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イルマ・グレーゼ

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イルマ・グレーゼ
Irma Grese
生誕 1923年10月7日
ドイツ パーゼワルク
死没 1945年12月3日
ハーメルン
職業 アウシュビッツ強制収容所看守
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イルマ・グレーゼ(Irma Grese,1923年 10月7日 - 1945年 12月3日)はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(以下「アウシュビッツ強制収容所」と称する)ならびにベルゲン・ベルゼン強制収容所の女性看守。

経緯

元々ナチスの一組織ドイツ女子同盟(BDM)に深く共鳴し、15歳で学校を辞めた後、親衛隊幹部のサナトリウム看護師などをしていたが、18歳のときにラーヴェンスブリュック強制収容所で看守として訓練を受け、19歳のときにアウシュビッツ強制収容所に配属され、連絡主任にまで出世する。

収容所での振る舞い

アウシュビッツ強制収容所の囚人女医ジゼラ・ペルルによると風貌は美しい天使のような無垢な顔の少女であったが、女性看守の中で最も残酷な看守であり、ユダヤ人女性の乳房に鞭を振るって大ケガをさせ、それに快感を得るというサディスティックな側面を持っていたということである。また、ヨーゼフ・メンゲレらとの醜聞の噂も絶えず、堕胎手術を頼んだこともあったという。

また、ガス室行きが決定された囚人に犬をけしかけて噛み付かせたりするなどしていたという。

ベルゲン・ベルゼン強制収容所の元収容者、バリー・スパンヤードは解放後にイルマの悪事の数々を自著に綴った上で「石の心を持つ女」と激越に批判している。

ドイツ降伏直前の1945年 4月17日イギリス人によって逮捕された後、ナチスの非人道に対する罪を裁くベルゼン裁判で裁判にかけられ、同年11月17日絞首刑の判決を受け、翌月の12月3日に死刑が執行された。

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