「鬼怒川」の版間の差分
2006年12月22日 (金) 10:32時点における版
鬼怒川
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水系 | 利根川水系 |
延長 | 177 km |
水源の標高 | - m |
平均流量 | - m3/s |
流域面積 | 1760 km2 |
水源 | 鬼怒沼(栃木県) |
河口 | 利根川(茨城県・千葉県) |
流域 | 栃木県・茨城県 |
鬼怒川(きぬがわ)は関東平野を北から南へと流れ、利根川に合流する一級河川。全長176.7km(利根川の支流中第1位)、流域面積約1,760km。古くから、洪水をおこす「あばれ川」として知られている。近世になって鬼怒川の文字が当てられるようになったが、それまでは毛野国(栃木・群馬の旧国名)を流れる「毛野川」であった。字義は「鬼が怒ったように流れる暴れ川」といわれる。
地理
日光国立公園内にある栃木県 日光市の鬼怒沼(奥鬼怒)を水源とし、多数の川を合わせ、茨城県 守谷市と千葉県 野田市、柏市の境で利根川へ合流している。流域は栃木県、茨城県の2県。
歴史
現在、利根川・渡良瀬川・鬼怒川は利根川一本に合流して銚子で太平洋に注ぐが、元来利根川の下流部(常陸利根川)は江戸時代初期までは毛野川の下流部であり、古来利根川・渡良瀬川はそれぞれ別個に江戸湾(現在の東京湾)に注ぐ川だったと言われる。江戸の街を利根川等の水害から守り、関東平野の新田開発を推進するため、また江戸と北関東以北を舟運で結び流通を闊達化するため、江戸時代初期に徳川家康の号令で利根川を渡良瀬川水系や・鬼怒川水系とつなぐ瀬替え(利根川東遷(とうせん=東に移す)事業)が始まり、さまざまな工事を経て、利根川の本流は銚子の方へ流れるようになった。なお、利根川水系や渡良瀬川水系は洪水によって流路がしばしば変化していたうえ、東遷事業などに伴う水路の開削・閉鎖が複雑に行われたため、東遷以前の河川を現在の河川と比較対照させるのは難しい。
鬼怒川はかつて毛野川と呼ばれ、古代・毛野川流域には毛野国が成立し、下毛野氏はヤマト王権の中でも一定の発言権を有していたと言われ、下毛野古麻呂は藤原不比等らとともに、大宝律令(701年)の編纂や下野薬師寺の建立に関わった。下野薬師寺は東大寺(ヤマト)、観世音寺(筑紫)とともに国立三戒壇の一つに指定され、奈良の法隆寺と同等の伽藍を有したと言われる。当寺の修行僧であった勝道上人は毛野川上流に日光山を開山したと言われる。鎌倉時代以降は下毛野氏の流れを汲む藤原北家 道兼流・宇都宮氏が鬼怒川流域一帯を治め、安土桃山時代後期以降は主に清和源氏流を称する諸氏が支配し現在に至る。