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'''木村 達郎'''(きむら たつろう、[[1973年]][[6月15日]]<ref>[http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032321499&Action_id=121&Sza_id=F3 琉球ゴールデンキングスの奇跡]</ref> - )は、[[日本]]の[[実業家]]。[[琉球ゴールデンキングス|沖縄バスケットボール]]株式会社[[代表取締役]]社長兼[[ゼネラルマネージャー]]。[[東京都]][[渋谷区]]出身<ref name="tsukubaway">{{Cite web(削除) (削除ここまで)|url=http://tsukubaway.com/column/entrepreneur/972 |title=スポーツを大きな産業にするために旗を振る |publisher=TSUKUBA WAY |date=2016年09月19日 |accessdate=2017年07月09日 }}</ref>。
'''木村 達郎'''(きむら たつろう、[[1973年]][[6月15日]]<ref>[http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032321499&Action_id=121&Sza_id=F3 琉球ゴールデンキングスの奇跡]</ref> - )は、[[日本]]の[[実業家]]。[[琉球ゴールデンキングス|沖縄バスケットボール]]株式会社[[代表取締役]]社長兼[[ゼネラルマネージャー]]。[[東京都]][[渋谷区]]出身<ref name="tsukubaway">{{Cite web(追記) |和書 (追記ここまで)|url=http://tsukubaway.com/column/entrepreneur/972 |title=スポーツを大きな産業にするために旗を振る |publisher=TSUKUBA WAY |date=2016年09月19日 |accessdate=2017年07月09日 }}</ref>。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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帰国後は、[[NHK情報ネットワーク]]に入社し、スポーツ映像制作を担当<ref name="tsukubaway" />。
帰国後は、[[NHK情報ネットワーク]]に入社し、スポーツ映像制作を担当<ref name="tsukubaway" />。


[[2005年]]の[[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]発足を機に、プロバスケットボールチーム設立活動を主導。沖縄に単身で渡り、地元バスケットボール関係者から支援得て大塚泰造とともに「[[琉球ゴールデンキングス]]」を創設<ref name="tsukubaway" />。[[2006年]]に代表取締役[[ゼネラルマネージャー|GM]]就任<ref name="bond">{{Cite web(削除) (削除ここまで)|title=木村達郎 ラストボンド |url=http://bond-mag.jp/interview/1719.html |publisher=BOND |date=2016年11月28日 |accessdate=2017年07月09日 }}</ref>。初年度は地区最下位に加え経営危機にも見舞われたが、2年目にリーグ優勝、3年目に単年度黒字を達成し、[[bjリーグ]]では4度のリーグ優勝を記録した<ref name="tsukubaway" /><ref name="bond" />。[[2016年]]にbjリーグと[[ナショナル・バスケットボール・リーグ (日本)|NBL]]が統合して発足したプロバスケットボールリーグ[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]でも毎年のようにB1チャンピオンシップに出場するなど強豪クラブとして育て上げ、[[2022年]]には悲願だったB1ファイナルへ進出を果たした。2022年6月1日に経営権を[[プロトコーポレーション]]の子会社・[[プロトソリューション]]へ譲渡により、6月30日に社長を勇退した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://basketballking.jp/news/japan/b1/20220601/375860.html |title=琉球が経営体制の変更を発表...株式会社プロトソリューションが経営に参画、木村達郎社長は退任へ|publisher=バスケットボールキング|date=2021年6月1日|accessdate=2021年8月24日}}</ref>。
[[2005年]]の[[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]発足を機に、プロバスケットボールチーム設立活動を主導。沖縄に単身で渡り、地元バスケットボール関係者から支援得て大塚泰造とともに「[[琉球ゴールデンキングス]]」を創設<ref name="tsukubaway" />。[[2006年]]に代表取締役[[ゼネラルマネージャー|GM]]就任<ref name="bond">{{Cite web(追記) |和書 (追記ここまで)|title=木村達郎 ラストボンド |url=http://bond-mag.jp/interview/1719.html |publisher=BOND |date=2016年11月28日 |accessdate=2017年07月09日 }}</ref>。初年度は地区最下位に加え経営危機にも見舞われたが、2年目にリーグ優勝、3年目に単年度黒字を達成し、[[bjリーグ]]では4度のリーグ優勝を記録した<ref name="tsukubaway" /><ref name="bond" />。[[2016年]]にbjリーグと[[ナショナル・バスケットボール・リーグ (日本)|NBL]]が統合して発足したプロバスケットボールリーグ[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]でも毎年のようにB1チャンピオンシップに出場するなど強豪クラブとして育て上げ、[[2022年]]には悲願だったB1ファイナルへ進出を果たした。2022年6月1日に経営権を[[プロトコーポレーション]]の子会社・[[プロトソリューション]]へ譲渡により、6月30日に社長を勇退した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://basketballking.jp/news/japan/b1/20220601/375860.html |title=琉球が経営体制の変更を発表...株式会社プロトソリューションが経営に参画、木村達郎社長は退任へ|publisher=バスケットボールキング|date=2021年6月1日|accessdate=2021年8月24日}}</ref>。


国内での活動に留まらず、韓国・台湾・中国のプロチームとの国際試合も実現し、バスケットボールを通じた親善活動ならびに観光立県沖縄への貢献に努めている。沖縄県全域を活動拠点としているが、[[石垣島]]での公式戦開催や[[宮古島]]でのキャンプ、[[久米島]]・[[粟国島]]・[[北大東島]]・[[南大東島]]でのクリニックなど、離島での活動実績もある。
国内での活動に留まらず、韓国・台湾・中国のプロチームとの国際試合も実現し、バスケットボールを通じた親善活動ならびに観光立県沖縄への貢献に努めている。沖縄県全域を活動拠点としているが、[[石垣島]]での公式戦開催や[[宮古島]]でのキャンプ、[[久米島]]・[[粟国島]]・[[北大東島]]・[[南大東島]]でのクリニックなど、離島での活動実績もある。

2023年11月24日 (金) 02:51時点における版

きむら たつろう

木村 達郎
生誕 (1973年06月15日) 1973年 6月15日(51歳)
東京都 渋谷区
国籍 日本の旗 日本
出身校 筑波大学体育専門学群
職業 企業経営者
肩書き 沖縄バスケットボールボール株式会社代表取締役
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木村 達郎(きむら たつろう、1973年 6月15日 [1] - )は、日本実業家沖縄バスケットボール株式会社代表取締役社長兼ゼネラルマネージャー東京都 渋谷区出身[2]

経歴

中学でバスケットボールを始め、戸山高校から筑波大学で選手として活動[2]

卒業後、エマーソン大学留学し修士課程を修了 [2]

帰国後は、NHK情報ネットワークに入社し、スポーツ映像制作を担当[2]

2005年bjリーグ発足を機に、プロバスケットボールチーム設立活動を主導。沖縄に単身で渡り、地元バスケットボール関係者から支援得て大塚泰造とともに「琉球ゴールデンキングス」を創設[2] 2006年に代表取締役GM就任[3] 。初年度は地区最下位に加え経営危機にも見舞われたが、2年目にリーグ優勝、3年目に単年度黒字を達成し、bjリーグでは4度のリーグ優勝を記録した[2] [3] 2016年にbjリーグとNBLが統合して発足したプロバスケットボールリーグBリーグでも毎年のようにB1チャンピオンシップに出場するなど強豪クラブとして育て上げ、2022年には悲願だったB1ファイナルへ進出を果たした。2022年6月1日に経営権をプロトコーポレーションの子会社・プロトソリューションへ譲渡により、6月30日に社長を勇退した[4]

国内での活動に留まらず、韓国・台湾・中国のプロチームとの国際試合も実現し、バスケットボールを通じた親善活動ならびに観光立県沖縄への貢献に努めている。沖縄県全域を活動拠点としているが、石垣島での公式戦開催や宮古島でのキャンプ、久米島粟国島北大東島南大東島でのクリニックなど、離島での活動実績もある。

球団運営指針は「沖縄をもっと元気に!」。勝利の為だけでなく、球団運営を通じて「スポーツ」の潜在的可能性を最大限に発揮し、人々と地域社会を活気づけることを常に念頭において活動している[5]

著書

  • 「琉球キングスの奇跡」(学研)

脚注

  1. ^ 琉球ゴールデンキングスの奇跡
  2. ^ a b c d e f "スポーツを大きな産業にするために旗を振る". TSUKUBA WAY (2016年9月19日). 2017年7月9日閲覧。
  3. ^ a b "木村達郎 ラストボンド". BOND (2016年11月28日). 2017年7月9日閲覧。
  4. ^ 琉球が経営体制の変更を発表...株式会社プロトソリューションが経営に参画、木村達郎社長は退任へ』(プレスリリース)バスケットボールキング、2021年6月1日https://basketballking.jp/news/japan/b1/20220601/375860.html 2021年8月24日閲覧 
  5. ^ プロフィール』(プレスリリース)公式サイトhttp://www.tatsurokimura.com/profile 2017年9月4日閲覧 

外部リンク

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