コンテンツにスキップ
Wikipedia

「岡元鳳」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
11行目: 11行目:
岡元鳳撰・[[橘国雄]]画『毛詩品物図攷』(もうしひんぶつずこう)は、[[詩経]][[名物学]]の書物{{Sfn|慶應義塾大学附属研究所斯道文庫|2010|p=46}}。[[1784年]]([[天明]]4年)成立{{Sfn|原田|2018|p=49}}。
岡元鳳撰・[[橘国雄]]画『毛詩品物図攷』(もうしひんぶつずこう)は、[[詩経]][[名物学]]の書物{{Sfn|慶應義塾大学附属研究所斯道文庫|2010|p=46}}。[[1784年]]([[天明]]4年)成立{{Sfn|原田|2018|p=49}}。


『詩経』中の動植物を草・木・鳥・獣・虫・魚の6種に分け、計224の動植物の図、諸書の記載、考証、[[和名]]を付す{{Sfn|原田|2018|p=52}}。特徴として、同種の先行書のように既存の図を襲用することが少なく、独自の図が多い点が挙げられる<ref name=":1">{{Cite web(削除) (削除ここまで)|title=『毛詩品物図攷』 |url=https://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/vm/asia/2021/11/a1-1-1.html |website=めぐりあいアジア―芸術の移動・想像・創成― |date=2021年11月22日 |access-date=2023年09月02日 |language=ja}}</ref>。
『詩経』中の動植物を草・木・鳥・獣・虫・魚の6種に分け、計224の動植物の図、諸書の記載、考証、[[和名]]を付す{{Sfn|原田|2018|p=52}}。特徴として、同種の先行書のように既存の図を襲用することが少なく、独自の図が多い点が挙げられる<ref name=":1">{{Cite web(追記) |和書 (追記ここまで)|title=『毛詩品物図攷』 |url=https://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/vm/asia/2021/11/a1-1-1.html |website=めぐりあいアジア―芸術の移動・想像・創成― |date=2021年11月22日 |access-date=2023年09月02日 |language=ja}}</ref>。


「[[wikt:鼉|鼉]]」の図として、舶来の[[ワニ]][[標本 (分類学)|標本]]の図を載せている{{Sfn|原田|2018|p=52}}。これは[[平賀源内]]『物類品隲』に描かれた[[田村藍水]]所有の標本の図を襲用したものである{{Sfn|原田|2018|p=52}}。
「[[wikt:鼉|鼉]]」の図として、舶来の[[ワニ]][[標本 (分類学)|標本]]の図を載せている{{Sfn|原田|2018|p=52}}。これは[[平賀源内]]『物類品隲』に描かれた[[田村藍水]]所有の標本の図を襲用したものである{{Sfn|原田|2018|p=52}}。

2023年11月20日 (月) 09:48時点における版

岡 元鳳(おか げんぽう[1] 1737年元文2年〉 - 1787年2月5日〈天明6年12月18日[2] )は、江戸時代中期大阪儒者 [2] 儒医 [2] 本草学者 [1] 漢詩人 [2] 。主著『毛詩品物図攷』は詩経 名物学図譜であり、末の中国でも読まれた[1] [3]

元鳳はは公翼。通称に慈庵・尚達・元達。に白洲(岡白洲[4] )・魯庵(岡魯庵[2] )・澹齋・隔九所。

人物

河内(現大阪府)の人[2] 本草学物産学に通じ、自邸で薬草を栽培した[2] 片山北海が結成した漢詩結社「混沌社」に参加し、葛子琴とともに名を馳せた[2] 。師に菅甘谷 [2] 、医術の門人に岡它山 [5] 宮地太仲 [6] がいる。

著作

毛詩品物図攷

岡元鳳撰・橘国雄画『毛詩品物図攷』(もうしひんぶつずこう)は、詩経 名物学の書物[1] 1784年(天明4年)成立[7]

『詩経』中の動植物を草・木・鳥・獣・虫・魚の6種に分け、計224の動植物の図、諸書の記載、考証、和名を付す[8] 。特徴として、同種の先行書のように既存の図を襲用することが少なく、独自の図が多い点が挙げられる[9]

」の図として、舶来のワニ 標本の図を載せている[8] 。これは平賀源内『物類品隲』に描かれた田村藍水所有の標本の図を襲用したものである[8]

伝本によっては那波師曾柴野栗山の序、木村蒹葭堂の跋、須原屋茂兵衛らの名を記した刊記が付されている[8] 版木が現存し奈良大学博物館に所蔵されている[9]

本書はシーボルトの蒐書目録にも含まれている[3] 。また、清末民初 中国の書店石印本として度々翻刻された[1] [9] 。石印本では戴兆春 (中国語版)の序が付され、和名が削除されている[1]

その他

  • 離騒名物考』
  • 『刀圭余録』
  • 『蘭説海生図品』
  • 『香橘窩集』
  • 『鞭草筆記』[4]

脚注

  1. ^ a b c d e f 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 2010, p. 46.
  2. ^ a b c d e f g h i 岡魯庵』 - コトバンク
  3. ^ a b 陳 2015, p. 291.
  4. ^ a b 近藤 1985, p. 88.
  5. ^ 岡它山』 - コトバンク
  6. ^ 宮地太仲』 - コトバンク
  7. ^ 原田 2018, p. 49.
  8. ^ a b c d 原田 2018, p. 52.
  9. ^ a b c "『毛詩品物図攷』". めぐりあいアジア―芸術の移動・想像・創成― (2021年11月22日). 2023年9月2日閲覧。

参考文献

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /