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新自由主義

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新自由主義(しんじゆうしゅぎ、英:neoliberalism、ネオリベラリズム)とは、市場原理主義に基づく、均衡財政国家による福祉小さな政府(公共サービスの縮小など)、公営企業の民営化、経済の対外開放、規制緩和による競争促進、情報公開などを特徴とする経済思想

国家による富の再分配を主張する自由主義(英:liberalism、リベラリズム)、社会民主主義(英:Democratic Socialism)、国家が資本主義経済を直接に管理する開発主義国家の経済政策などと対立し、計画経済で企業と個人の全てが国家の管理下である共産主義とは極対軸の経済思想である。

資金・財・労働力・技術など移動を自由化を前提するグローバル資本主義は、新自由主義を一国をこえて世界まで広げようとするものといってよい。

概 説

新古典派経済学は、均質で原子的な経済人のおのおのが合理的判断と完全な情報に基づき貨幣を媒介として市場で利己的に競争しあうことにより、見えざる手による均衡が訪れる、と説く。新自由主義の政府は、新古典派経済学の経済モデルを規範ととらえる市場原理主義に基づき、構造改革(structural adjustment)の政策を実行し、それにより整えられた舞台の上で、経済主体を自由に競争させようとする。

これらの経済政策を個々にとりだせば、それは決して新自由主義に固有のものではない。[1] ネオリベラリズムが19世紀的な自由主義時代の資本主義と根本的に異なるのは、かかる構造改革が政府の手で意識的にパッケージとして実行され、それを正統化する市場原理主義を伴っていることである。

すなわち、新自由主義では、利己的かつ合理的に行動して自己利益の極大化を図り、失敗しても自己責任を受け入れる原子的個人という方法論的な類型が、同時に価値規範として捉えられている。

さらに、見えざる手の作用により均衡が訪れるという新古典派経済学の命題は、構造改革の政策を実施し各人がそこで原理的な市場主体として合理的に行動するならば、経済が成長し、すべての経済主体に係る利潤、賃金などの経済変数はいずれ収斂し、すべての人々が富裕の平等化を享受できるという予言も伴っている。

このように、新自由主義は、1基底に新古典派経済学を置き、2その抽象的諸命題・前提を規範ととらえて現実に実現しようとする市場原理主義に裏付けられている。その上に展開されるのが、3ネオリベラリズムの、経済・社会政策個人の人間類型の改造・富裕と平等化という理想社会への予言である。かかる三重の階層からなる総体として、ネオリベラリズムは、フォーディズムに次ぐ現代資本主義の一段階を構成する。[2]

歴 史

第二次世界大戦後、1970年代頃まで、先進諸国の経済政策はフォーディズム とも呼ばれるケインジアンが主流であった。これは、伝統的な自由放任主義に内在する市場の失敗と呼ばれる欠陥が世界恐慌を引き起こしたとする認識のもと、公共事業による景気の調整、主要産業の国家によるコントロールなどを推進し、国家が経済に積極的に介入して、テイラー主義の流れ作業による大量生産を高賃金による大量消費でささえる資本蓄積過程を推進するとともに、潤沢な財政支出により年金・失業保険・医療保険等の社会保障の拡充、個人の社会権(実質的な自由)などの保障を行って、人々を資本主義のなかに主体的に統合し、資本主義経済を安定化させる経済・社会レジームであった。

このような、大きな政府福祉国家と呼ばれるレジームは、1970年代に入り石油危機に陥ると、政府の財政危機を招き、マネタリストサプライサイダー(供給重視の経済学)からの批判にさらされる。当時、英国英国病と揶揄された慢性的な不況に陥って財政赤字が拡大し、米国でもスタグフレーションが進行し失業率が増大した。こうした行き詰まりの状況を生み出した責任が、国家による経済への恣意的な介入と政府部門の肥大化にあるという主張である。また、大量生産は、過剰生産・過剰蓄積の壁にぶつかり、成長は鈍化して、労働者保護や高賃金を戦略的手段に用いて資本主義の安定を図ることが困難となった。

こうして1980年代に登場したのが、新自由主義である(ハイエクの新自由主義論:1986年)。新自由主義は、まず米・英とその覇権下にある国々に広まった。すなわち、英国マーガレット・サッチャー政権によるサッチャリズム米国ロナルド・レーガン政権によるレーガノミクスと呼ばれる経済政策である。サッチャー政権は、電話、石炭、航空などの各種国営企業の民営化労働法制に至るまでの規制緩和社会保障制度の見直し、金融ビッグバンなどを実施。労働者を擁護する多くの制度・思想を一掃した。レーガン政権も規制緩和や大幅な減税を実施し、民間経済の活性化を図った。また同時期、日本 においても中曽根康弘政権によって電話、鉄道などの民営化が始まった。

さらに、ビル・クリントン政権の経済政策、いわゆるワシントン・コンセンサス により、新自由主義は、IMF世界銀行を通じて世界中に広められ、その政策パッケージを各国に受け入れさせることにより、アングロサクソン諸国の資本は、ますます世界をまたにかけて自由に移動する自由を手に入れた。1997年にアジア経済危機の打撃を受けた韓国では、新自由主義政策により、大きな財閥企業や銀行が米国資本に買収された。日本の小泉純一郎政権、それを引き継いだ安倍晋三政権の政策も、新自由主義の典型である。

こうしたなか、中国 のように、ソ連・東欧の社会主義経済崩壊直後にとられた新自由主義的経済改革の手痛い失敗を教訓として、共産党 独裁の国家管理のもとで、マクロ経済の多くの部面を国家管理の下に置きつつ、マイルドに市場経済を導入している国もある。中国では、外国為替・金融政策では厳しい国家管理をしき、国営企業の比重がいぜん高く、土地が国有で、戸籍制度のため国内労働力移動は完全に自由でなく、インターネットなどによる情報公開は規制され、以前からの社会主義が公式のイデオロギーとなっている。現在、ベトナムや、南米の左翼政権が、この中国の路線に倣おうとしている。このような経済体制は、実態としてむしろ国家資本主義ないし開発主義国家というべきものであり、これを「新自由主義」と規定することはできない。

また、フランスドイツなど大陸EU諸国では、新自由主義政策を採用しながらも、EU域内の結束を図るなど、共同体的な思想が一方で生き続けている。とくに フランスではインターネットに代表されるグローバリゼーションの功績を認めた上、アルテルモンディアリスムの試みが草の根から進められている。

新自由主義は、少数の勝ち組と大多数の負け組を作り出すので、そこで1人1票の民主的な選挙を行えば、大多数の負け組の手で新自由主義政策を推進する政府は打倒される。この新自由主義のパラドクスが急速に進行しているのが中南米で、アルゼンチンのキルチネル政権、チリのバチェレ政権、ブラジルのルラ政権、ウルグアイのバスケス政権、エクアドルのコレア政権、ペルーのガルシア政権などの中道左派ばかりか、ベネズエラニカラグアボリビアで反米左派政権が誕生し、米国の覇権を拒否して、新自由主義を基盤とする米国との経済統合に難色を示し、むしろ中国などとの接近を強めている。


議論

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評価

「社会といったものはないThere is no such thing as society」と説き、国家に対する責任転嫁をいましめ、また「市場にオルタナティブはない There is no alternative to market」として市場を絶対視したサッチャーの下、自助の精神が取り戻されたという評価や、以下の各国に共通した双子の赤字の課題を残しつつも、英国が英国病を克服したこと、米国が石油危機に端を発するスタグフレーションを脱し、1990年代にはクリントン政権下でインターネットなどの新産業が勃興して産業競争力を回復したこと、南米ではブラジルが1990年代までの深刻なインフレの制圧に成功しブラジル通貨危機までの安定成長を遂げていることなどは、グローバル資本主義、新自由主義の功績であると評価されている。 また、日本におけるバブル後不況の克服も新自由主義的改革の成果と評価されることもある。


批判

各国での批判

冷戦に勝利をもたらした思想として世界中に広まり、1992年頃に思想的に全盛期を迎えたが、ドイツ統一の失敗、ロシア及びCIS諸国と東欧諸国の経済・政治的混乱、またソ連及び東欧諸国における共産主義は本来の思想の精神とはかけ離れていた為に行き詰まった事が明らかとなり、また1997年のアジア金融危機から発した世界金融危機における2001年のアルゼンチン経済危機を通じて、世界的に批判が高まっていく。

西側諸国では労働者に対する責任転嫁は格差社会を拡大したとの批判もあり、またチリにおけるシカゴ学派の功績は事実と大きく異なることが明らかになり、スティグリッツら公共経済学の立場からも新自由主義的な政策で国民経済が回復した国は存在しないことが指摘されている。債務国の再建策として新自由主義的な経済政策を推し進めていたIMFも、2005年に理論的にも実践的にも新自由主義的な経済政策の推進は誤りだったと認めている。

南米では、1990年代初頭から米国主導による新自由主義の導入が積極的に行われ、貧富差が拡大、犯罪多発や麻薬汚染、経済危機といった社会問題が頻発、ストリートチルドレンの増加やアルゼンチン財政破綻が起こった。また、ベネズエラチャベス政権のような国民経済を重視する政権が相次いで誕生する原因にもなった。 また、日本においても改革の結果失業率は下がったものの、地域間格差の拡大、非正規雇用の増加などの問題を生んだとして批判される。 韓国では、金大中政権下で20万人以上もの人々が失業し、事実上「刑死」(失業による自殺)に追い込まれた者も多い。「左派新自由主義」を自称する盧武鉉政権でも、格差が更に広がり、経済が回復しても、正規雇用が増えずに非正規雇用が増加する「両極化」が大きな社会問題とされている。

20世紀末の西ヨーロッパでは、新自由主義の台頭を受け、イギリス労働党トニー・ブレアが唱え、公正と公共サービスの復興を訴える第三の道に代表される「新しい社会民主主義」と呼ばれる中道左派政党を含む政権が台頭した。

また、英国保守党 デービッド・キャメロン党首も党大会においてサッチャリズムとの決別を宣言した。[3]

民営化批判

国営事業の民営化は、貧困層の排斥とサービス低下などをもたらすとの批判がある。たとえば、南アフリカ共和国においては、巨大な貧困層と差別問題、社会的大混乱を抱えるのにも拘らず水道料金が上昇したために水道料金を払えない世帯が続出、アトランタ市(米国)においては、水道管の点検と交換がままならなくなり、蛇口から出るのは赤水(鉄錆入りの水。使用には当然不適)ばかりとなって、ペットボトルが必需品となったといわれる。ニュージーランドにおいては、一旦郵便・電力・航空事業の民営化が行われたものの、再国有化が行われた業種、(郵便貯金制度ニュージーランド航空)もある。英国においては、英国鉄道は地上設備会社(レールトラック社)と複数の車両運行会社に上下分割されたが、利益を優先し施設管理への投資を怠ったため、死傷者を出す重大な鉄道事故が多発、経営も悪化し2002年に倒産、再国有化非営利法人化などが検討されている。

新自由主義に基づいた民営化には、「国民の生存権の保障」を「『サービス』という名の営利事業」に変えたとの批判がある。つまり、従来は民だと撤退する準公共財の供給事業を官が補完していたが、新自由主義はそれを否定し「民こそ絶対だ」という単一の発想に基づいているとする批判である。

脚注

  1. ^ 例えば、電力業の民営化は、南米諸国で典型的なネオリベラリズム政策とみられているが、日本では戦前から電力は民営だった。他の政策のかなりの部分も、19世紀までの産業資本主義には一般的なものだった。
  2. ^ 単なる市場経済一般(古代から部分的にせよあった)、あるいは資本主義の苛酷な搾取(このようなものは、産業革命期の英国に溢れていた)の存在が直ちに新自由主義を意味するのではない。
  3. ^ [http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/4446864.stm Cameron: Tories need new identity]

関連項目

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