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== 経歴・人物 ==
== 経歴・人物 ==
[[秋田県]][[能代市]]出身。[[能代市立渟城第二小学校]]、秋田県立能代中学校(後に秋田県立能代南高等学校、[[秋田県立能代高等学校]]と改称)、[[東京教育大学]](後に[[筑波大学]]と改称)を経て、[[慶應義塾大学]]に入学する<ref name="noshiro-h">{{Cite web |url=http://www.noshiro-h.akita-pref.ed.jp/enkaku.html |title=沿革 |publisher=秋田県立能代高等学校 |date= |accessdate=2019年10月10日}}</ref><ref name="nittai">{{Cite web |url=https://www.nittai.ac.jp/club/a-gymnastics/eikou/eikou-inkare.html |title=日本体育大学体操競技部 栄光の記録 全日本学生体操競技選手権大会 |publisher=日本体育大学体操競技部 |date= |accessdate=2019年10月10日}}</ref><ref name=":0" />。能代中学校時代、[[第1回国民体育大会]]において、中等学校男子個人総合優勝(2位は同中学後輩の[[小野喬]])<ref>{{Cite web |url=http://www.noshiro-h.akita-pref.ed.jp/bukatu.pdf |title=部活動の成績(全国大会参加一覧) |access-date=2023年10月05日 |publisher=秋田県立能代高等学校}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/images/archives/01_kokutai.pdf |title=国民体育大会 |access-date=2023年10月05日 |publisher=JSPO(公益財団法人日本スポーツ協会)}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.joc.or.jp/column/athleteinterview/legend/04ono/index_txt.html |title=Japanese Olympian Spirits シリーズ第四回:小野喬・清子 |access-date=2023年10月05日 |publisher=公益財団法人 日本オリンピック委員会}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://nhs.cool.coocan.jp/newsletter/200919all.pdf |title=能代高校東京同窓会会報 第19号 |access-date=2023年10月05日 |publisher=能代高校東京同窓会}}</ref>。[[東京教育大学]]在学中、第3回及び第4回[[全日本学生体操競技選手権大会]]の個人総合選手権において優勝。[[第5回国民体育大会]]、[[第8回国民体育大会]]において一般男子団体優勝。[[慶應義塾大学]]在学中、日本が戦後初めて参加した[[1952年ヘルシンキオリンピック]]に出場し、団体総合で5位入賞を果たした<ref name="jpn-gym" /><ref name="SportsRef">{{Cite web |url=https://www.sports-reference.com/olympics/athletes/na/tetsumi-nabeya-1.html |title=Tetsumi Nabeya Olympic Results|publisher=[[Sports Reference]] LLC|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200417072201/https://www.sports-reference.com/olympics/athletes/na/tetsumi-nabeya-1.html|archivedate=2020年04月17日|accessdate=26 July 2019|deadlink=2020年05月14日}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=歴史ポケットスポーツ新聞オリンピック|date=2008年1月29日|year=2008|publisher=大空出版|page=61|author=菅原悦子}}</ref><ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.joc.or.jp/games/olympic/winnerslist/summer/015.html |title=大会別日本代表選手 入賞者一覧:1952年ヘルシンキ大会 |access-date=2022年07月20日 |publisher=公益財団法人 日本オリンピック委員会}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.shirakami.or.jp/~noshirohs-dousou/kinenshi/70/70_114nabeya.PDF |title=鍋谷鐵巳「一回だけの練習ではいけない」 |access-date=2023年11月05日 |publisher=能代高校同窓会}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://nhs.cool.coocan.jp/newsletter/2008all.pdf |title=能代高校東京同窓会会報 第18号 |access-date=2023年11月05日 |publisher=能代高校東京同窓会}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.keio.ac.jp/ja/student-life/olympics.html |title=慶應義塾のオリンピック・パラリンピック選手 |access-date=2023年10月05日 |publisher=慶應義塾大学}}</ref>。日本が[[世界体操競技選手権]]に初めて参加した1954年ローマ大会では、団体総合で銀メダルを獲得した<ref name="jpn-gym" />。
[[秋田県]][[能代市]]出身。[[秋田県立能代高等学校|秋田県立能代南高等学校]]を経て<ref name="noshiro-h">{{Cite web|url=http://www.noshiro-h.akita-pref.ed.jp/enkaku.html|title=沿革|publisher=秋田県立能代高等学校|date=|accessdate=2019年10月10日}}</ref>、[[東京教育大学]]に入学する<ref name="nittai">{{Cite web|url=https://www.nittai.ac.jp/club/a-gymnastics/eikou/eikou-inkare.html|title=日本体育大学体操競技部 栄光の記録 全日本学生体操競技選手権大会|publisher=日本体育大学体操競技部|date=|accessdate=2019年10月10日}}</ref>。
[[1952年ヘルシンキオリンピック]]に出場し、団体総合で5位入賞を果たした<ref name="jpn-gym" /><ref name="SportsRef">{{Cite web |url=https://www.sports-reference.com/olympics/athletes/na/tetsumi-nabeya-1.html |title=Tetsumi Nabeya Olympic Results|publisher=[[Sports Reference]] LLC|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200417072201/https://www.sports-reference.com/olympics/athletes/na/tetsumi-nabeya-1.html|archivedate=2020年04月17日|accessdate=26 July 2019|deadlink=2020年05月14日}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=歴史ポケットスポーツ新聞オリンピック|date=2008年1月29日|year=2008|publisher=大空出版|page=61|author=菅原悦子}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.joc.or.jp/games/olympic/winnerslist/summer/015.html |title=大会別日本代表選手 入賞者一覧:1952年ヘルシンキ大会 |access-date=2022年07月20日 |publisher=公益財団法人 日本オリンピック委員会}}</ref>。1954年[[世界体操競技選手権|世界選手権]]ローマ大会では日本初の団体総合で銀メダルを獲得した<ref name="jpn-gym" />。
引退後は[[日本体操協会]]参与などを歴任する<ref name="jpn-gym"/>。[[2010年]]([[平成]]22年)4月、[[肝癌|肝臓がん]]のため死去した<ref name="mainichi"/>。
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2023年10月5日 (木) 04:53時点における版
個人情報 | |
---|---|
国籍 | 日本の旗 日本 |
生誕 | (1930年01月02日) 1930年 1月2日 日本の旗 日本 秋田県 能代市 |
死去 | 2010年 4月4日 (2010年04月04日)(80歳没) 日本の旗 日本 神奈川県 鎌倉市 [1] |
スポーツ | |
競技 | 体操 |
鍋谷 鐵巳(なべや てつみ、1930年(昭和5年)1月2日 - 2010年(平成22年)4月4日 [2] )は、元体操選手。
経歴・人物
秋田県 能代市出身。能代市立渟城第二小学校、秋田県立能代中学校(後に秋田県立能代南高等学校、秋田県立能代高等学校と改称)、東京教育大学(後に筑波大学と改称)を経て、慶應義塾大学に入学する[3] [4] [5] 。能代中学校時代、第1回国民体育大会において、中等学校男子個人総合優勝(2位は同中学後輩の小野喬)[6] [7] [8] [9] 。東京教育大学在学中、第3回及び第4回全日本学生体操競技選手権大会の個人総合選手権において優勝。第5回国民体育大会、第8回国民体育大会において一般男子団体優勝。慶應義塾大学在学中、日本が戦後初めて参加した1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、団体総合で5位入賞を果たした[2] [10] [11] [5] [12] [13] [14] 。日本が世界体操競技選手権に初めて参加した1954年ローマ大会では、団体総合で銀メダルを獲得した[2] 。
引退後は日本体操協会参与などを歴任する[2] 。2010年(平成22年)4月、肝臓がんのため死去した[1] 。
脚注
- ^ a b 『<訃報>鍋谷鉄巳さん80歳=元体操五輪選手』毎日新聞、平成22年4月8日朝刊。
- ^ a b c d "訃報、鍋谷鐵巳参与". 公益財団法人日本体操協会 (2010年4月5日). 2019年10月10日閲覧。
- ^ "沿革". 秋田県立能代高等学校. 2019年10月10日閲覧。
- ^ "日本体育大学体操競技部 栄光の記録 全日本学生体操競技選手権大会". 日本体育大学体操競技部. 2019年10月10日閲覧。
- ^ a b "大会別日本代表選手 入賞者一覧:1952年ヘルシンキ大会". 公益財団法人 日本オリンピック委員会. 2022年7月20日閲覧。
- ^ "部活動の成績(全国大会参加一覧)". 秋田県立能代高等学校. 2023年10月5日閲覧。
- ^ "国民体育大会". JSPO(公益財団法人日本スポーツ協会). 2023年10月5日閲覧。
- ^ "Japanese Olympian Spirits シリーズ第四回:小野喬・清子". 公益財団法人 日本オリンピック委員会. 2023年10月5日閲覧。
- ^ "能代高校東京同窓会会報 第19号". 能代高校東京同窓会. 2023年10月5日閲覧。
- ^ "Tetsumi Nabeya Olympic Results". Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。26 July 2019閲覧。
- ^ 菅原悦子『歴史ポケットスポーツ新聞オリンピック』大空出版、2008年1月29日、61頁。
- ^ "鍋谷鐵巳「一回だけの練習ではいけない」". 能代高校同窓会. 2023年11月5日閲覧。
- ^ "能代高校東京同窓会会報 第18号". 能代高校東京同窓会. 2023年11月5日閲覧。
- ^ "慶應義塾のオリンピック・パラリンピック選手". 慶應義塾大学. 2023年10月5日閲覧。
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