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「松本慎一」の版間の差分

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== 参考・関連文献 ==
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* {{kotobank|松本慎一|日本人名大事典}}
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* [[川合貞吉]]『[[ゾルゲ事件]]獄中記』([[新人物往来社]]、1975年) - 松本慎一(削除) と[[尾崎秀実]] (削除ここまで)に関する記述あり
* [[川合貞吉]]『[[ゾルゲ事件]]獄中記』([[新人物往来社]]、1975年) - 松本慎一に関する記述あり
* 『国政選挙総覧:1947-2016』(日外アソシエーツ) 2017 p.539
* 『国政選挙総覧:1947-2016』(日外アソシエーツ) 2017 p.539
* [[風間道太郎]] 「松本慎一のこと」 『暗い夜の記念;戦中日暦』([[未来社]]、1981年)、所収
* [[風間道太郎]] 「松本慎一のこと」 『暗い夜の記念;戦中日暦』([[未来社]]、1981年)、所収
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2024年4月5日 (金) 03:32時点における版

松本 慎一(まつもと しんいち、1901年 11月8日 - 1947年 11月26日)は、日本著述家社会運動家岩波文庫版『フランクリン自伝』の翻訳、尾崎秀実の獄中書簡集『愛情はふる星のごとく』の編集で知られる。政治学者松本礼二の父。

来歴

学生時代まで

愛媛県出身。愛媛県宇和島中学校 [1] を卒業[2] し、1919年(旧制)第一高等学校に入学[2] 、寮で同室だった尾崎秀実や同期の古在由重らと親交を結ぶ。1922年に卒業[3] し、東京帝国大学 法学部に入学。

戦前・戦時期の活動

1926年に東京帝大法学部法律学科を卒業[4] し、三省堂に勤務。1931年6月にヌーラン事件に関連して検挙されるもほどなくして釈放。その後、1932年日本共産党に入党し非合法活動を開始、1934年2月に検挙され2年近く未決のまま収監されたのち執行猶予付きの有罪判決を受け、転向を表明して出獄。その後、尾﨑の紹介を通じて「京浜労働者グループ」の学習会に古在とともにチューターとして参加したことで再び検挙、前回同様2年近くの未決期間を経て執行猶予付きの有罪判決を受け転向表明を経て出獄した。

戦時期には三省堂時代に知遇を得た吉野源三郎の紹介により、岩波文庫版『フランクリン自伝』の訳業に従事(1937年刊行)。また1943年には橘樸の名義を借りて岩波新書『中華民国三十年史』を刊行した[5]

戦後の活動と急逝

戦後には雑誌『国際評論』や『世界年鑑』の編集、国際政治に関する評論の執筆、全日本印刷出版労働組合書記長に就任するなど戦前以来の豊富な人脈を活かし精力的に活動した。またゾルゲ事件によって刑死した旧友・尾崎秀実の顕彰にも尽力し、1946年には尾﨑の獄中書簡集『愛情はふる星のごとく』の刊行を実現した。

1947年第1回参議院議員通常選挙全国区から共産党公認で立候補したが落選[6] し、同年、過労による急性 肺炎で死去。

著書

共編著

翻訳

家族

子の礼二は、政治学者・早稲田大学名誉教授であり、とくにトクヴィルの政治思想の研究で知られる[7]

脚注

  1. ^ 黒面郎 編「縣會議員菊池武虎君」『一日一人』タノシミ社、1916年5月27日、27-28頁。NDLJP:906220/20 
  2. ^ a b 『第一高等学校一覧 自大正8年至大正9年』第一高等学校、1920年3月10日、152頁。NDLJP:940282/82 
  3. ^ 『第一高等学校一覧 自大正11年至大正12年』第一高等学校、1922年11月15日、(3)頁。NDLJP:940285/87 
  4. ^ 『東京帝国大学卒業生氏名録』東京帝国大学、1926年5月20日、(358)頁。NDLJP:940177/186 
  5. ^ 中島義勝「戦争の中の岩波新書」『制度・実態・人』(日本エディタースクール出版部、日本出版史料3) 1997に所収
  6. ^ 参議院事務局庶務部資料課 編『第1回参議院議員選挙一覧 昭和22年版』参議院事務局、1950年3月5日、17頁。NDLJP:1340459/17 
  7. ^ 松本礼二『父の友人たち』(上)。

参考・関連文献

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