サウロ・ヒベイロ
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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はヒベイロ、第二姓(父方の姓)はフィーリョです。
基本情報 | |
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本名 |
サウロ・メンドンサ・ヒベイロ・フィーリョ (Saulo Mendonça Ribeiro Filho) |
通称 | ヒクソン門下最強の直弟子 |
国籍 | ブラジルの旗 ブラジル |
出身地 | アマゾナス州 マナウス |
所属 |
グレイシー・ウマイタ →ユニバーシティ・オブ・ジュウジュツ |
身長 | 178cm |
体重 | 85kg |
階級 | ミドル級 |
バックボーン | ブラジリアン柔術 |
テンプレートを表示 |
獲得メダル | ||
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ブラジルの旗 ブラジル | ||
男子 グラップリング | ||
アブダビコンバット | ||
銀 | 1999 アブダビ | 99kg級 |
金 | 2000 アブダビ | 88kg級 |
銀 | 2001 アブダビ | 88kg級 |
金 | 2003 サンパウロ | 88kg級 |
銅 | 2005 ロングビーチ | 88kg級 |
世界ノーギ柔術選手権 | ||
金 | 2012 カリフォルニア | 85.5kg級 |
サウロ・ヒベイロ(Saulo Ribeiro)は、ブラジルの男性 柔術家、総合格闘家。アマゾナス州 マナウス出身。ユニバーシティ・オブ・ジュウジュツ主宰。ブラジリアン柔術五段。柔道黒帯。
「ヒクソン門下最強の直弟子」と呼ばれ、世界柔術選手権、アブダビコンバットで活躍した。シュートボクセ・アカデミーでも練習を行っていた。
シャンジ・ヒベイロは実弟。
来歴
[編集 ]15歳の時に柔術を始める。17歳の時よりリオデジャネイロのグレイシー・ウマイタでホイラー・グレイシーの指導を受け、1995年に黒帯に昇格した。世界柔術選手権では1997年から2007年にかけて5度の優勝を含む10度の入賞を果たし、歴代最高の4階級制覇を成し遂げた。またアブダビコンバットも2度制覇した。
2000年5月26日、コロシアム2000で近藤有己と対戦し、開始わずか22秒、右ハイキックからのパウンドでKO負け。
2006年5月26日、グラップリング大会L.A.SUB-Xでジェイク・シールズと対戦し、ポイント判定勝ち。
2007年2月、アメリカ合衆国 サンディエゴで弟シャンジと共にユニバーシティ・オブ・ジュウジュツを設立した[1] 。
2008年8月、世界ノーギ柔術選手権のメイオペサード(-85kg)級で優勝を果たした。
戦績
[編集 ]総合格闘技
[編集 ]総合格闘技 戦績 | ||||||
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3 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
2 勝 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1 敗 | 1 | 0 | 0 | 0 |
勝敗
対戦相手
試合結果
大会名
開催年月日
○しろまる
カルロス・ロペス
1R チョークスリーパー
Circuito de Lutas: Carioca de Freestyle
1996年2月10日
グラップリング
[編集 ] 勝敗
対戦相手
試合結果
大会名
開催年月日
獲得タイトル
[編集 ]- 世界柔術選手権 黒帯メジオ(-79kg)級 優勝(1997年)
- 世界柔術選手権 黒帯ペサード(-91kg)級 優勝(1998年)
- 世界柔術選手権 黒帯メイオペサード(-85kg)級 優勝(1999年)
- 世界柔術選手権 黒帯スペルペサード(-97kg)級 優勝(2000年)
- 世界柔術選手権 黒帯メイオペサード級 準優勝・アブソルート(無差別)級 準優勝(2001年)
- 世界柔術選手権 黒帯メイオペサード級 優勝・アブソルート級 準優勝(2002年)
- 世界柔術選手権 黒帯アブソルート級 3位(2005年)
- 世界柔術選手権 黒帯メイオペサード級 準優勝(2007年)
- 第2回アブダビコンバット 99kg未満級 準優勝(1999年)
- 第3回アブダビコンバット 88kg未満級 優勝(2000年)
- 第4回アブダビコンバット 88kg未満級 準優勝(2001年)
- 第5回アブダビコンバット 88kg未満級 優勝(2003年)
- 第6回アブダビコンバット 88kg未満級 3位(2005年)
- 世界ノーギ柔術選手権 黒帯メイオペサード級 優勝(2008年)
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ 【Interview】サウロ・ヒベイロ(01)「柔術と共にある生活が、ある」 MMAPLANET 2013年3月18日