杉村春子
これはこのページの過去の版です。202.164.83.196 (会話) による 2005年11月27日 (日) 02:54 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→杉村春子を演じた女優 )であり、現在の版 とは大きく異なる場合があります。
杉村春子(すぎむら はるこ、1906年 1月6日―1997年 4月4日)は、日本の新劇 女優。
遊女の私生児として広島市の色街に出生。幼時に両親が死んだため、事業家の養女にもらわれ何不自由なく育つ。声楽家になるべく上京して東京音楽学校(現東京芸術大学)を受験するが、二年続けて失敗。広島に戻り広島女学院で音楽の代用教員をしていたが、築地小劇場(俳優座の前身)の旅芝居を見て感動、再び上京してテストを受けるが、広島訛りがひどくまたも不合格。しかし次回公演の背中を向けてオルガンを弾く役(むろん台詞無し)で採用され築地小劇場の研究生となる。こうして日本演劇史上、最大の大女優が長い演劇人生の一歩を踏み出す。
1937年、岸田国士、久保田万太郎らが創立した劇団文学座に参加。以来、同座のみならず、日本演劇界の中心的存在として活躍。特に戦時下の1945年4月に初演された森本薫作 女の一生 の布引けいは当たり役となり、上演回数900回を越え日本の演劇史上に金字塔を打ち立てた。しかし、1963年には文学座での杉村の専横ぶりに不満を持つ三島由紀夫、岸田今日子、中村伸郎、芥川比呂志、神山繁、加藤治子ら団員の約半数が抜ける二度にわたる分裂騒動という苦い経験をした。(特に福田恆存が創立した現代演劇協会・劇団雲に参加したメンバーに対しては、共演を頑なに拒否するほど終生許さなかったようだ。)これら劇団創立最大の危機を太地喜和子、江守徹、樹木希林、小川真由美、松田優作、中村雅俊ら若手を育てることで、この危機を乗り切った。
舞台のみならず、映画・テレビでも幅広く活躍。映画では小津安二郎、黒澤明、成瀬巳喜男、豊田四郎、木下恵介といった名監督たちから、既存の映画俳優には無い自然でリアルな演技力を高く評価され、東京物語を初め日本映画史を彩る名作群に出演、映画史にもその名を刻んだ。
日本の伝統演劇、女形芸などを熱心に吸収し、色艶の有る独持の演技を完成させる。酒もたばこもたしなまず、ひたすら仕事と恋に生きた。
1974年、女優としては水谷八重子、東山千栄子に次いで3人目の文化功労者に選ばれた。1995年には文化勲章の候補に名があがったが辞退した。
1997年4月4日、膵臓癌のため東京都 文京区の病院で死去。享年91。
死後1998年、若手演劇人の育成に力を注いだ杉村の遺志を尊重し、新人賞的意味合いを持つ杉村春子賞が新たに創設された。
主な出演作品
映画
- 浅草の灯(1937年)
- 小島の春(1940年)
- 大曾根家の朝(1946年)
- わが青春に悔なし(1946年)
- 手をつなぐ子等(1948年)
- 晩春(1949年)
- 麦秋(1951年)
- また逢う日まで(1950年)
- めし(1951年)
- 東京物語(1953年)
- にごりえ(1953年)
- 晩菊(1954年)
- 野菊の如き君なりき(1955年)
- 流れる(1956年)
- お早よう(1959年)
- 浮草(1959年)
- 小早川家の秋(1961年)
- 女の座(1962年)
- 秋刀魚の味(1962年)
- 怪談(1964年)
- 赤ひげ(1965年)
- 化石の森(1973年)
- 午後の遺言状(1995年)
テレビ
- ひまわりのうた
- 三男三女婿一匹
- おんなの家
- おんなたちの忠臣蔵
- 関ヶ原(1981年・TBS)
- 渡る世間は鬼ばかり
舞台
- 女の一生
- 欲望という名の電車
- 鹿鳴館
- 華岡青洲の妻
- ふるあめりかに袖はぬらさじ
- ウェストサイドワルツ
- 華々しき一族
文献
著書
- 振りかえるのはまだ早い 女の自叙伝(アシェット婦人画報社・1986年11月)ISBN 4573200053
参考文献
- 杉村春子―女優として、女として(中丸美絵著・文藝春秋・2003年3月)ISBN 4163595309
- 女の一生―杉村春子の生涯(新藤兼人著・岩波書店・2002年1月) ISBN 4000223704
- 女優杉村春子(大笹吉雄著・集英社・1995年8月)ISBN 4087811115
- 日本映画俳優全集・女優編(キネマ旬報社・1980年12月)
杉村春子を演じた女優
関連項目
この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。