2007年9月16日 (日) 11:50 (UTC) [返信 ]

何処にどのような問題を感じたのか書いていただけると、話が早いのではないでしょうか。yhr 2007年9月16日 (日) 13:30 (UTC) [返信 ]

エンチャンテッド・ボイセイさんの指摘は適切です。たしかに冒頭の説明文は根本的に間違っていましたので、修正しておきました。--VanDrake 2008年7月14日 (月) 16:42 (UTC) [返信 ]

記述の除去についての説明

記述を除去したところ「いたずらか?」との要約とともにリバートされてしまったため、こちらに見解を述べます。
まず、ヘラバスの論文云々の脚注ですが、蛇足だと判断しました。ここは「原子」というごく基本的な項目なのですから、論文が採用されなかった経緯について詳しく説明する必要はないと考えます。原子の存在に基礎を置く理論は当時の科学者のコミュニティで受け入れられなかった、という事実を手短に記せば、それで足りることです。「今日では、物理学者らが何かしら風変わりな微小構成単位を含んだ仮説を提唱しても、さほど変人だとは思われないが、当時はそうではなかった。つい100年ほど前は、大半の科学者は、科学者の仕事というのは、あくまで直接観察される現象を量的に測定し、それを体系化することであり、科学というのは科学法則を見つけることであり、観測される現象の定量的な関係を記述することだ、としか思っていなかったのである」という記述にいたっては、科学史的には興味深い話ですが、「原子」という項目にはほとんど関係のない話です。
次に、「ごく少数の科学者が、表面的に見えるものの背後の世界、[[オカルト|眼には見えず、触れることもできない世界]]に踏み込もうとしはじめていた。[[ルートヴィヒ・ボルツマン]]はその一人だった」ですが、これはよくわからないパイプリンクでボルツマンを貶めていることが百科事典の項目として不適当です。
最後に、マッハの宣言についてですが、マッハは極端に実証主義的な人だったということはよく知られており、この宣言についてもマッハのそのような哲学的態度の表れと考えられます。「プラハ大学で長年物理学教授をしていた」などとつけることで当時の科学者を代表させようとしているようですが、それはちょっと無理があるでしょう。マッハの項目に書くならともかく、原子の項目に書くのは不適当だと判断しました。
以上です。--122.29.73.134 2008年7月16日 (水) 03:13 (UTC) [返信 ]


・ヘラバスの論文、100年ほど前の科学者の認識について。
→いずれも本文の流れを極端に乱すのではなく脚注に記述されているので目くじらを立てる必要はない。脚注は読みたくない人は読まないで済ませられる。おまけに実際かなり有用な情報が入っている。削除は却下。
・ボルツマンから"眼には見えず、触れることもできない世界"へのリンク。
→出典におおよそそのような記述があれば、それは活かすべき。また、このパイプリングは必ずしも貶めていることにはならないだろう。そう思うとしたらそれはIP君の先入観だろう。リンク先に科学史的に見て興味深い記述もある。ここにリンクしていることがむしろ名誉とすら理解できる。
・マッハの位置づけ。
→出典においてここに書かれているような位置づけで書かれているとすれば、それをそのまま活かすべきなのであって、自分の主観と合わないからと言って改変することのほうがむしろ独自の研究ということになる。自分の見解が違うなら、その見解を述べているまともな出典を示しつつその記述を併記しなさい。あくまで併記だ。まともな出典が示されて投稿された文章に対して"自分の意見に合わないから削除"というのは許されない。 --IP WATCHER 2008年7月16日 (水) 03:58 (UTC) [返信 ]
脚注について。Help:脚注によると、脚注は「短い補足コメント」を記述するための方法です。あれだけの長大なコメントを格納するのはあまり好ましくなく、記述するためには本文中に組み込む必要があると考えます。しかし、この本文には居場所がありません。なぜならば、この項目はあくまで「原子」だからです。情報の有用性は認めますが、「原子」という項目に書き込むのは蛇足です。有用な情報を適切な他の項目に書いて、リンクするのがスマートだと思います。もしくは、分量をもっとコンパクトに縮めるというのも考えられます。
パイプリンクについて。なるほど必ずしも貶めているとは限らないかもしれません。しかし、どっちにしろパイプの使い方が不適切だと思います。そのリンク文字からどこへ飛ばされるのか一見よくわからない貼り方をするのは好ましくないでしょう。「リンク先に〜理解できる」のご指摘は不勉強なのか何をおっしゃっているのかよくわかりません。詳しくご説明いただきたいです。
最後にマッハの件ですが、マッハがそういうことを言っているという出典があるということと、その発言が特筆すべきものであるかどうかというのとは観点が違います。出典がある記述はなんでもかんでも書いてよいというわけではないのです。記述内容に出典は必要ですが、記述するか否かという判断には出典は不要です。それは、執筆者同士の議論によってなされるべきことだと考えます。私は、原子という一般的な項目において記述するには特殊すぎる内容だと判断しました。--122.29.73.134 2008年7月16日 (水) 04:26 (UTC) [返信 ]
ヘラパスやウォーターソンのくだりも王立協会の科学者らの対応もマッハのくだりも削除するというのでは、原子発見までの詳しい経緯に関する情報がまったくこの項から脱落してしまう。いったい原子発見に関する経緯を原子の項に載せずして、他のどの項に載せるというのだ?もちろん原子の項に載せるべきに決まっている。IP君の意見は却下。
それと言っておくが、ウィキペディアにおける執筆者とはアカウントを取得しまともな出典を示しつつ建設的な投稿をしている人を言う。IP君はそうではない。IP君は個々の論理はともかくとしても全体的に判断して自分が気に入らない記述を感情的に削除をしていると判断される。つまりIP君は荒らしと見なされても仕方ない。--IP WATCHER 2008年7月16日 (水) 04:39 (UTC) [返信 ]

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