「倉敷市交通局」の版間の差分
2023年2月18日 (土) 14:25時点における版
倉敷市交通局(くらしきしこうつうきょく、英語:Kurashiki City Transportation Bureau)は、かつて岡山県 倉敷市が運営していた地方公営企業。鉄道事業とバス事業を運営していた[1] [2] 。
概要
倉敷市交通局は1952年(昭和27年)4月1日に発足[1] [2] 、鉄道事業とバス事業を開始。本社とバス営業所は現在の水島清掃工場(倉敷市水島川崎通1丁目1−4)、鉄道車庫は水島港湾合同庁舎の北、鉄道高架が横切る現在のボートパーク(水島福崎町5)にあった。
1989年(平成元年)3月31日まで公営バスとして倉敷市営バスを運行していた[1] [2] [3] 。鉄道事業についてはそれに先立ち、1970年(昭和45年)に水島臨海鉄道へ譲渡している。
年表
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 倉敷市交通局が発足[1] [2] 。水島工業都市開発から鉄道・バスの両事業を譲受して運行開始。
- 1970年(昭和45年)- 鉄道事業を倉敷市・岡山県・日本国有鉄道出資による第三セクターの水島臨海鉄道に譲渡。
- 1989年(平成元年)3月31日 - 倉敷市営バスの運行を終了、倉敷市交通局は組織を解散[1] [2] [3] 。倉敷市営バスの乗合バス事業は両備バス(現・両備ホールディングス)と下津井電鉄、貸切バス事業は下津井電鉄(現・下電観光バス)と野村交通へ引き継がれた。
略称
略称として、倉敷市営、倉敷交通局などと呼ばれた。
鉄道部門は略称として、倉敷市交通局鉄道、倉敷市鉄道、倉敷市営鉄道、市営鉄道、倉敷鉄道、などと呼ばれていた。
バス部門は略称として、倉敷市営バス、倉敷市バス、あるいは単に市営バス・市バスなどと呼ばれていた。
鉄道事業
現在の水島臨海鉄道水島本線にあたる倉敷市駅 - 水島港駅間、水島駅 - 川鉄前駅間、西埠頭線にあたる水島港駅 - 西埠頭駅間、港東線にあたる水島駅 - 日鉱前駅間を運営していた。なお、倉敷市営当時は倉敷市駅 - 水島港駅 - 西埠頭駅間が本線であった。詳細は各路線記事を参照されたい。
バス事業
倉敷市営バスの路線バスは、主に同市内の倉敷地域と水島地域を営業エリアとしていた。
廃止時の路線
1989年時点のバス路線
1960年代の路線
1968年当時のバス路線[4]
- 水島線:倉敷駅前 - 中島口 - 小溝 - 江長十字路 - 水島駅前・ガス会社前・水島港・三菱東門・連島町・三菱石油前・日本鉱業前・広江団地・川鉄南門・フェリー前・西埠頭・関東電化
- 浅原線:倉敷駅前 - 幸町 - 立石 - 浅原大教会前
- 三田線:倉敷駅前 - 幸町 - 立石 - 三田
- 中庄線:倉敷駅前 - 幸町 - 黒崎 - 鳥羽 - 徳芳中 - 東栗坂
- 藤戸線:倉敷駅前 - 中央病院(現倉敷中央病院前)- 有城 - 粒江 - 藤戸口
- 市役所前[注釈 1] - 中島口 - 小溝 - 江長十字路 - 西岡崎・ガス会社前・三菱東門・三菱石油前・関東電化
- 市役所出張所[注釈 2] - 日鉱前
- 市役所出張所 - 関東電化
- 水島駅前 - 広江団地
- 日鉱前 - 広江団地
関連項目
- 倉敷市#交通
- 公営バス#消滅した事業者
- 水島臨海鉄道 - 鉄道事業を譲渡
- 両備ホールディングス - バス事業を継承
- 下津井電鉄 / 下電観光バス - バス事業を継承
- 野村交通 - バス事業を継承
脚注
注釈
出典
参考文献
- 竹下昌三 編『〔倉敷市交通局〕局史』倉敷市交通局発行、1969年9月。
- 倉敷市交通局 編『市営バスの記録』倉敷市交通局発行、1989年。
- 『バス・ジャパン』No.12「特集:ダブルデッカー'89/さようなら倉敷市営バス」BJエディターズ/星雲社、1989年4月1日。ISBN 4-7952-7767-2
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