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サムスン・ライオンズ

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サムスン・ライオンズ
各種表記
ハングル: 삼성 라이온즈
漢字: 三星 라이온즈
発音: サムソン=ライオンズ
英語: Samsung Lions
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サムスン・ライオンズ
創設 1982年
ロゴデザイン
所属リーグ
韓国野球委員会
歴代チーム名
  • 三星ライオンズ(1982年 - 現在)
本拠地
大邱サムスン・ライオンズ・パーク
収容人員 29178人
大邱広域市
永久欠番
10 22
獲得タイトル
アジアチャンピオン(1回)
2011
韓国チャンピオン(8回)
1985((注記))・2002・2005・2006・2011・2012・2013・2014
(注記) 前後期統合優勝で韓国シリーズは行われず。
成績(タイトル以外)
アジアシリーズ出場(5回)
(太字は優勝、斜体は準優勝)
2005 20062011 20122013
韓国シリーズ出場(17回)
(太字は勝利した年)
7勝10敗(太字は勝利した年)
1982・19841986198719901993・2001・2002 20042005 2006 20102011 2012 2013 2014 2015
プレーオフ出場(12回)(太字は勝利した年)
5勝7敗
1986 19881990 19911993 199719981999・2000・2004 20082010
準プレーオフ出場(9回)(太字は勝利した年)
5勝4敗
19891990 1991 19921997 2000200320072008
Aクラス(27回)
1982、1984-1987、1990-1993、1997-2008、2010-2015
Bクラス(7回)
1983、1988-1989、1994-1996、2009
球団組織
オーナー 李健熙(イ・ゴニ、サムスングループ会長)
運営母体 サムスングループ
監督 柳仲逸
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サムスン・ライオンズ(三星ライオンズ、Samsung Lions)は、韓国のプロ野球チームである。縁故地(ホームタウン)は大邱広域市。本拠地は同市内にある大邱サムスン・ライオンズ・パーク

概要・歴史

韓国最大の大手企業グループであるサムスングループが親会社。本拠地は、当時の李秉喆(イ・ビョンチョル)オーナーの出身地で、サムスングループの発祥の地でもある大邱に定め、今日に至っている。なお、2012年7月に完成した浦項(慶尚北道)の新球場を準本拠地とし、2012年8月14日から16日まで初の1軍公式戦を開催し、2013年以降も時折1軍、2軍ともに公式戦を開催している。

韓国プロ野球草創期から親会社の莫大な支援をバックに強豪として君臨して、1990年代中盤の一時期を除くと、極端な低迷期もない。2014年シーズン終了時点で、2012年に新規参入したNCダイノスを除き、KBO発足当時から存続する球団としては唯一シーズン最下位の経験がない。もっとも悪かった成績は1996年の6位で、最下位から2番目である7位の成績すら記録していない。2009年シーズン終了現在、累積勝利、Aクラス入り回数、ポストシーズン及び韓国シリーズ出場回数で最多を記録しており、現存球団及び過去に韓国野球委員会に所属したすべての球団に対して累積対戦成績で勝ち越している。1997年から2008年までの12年連続ポスト・シーズン出場の記録は最長である。韓国シリーズ及び他のポスト・シーズンでは失敗も多く、韓国シリーズ16回出場で優勝は約半分の7度であり、韓国シリーズ出場を競うプレイオフでも12回出場で5勝7敗と負け越している。シリーズ初優勝も韓国プロ野球創設メンバーの中では一番遅い2002年と、後発のハンファ・イーグルスよりも遅かった。ズを通じての優勝にことごとく失敗した。失敗が重なるたびに、親会社の支援をバックにするフロントの現場への干渉が度を越して、普通の強豪へと成り下がり、ついに1990年代中盤は3年連続Bクラスとこの球団にとって唯一と言っていい低迷期を迎えた。マンネリの傾向から脱却のため、1990年代後半から、莫大な予算を投入して、フリーエージェント獲得、大型トレード、大物外国人選手獲得などあらゆる手を使ってチーム強化に成功。2002年ついに悲願の韓国シリーズ優勝を達成した。

1990年代後半から2003年までは李承燁が中心選手として活躍していた。かつては、[[読売ジャイアン

1980年代は第1回の1982年を含めて韓国シリーズに4度出場するも、当時少数精鋭で最強戦力を誇ったヘテ・タイガースなどに阻まれ、準優勝4度。2002年まで、前後期リーグ統合優勝で韓国シリーズなしで優勝を決めた1985年が唯一の優勝であった。1986年以降、韓国シリーズが必ず開催されるようにルールが改正され、1990年代まで韓国シリーツ]]出身の新浦壽夫(韓国名:金日融)、広島東洋カープ出身の金城基泰(韓国名:金基泰)らが在籍していた。2001年には、バルビーノ・ガルベス(元読売ジャイアンツ)、ベン・リベラ(元阪神タイガース)も在籍していた。

2004年は韓国シリーズに進出し、現代と史上初となるシリーズ第9戦までもつれ込む熱闘を繰り広げたが、惜しくも敗れた。

2004年シーズンオフには新監督に宣銅烈を迎え、現代ユニコーンズから強打の外野手沈正洙(シム・ジョンス、2003年に53本塁打)、韓国を代表する名ショートの朴鎮萬(パク・チンマン)をFAで獲得する等の大型補強を行った。

2005年より春季・秋季キャンプは、日本沖縄県 恩納村赤間ボールパークで実施している。シーズンは、中日ドラゴンズからマーチン・バルガスも移籍し公式戦優勝、韓国シリーズも4連勝で優勝し、アジアシリーズに進出したが、決勝戦で千葉ロッテマリーンズに敗れ、準優勝に終わった。

2006年シーズンは公式戦優勝。韓国シリーズでもハンファ・イーグルスを4勝1敗1引分で退け、2年連続の韓国シリーズ優勝を果たした。韓国シリーズ2連覇はヘテ・タイガース(1986年-1989年1996年-1997年)、現代ユニコーンズ(2003年-2004年)についで3チーム目。前年に続きアジアシリーズに出場したが、予選リーグ最終戦で台湾La Newベアーズに逆転で敗れ予選敗退。3位に終わっている。

前年までの韓国シリーズ2連覇を支えた選手たちに衰えが見られた2007年は公式戦を4位で終え、準プレーオフに廻り、ハンファ・イーグルスに1勝2敗で敗れて3連覇への挑戦は失敗に終わった。2008年も公式戦4位に終わったが、史上最長となる12年連続のポストシーズン進出を決め、準プレーオフでは劣勢の評判を覆してロッテ・ジャイアンツに3連勝し、斗山ベアーズとのプレーオフに進出したが敗れた。だが2007年には見られなかった若手野手の台頭があり、大きな収穫のある1年となった。

2009年崔炯宇などの若手野手が主軸として更なる成長を遂げたものの、抑えの呉昇桓の戦線離脱など投手陣に不安があり、ロッテ・ジャイアンツとの4位争いに敗れ、公式戦5位で13年ぶりにポストシーズン進出を逃した。

2010年から、元中日の落合英二を投手コーチに、元中日・横浜の種田仁を打撃コーチとして迎えた。ブルペンの強化、さらなる若手野手の台頭によりSKワイバーンズとの優勝争いを繰り広げ、公式戦2位で2年ぶりにプレーオフ進出を決めた。一方で長年チームを支えてきた梁埈赫が引退し、9月19日に韓国プロ野球史上最も盛大な引退試合が行われた。プレーオフでは斗山ベアーズを3勝2敗で下し、4年ぶりに韓国シリーズ進出を決めたが、SK相手に1勝もできず4連敗してしまった。打撃コーチの種田が楽天コーチ就任の為退団した。12月末に宣銅烈監督が突如辞任した。

2011年からは、柳仲逸が監督として就任する。この年は、守護神・呉昇桓の復活もあり5年ぶりに公式戦優勝を果たした。韓国シリーズではSKワイバーンズを4勝1敗で降し、5年ぶりの韓国チャンピオンになった。アジアシリーズでは予選リーグを2勝1敗の2位で通過、決勝で福岡ソフトバンクホークスを5-3で破り初のアジア王者となった。

2012年より、李承燁が9年ぶりに復帰することとなり、2年連続公式戦優勝により3年連続韓国シリーズ出場を決め、3年連続で韓国シリーズで対戦したSKワイバーンズをやぶり、2連覇を達成した。同年のアジアシリーズにも韓国シリーズ優勝チームとして出場したが、台湾のLamigoモンキーズに敗れ予選リーグで敗退した。

2013年は韓国プロ野球史上初となる3年連続公式戦優勝を達成し、4年連続韓国シリーズに出場し、斗山ベアーズに勝利し球団史上初の3連覇を達成した。なお、公式戦、韓国シリーズともに3年連続優勝は韓国プロ野球史上初である。3年連続出場となった2013年のアジアシリーズでは準決勝でキャンベラ・キャバルリーに敗れた。

2014年は韓国プロ野球史上初の4年連続公式戦優勝・韓国シリーズ優勝(ネクセン・ヒーローズに勝利)を達成した。2015年は韓国プロ野球史上初の5年連続公式戦優勝を達成したが、韓国シリーズでは斗山ベアーズに敗れた。

KBO初年度の1982年から名称変更を行っていない。他に名称変更を行っていないチームはロッテ・ジャイアンツのみである。

大邸市民運動場野球場を本拠地とするサムスンが3塁側ベンチを使用する為、1塁側ベンチの使用は極めて少ない[1] 。球場の老朽化が進んでいるため、大邱広域市東部の寿城区に新球場として大邱サムスン・ライオンズ・パークを建設し、2016年シーズンからの使用開始を予定している。

専用練習場は、大邱広域市の東隣・慶山市に慶山ボールパークがあり、そこで2軍の試合も開催している。海外キャンプでは2005年より継続的に沖縄県恩納村立赤間運動公園野球場を利用している。

永久欠番

  • 10 - 梁埈赫(ヤン・ジュニョク、韓国語:양준혁)
  • 22 - 李萬洙(イ・マンス、韓国語:이만수)

主な在籍選手

投手




捕手


内野手


外野手


主な退団・引退選手

韓国人選手

  • 李善煕(イ・ソンヒ、在籍年度1982-1984)
  • 権永浩(クォン・ヨンホ、在籍年度1982-1989)- 韓国で100セーブを記録した最初の投手
  • 李萬洙(イ・マンス、在籍年度1982-1997)- 韓国で三冠王と通算200号ホームランを記録した最初の選手
  • 張孝祚(チャン・ヒョジョ、在籍年度1983-1989)- 首位打者4度、引退後は三星のスカウト・コーチを務めたが2011年死去。
  • 金始眞(キム・シジン、在籍年度1983-1989)- 現ロッテ・ジャイアンツ監督
  • 成埈(ソン・ジュン、在籍年度1986-1998)- 現SKワイバーンズコーチ
  • 柳仲逸(リュ・ジュンイル、在籍年度1987-1999)- ゴールデングラブ賞2度獲得、現三星ライオンズ監督
  • 金相燁(キム・サンヨプ、在籍年度1989-1998)
  • 金翰秀(キム・ハンス、在籍年度1994-2007)- 2009年読売ジャイアンツでコーチ研修、現三星ライオンズコーチ
  • 金在杰(キム・ジェゴル、在籍年度1995-2009)
  • 田炳浩(チョン・ビョンホ、在籍年度1996-2008)- 2007年12月、第24回アジア野球選手権大会(北京五輪アジア地区予選)・日本-韓国戦で、韓国代表の先発投手となった。
  • 金鍾勳(キム・ジョンフン、在籍年度1997-2007)- 読売ジャイアンツでコーチ研修を受けたことあり
  • 盧長震(ノ・ジャンジン、在籍年度1999-2004)
  • 金杞泰(キム・キテ、在籍年度1999-2001)- 首位打者1度・本塁打王1度、通算249本塁打を記録。現起亜タイガース監督
  • 馬海泳(マ・ヘヨン、在籍年度2001-2003)- 1999年首位打者、2002年最多安打・韓国シリーズMVP、通算260本塁打。
  • 金大益(キム・デイク、在籍年度2004-2007)
  • 沈正洙(シム・ジョンス、在籍年度2005-2008)- 2007年本塁打王・打点王、通算328本塁打1029打点を記録
  • 梁埈赫(ヤン・ジュニョク、在籍年度1993-1998, 2002-2010)'93年新人王・首位打者4度韓国で通算2000安打通算350号ホームランを記録した最初の選手
  • 朴鎮萬(パク・チンマン、在籍年度2005-2010)
  • 鄭現旭(チョン・ヒョヌク、在籍年度1997-2012)- 現LGツインズ
  • 申命澈(シン・ミョンチョル、在籍年度2007-2013)
  • 呉昇桓(オ・スンファン、在籍年度2005-2013)
  • 裵英洙(ペ・ヨンス、在籍年度2000-2014) - 現ハンファ・イーグルス
  • 權奕(クォン・ヒョク、在籍年度2002-2014) - 現ハンファ・イーグルス
  • 陳甲龍(チン・ガプヨン、在籍年度1999-2015)
  • 林昌勇(イム・チャンヨン、在籍年度1999-2007、2014-2015)
  • 朴錫珉(パク・ソクミン、在籍年度2004-2015)- 現NCダイノス

在日韓国人、韓国系日本人及び外国人選手

在日韓国人または韓国系日本人選手

そのほかの外国人選手

主な日本人コーチ

関連項目

外部リンク

監督
コーチ
二軍監督・コーチ
三軍コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
チーム
フューチャーズリーグのみ参加
現存しない
シリーズ
オールスター
タイトル
関連団体
関連項目
  1. ^ 木洞野球場を本拠地にしているネクセンヒーローズも3塁側使用の為、1塁側使用はお互いの遠征試合のみである

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