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岐阜城

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岐阜城
(岐阜県)
金華山山頂の岐阜城
金華山山頂の岐阜城
別名 稲葉山城
城郭構造 山城
天守構造 不明・非現存
独立式望楼型3重4階(RC造復興・1956年再)
築城主 二階堂行政
築城年 建仁元年(1201年)
主な改修者 織田信長
主な城主 斎藤氏織田氏
廃城年 慶長5年(1600年)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 なし
再建造物 天守、門
位置 北緯35度26分2.66秒 東経136度46分55.97秒 / 北緯35.4340722度 東経136.7822139度 / 35.4340722; 136.7822139
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岐阜城近影
岐阜城資料館
城から見た岐阜市街

岐阜城(ぎふじょう)は、岐阜県 岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にある山城跡織田信長が居城とする以前は、稲葉山城と呼ばれていたともいわれているが、信長以前の斎藤氏が居城としていた時代の同時代史料には「井口城」「金華山城」として登場する。

歴史・沿革

鎌倉・室町時代

戦国時代

近現代

  • 明治43年(1910年)5月15日に模擬天守が再建、落成。これは長良橋(初代)の廃材を活用し、岐阜市保勝会と岐阜建築業協会などの労働奉仕により建てられたもので木造、亜鉛(トタン)葺きのもの(3層3階、高さ15.15m)であった。
  • 昭和18年(1943年)2月17日早朝に失火のため焼失。なお建築から34年たち老朽化のため建替えの話も出始めていたという。
  • 昭和30年(1955年)6月、再建期成同盟が発足。建設は市民、財界の浄財によるとの原則で必要な費用2,000万円の募金が行われ、約4ヶ月間で1,800万円が集められた。
  • 昭和31年(1956年)7月25日、鉄筋コンクリート建築で3層4階建ての復興天守が落成。天守閣の設計は加納城御三階櫓の図面や古文書を参考に城戸久(名古屋工業大学名誉教授)が設計、大日本土木が施工した。なお建築にあたり土台部分の石垣内部に大掛かりな補強が行われた。
  • 昭和48年(1973年)、大河ドラマ「国盗り物語」による観光ブームで、地理的展望がすばらしい観光地となり、同年の年間入場者数は43万7,209人を記録した。
  • 昭和50年(1975年)4月、隅櫓(岐阜城資料館)が完成。建設は創業30年を迎えた川島紡績(社長、川島精市)の全額寄付(総額6,000万円)によるもので、彦根城を参考に設計された。
  • 平成9年(1997年)、大改修が行われる。
  • 平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(39番)に選定され、平成19年(2007年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。

構造

山城。難攻不落の名城として知られているが、歴史上6回の落城にあっている。山頂部の平坦面は少なく、井戸も雨水を蓄えるもので、戦国時代末期の大人数による長期籠城戦には本質的に不向きであった。

織田信長時代には、山頂部には信長の家族や人質が暮らしていたことが、永禄12年(1569年)来岐した宣教師ルイス・フロイスの書簡から伺える。その構造は斎藤道三時代に遡るだろう。岐阜城は合戦のための城でなく、基本的に城主の居住空間なのである。

天主・天守

信長時代の岐阜城の麓には4階建ての御殿があり、天主(てんしゅ)といったという[1] 。宮上茂隆の説[2] によると、京都 天竜寺の僧侶である策彦周良による命名とされる。山頂にも「てんしゅ」があり、こちらは「天守」と書いた。「天守」は池田輝政時代に改変され、岐阜城廃城及び、加納城築城によって他の建物と共に移築されていたが、享保13年(1728年)の落雷によって焼失している[3]

観光

日本100名城スタンプラリー スタンプ設置場所

  • 岐阜城資料館入口

関連項目

脚注

  1. ^ 三浦正幸監修『【決定版】図説・天守のすべて』学習研究社 2007年
  2. ^ 宮上茂隆作『復元模型 安土城』草思社 1995年
  3. ^ 西ヶ谷恭弘監修『復原 名城天守』学習研究社 1996年

参考文献

  • 中日新聞岐阜総局編著 『岐阜城いまむかし』中日新聞本社,昭和57年,P143-170

外部リンク

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