「南勝線」の版間の差分
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*南勝線という路線名称の由来は、鳥取県[[東伯郡]][[南谷村 (鳥取県)|南谷村]](なんこく(削除) むら (削除ここまで)。現:倉吉市関金町)と岡山県真庭郡勝山町を結ぶことによる。<!--この南谷村には、国鉄倉吉線の[[関金駅|関金]]・[[泰久寺駅|泰久寺]]の二駅があったため(山守駅はその隣の鳥取県東伯郡[[山守村]]〔現:倉吉市〕にあった)、{{独自研究範囲|南勝線は中国勝山 - 関金間の鉄道計画路線であり、山守 - 関金間だけは日の目を見たという解釈も成り立つ|date=2010年12月}}。なお、東伯郡南谷村は、[[1953年]](昭和28年)4月1日に東伯郡[[矢送村|矢送]]・山守両村と対等合併して鳥取県東伯郡[[関金町]](現:倉吉市)に移行しているが、{{独自研究範囲|このことからも計画はかなり古くからあったことが伺える|date=2010年12月}}。
*南勝線という路線名称の由来は、鳥取県[[東伯郡]][[南谷村 (鳥取県)|南谷村]](なんこく(追記) そん (追記ここまで)。現:倉吉市関金町)と岡山県真庭郡勝山町を結ぶことによる。<!--この南谷村には、国鉄倉吉線の[[関金駅|関金]]・[[泰久寺駅|泰久寺]]の二駅があったため(山守駅はその隣の鳥取県東伯郡[[山守村]]〔現:倉吉市〕にあった)、{{独自研究範囲|南勝線は中国勝山 - 関金間の鉄道計画路線であり、山守 - 関金間だけは日の目を見たという解釈も成り立つ|date=2010年12月}}。なお、東伯郡南谷村は、[[1953年]](昭和28年)4月1日に東伯郡[[矢送村|矢送]]・山守両村と対等合併して鳥取県東伯郡[[関金町]](現:倉吉市)に移行しているが、{{独自研究範囲|このことからも計画はかなり古くからあったことが伺える|date=2010年12月}}。
*南勝線の計画ルートは、中国勝山駅からたどると、[[旭川 (岡山県)|旭川]]沿いに北上しているが、地形的に建設不可能な箇所があったわけでもないのに、岡山県真庭郡[[湯原町]](現:真庭市)中心部付近から旭川をそれて[[湯原ダム]]([[湯原湖]])の西方に出て岡山県真庭郡[[川上村 (岡山県)|川上村]](現:真庭市)に抜けるという、遠回りな経路をとっている。{{独自研究範囲|蒜山高原の観光開発のために遠回りな経路をとったのは明らかであるが|date=2010年12月}}、後年建設された[[米子自動車道]](当該部分は[[1992年]](平成4年)[[12月18日]]開通)は、南勝線の計画ルートとほぼ同じ経路をたどって湯原町から川上村に抜けており、その関連性が指摘される{{誰2|date=2010年12月}}。
*南勝線の計画ルートは、中国勝山駅からたどると、[[旭川 (岡山県)|旭川]]沿いに北上しているが、地形的に建設不可能な箇所があったわけでもないのに、岡山県真庭郡[[湯原町]](現:真庭市)中心部付近から旭川をそれて[[湯原ダム]]([[湯原湖]])の西方に出て岡山県真庭郡[[川上村 (岡山県)|川上村]](現:真庭市)に抜けるという、遠回りな経路をとっている。{{独自研究範囲|蒜山高原の観光開発のために遠回りな経路をとったのは明らかであるが|date=2010年12月}}、後年建設された[[米子自動車道]](当該部分は[[1992年]](平成4年)[[12月18日]]開通)は、南勝線の計画ルートとほぼ同じ経路をたどって湯原町から川上村に抜けており、その関連性が指摘される{{誰2|date=2010年12月}}。
*{{独自研究範囲|南勝線の建設が全く行われなかったのは、国鉄の経営難以外にも、[[1970年]](昭和45年)に昇格した[[国道313号]]が並行していることと、[[1973年]](昭和48年)の第一次[[オイルショック|石油危機]]後の着工だったことが原因と思われる|date=2010年12月}}。沿線のある自治体が出した自治体史の中には、南勝線計画があることについて全く触れなかったものもあり、{{独自研究範囲|既に開通を諦めていた(逆に言えば国道313号や米子自動車道の整備を最も望んでいた)人も少なくなかったことが伺える|date=2010年12月}}。
*{{独自研究範囲|南勝線の建設が全く行われなかったのは、国鉄の経営難以外にも、[[1970年]](昭和45年)に昇格した[[国道313号]]が並行していることと、[[1973年]](昭和48年)の第一次[[オイルショック|石油危機]]後の着工だったことが原因と思われる|date=2010年12月}}。沿線のある自治体が出した自治体史の中には、南勝線計画があることについて全く触れなかったものもあり、{{独自研究範囲|既に開通を諦めていた(逆に言えば国道313号や米子自動車道の整備を最も望んでいた)人も少なくなかったことが伺える|date=2010年12月}}。
2024年3月26日 (火) 08:25時点における版
南勝線(なんしょうせん)とは、日本国有鉄道(国鉄)が中国勝山駅と倉吉駅(一時期、上井駅)の間に計画していた鉄道路線(未成線)のうち、中国勝山 - 山守間の建設路線名称である。
路線データ
以下はすべて計画上のものである。
- 路線距離:43.1km
- 駅数:9駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし
- 電化区間:なし(全線非電化)
概要
上井 - 倉吉間が倉吉軽便線として1912年に開業後、1922年公布の改正鉄道敷設法別表第89号に掲げられた「岡山縣勝山ヨリ鳥取県倉吉ニ至ル鐵道」として建設が進められた。倉吉(後の打吹) - 山守間は倉吉線として1958年までに開業したものの、並行する道路を走る自家用車やバスに勝てず、山守 - 中国勝山間は起工式こそ開催されたものの用地買収や工事が行われることのないまま1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行や1981年(昭和56年)の国鉄倉吉線の特定地方交通線第一次廃止対象路線指定、及び1985年(昭和60年)の同線廃線により建設放棄となり、日の目を見ることはなかった。
沿革
- 1912年(明治45年)6月1日 - 倉吉軽便線(後の倉吉線)が上井駅(現在の倉吉駅) - 倉吉駅(後の打吹駅)に開業する。
- 1922年(大正11年)4月11日 - 改正鉄道敷設法別表第89号により予定線となる。
- 1941年(昭和16年)5月17日 - 倉吉線が関金駅まで延伸開業する。
- 1958年(昭和33年)12月20日 - 倉吉線が山守駅まで延伸開業する。
- 1974年(昭和49年)5月9日 - 岡山県 真庭郡 勝山町(現:真庭市)で起工式が開催される。
- 1980年(昭和55年)12月27日 - 国鉄再建法施行。
- 1981年(昭和56年)9月18日 - 国鉄倉吉線が特定地方交通線第一次廃止対象路線に指定される。これにより南勝線は建設放棄が確定する。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 第1次特定地方交通線として倉吉線が廃止される。
駅一覧
駅名はすべて仮称。
中国勝山駅 - 山久世駅 - 真賀駅 - 湯原駅 - 美作二川駅 - 蒜山駅 - 八束駅 - 伯耆清水駅 - 山守駅
上記以外に「長田駅」(「伯耆清水駅」と「八束駅」の間)、「見明戸駅」(「美作二川駅」と「湯原駅」の間)を予定駅として記載している資料もある[1] 。
接続予定路線
備考
脚注
[脚注の使い方]
- ^ 『ふるさと再発見文化財ウオーク』倉吉ライオンズクラブ
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