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コンコルド橋

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コンコルド橋(仏 : Pont de la Concorde)はフランスパリセーヌ川に架かる橋である。コンコルド広場とオルセー河岸quai d'Orsayを結んでいる。

名前がルイ16世橋、革命橋、コンコルド(調和)橋と二転三転したことで知られている。コンコルド橋と呼ばれるようになったのは1830年から。

コンコルド橋
コンコルド橋
基本情報
フランス
所在地 パリ
交差物件 セーヌ川
設計者
施工者
ジャン=ロドルフ・ペロネ
建設 1787-1791年
座標 北緯48度51分49秒 東経2度19分10秒 / 北緯48.86361度 東経2.31944度 / 48.86361; 2.31944
構造諸元
形式 アーチ橋
材料 コンクリート
全長 153m
34m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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橋の計画は1725年にルイ15世広場(現在のコンコルド広場)の整備とともに始まった。この場所には渡し船があったのだが、それを橋に置き換えるためだった。1787年以降は技術者ジャン=ロドルフ・ペロネが責任者となる。革命の動乱の時代に橋を架けるためにバスティーユ牢獄の解体でできた石材を利用した。

1810年にはナポレオン第一帝政期に名誉の戦死を遂げた8人の将軍の彫像を据え付けた。

王政復古の時代にはこれらの彫像は12体の大理石像に取り替えられた。4人の偉大な大臣(コルベールリシュリューシュジェール、シュリー)、4人の陸軍軍人(バイヤール、ルイ1世コンデ公ベルトラン・デュ・ゲクラン、テュレンヌ)、4人の海軍軍人(レネ・デュゲトルーアンエイブラハム・デュケーヌピエール・アンドレ・ドゥ・シュフラン、トゥールヴィル)である。しかしこれらの像は重すぎた。また、ルイ・フィリップヴェルサイユ宮殿に移動させてしまった。

コンコルド橋の交通量は非常に多い。そのため1930年から1932年にかけて拡幅工事が行われ、橋の幅は2倍になった。また、1983年にもリフォームされている。今日ではペリフェリックを除くパリの橋の中で最も交通量が多い橋となっている。

交通

隣の橋

(上流)ロワイヤル橋レオポール・セダール・サンゴール橋(ソルフェリーノ橋)―コンコルド橋アレクサンドル3世橋アンヴァリッド橋(下流)

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