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[[天明]]3年(1783年)村民の要望で自宅に寺子屋を開き、8.9歳から16,7歳までの生徒に読み書きを教えたほか{{sfn|有馬|2004|pp=279-280}}、旗本[[小笠原氏|小笠原家]]侍講として[[伊豆木陣屋]]にも出入りした{{sfn|有馬|2004|pp=279-280}}。
[[天明]]3年(1783年)村民の要望で自宅に寺子屋を開き、8.9歳から16,7歳までの生徒に読み書きを教えたほか{{sfn|有馬|2004|pp=279-280}}、旗本[[小笠原氏|小笠原家]]侍講として[[伊豆木陣屋]]にも出入りした{{sfn|有馬|2004|pp=279-280}}。


分家した屋敷の庭には花卉に加え、薬の製作、研究のため薬草を植え、百華園と号した{{sfn|有馬|2004|pp=279-280}}。[[天明の大飢饉]]の被害が村にも及ぶと、[[救荒]]作物として[[甘藷]]の栽培を試み、[[文化 (元号)|文化]]元年(1804年)試作に成功すると、老農園蔵に分け与えて栽培、普及させ、村の名産とした{{sfn|有馬|2004|pp=277-288}}。
分家した屋敷の庭には花卉に加え、薬の製作、研究のため薬草を植え、百華園と号した{{sfn|有馬|2004|pp=279-280}}。[[天明の大飢饉]]の被害が村にも及ぶと、[[救荒]]作物として[[(追記) サツマイモ| (追記ここまで)甘藷]]の栽培を試み、[[文化 (元号)|文化]]元年(1804年)試作に成功すると、老農園蔵に分け与えて栽培、普及させ、村の名産とした{{sfn|有馬|2004|pp=277-288}}。


[[文政]]10年(1827年)[[関島良致|良致]]を養子に取って医学を学ばせ、[[天保]]4年(1833年)5月25日死去した{{sfn|有馬|2004|pp=277-288}}。法名は百華園興道良基居士{{sfn|有馬|2004|pp=277-288}}。
[[文政]]10年(1827年)[[関島良致|良致]]を養子に取って医学を学ばせ、[[天保]]4年(1833年)5月25日死去した{{sfn|有馬|2004|pp=277-288}}。法名は百華園興道良基居士{{sfn|有馬|2004|pp=277-288}}。

2022年5月5日 (木) 08:11時点における最新版

関島 良基(せきじま りょうき、宝暦9年(1759年) - 天保4年5月25日(1833年 7月12日))は江戸時代信濃国の医師、手習師匠。幼名は長二郎、字は良輔、号は百華園[1]

生涯

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宝暦9年(1759年)信濃国 伊那郡 下川路村 庄屋大上関島家に生まれた[1] 。十数歳で大瀬木村寒山禅師に句読を学んだ[1] 。医者だった伯父榎本宗琳、舅佐々木玄仲の影響で、18歳で村医常盤某に従い、安永元年(1772年)京都で鎌田玄琳に古方派医学を学んだ[1] 。安永2年(1773年)父が眼病に罹ったため帰郷し、医業を開始した[1]

天明3年(1783年)村民の要望で自宅に寺子屋を開き、8.9歳から16,7歳までの生徒に読み書きを教えたほか[2] 、旗本小笠原家侍講として伊豆木陣屋にも出入りした[2]

分家した屋敷の庭には花卉に加え、薬の製作、研究のため薬草を植え、百華園と号した[2] 天明の大飢饉の被害が村にも及ぶと、救荒作物として甘藷の栽培を試み、文化元年(1804年)試作に成功すると、老農園蔵に分け与えて栽培、普及させ、村の名産とした[1]

文政10年(1827年)良致を養子に取って医学を学ばせ、天保4年(1833年)5月25日死去した[1] 。法名は百華園興道良基居士[1]

著書

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  • 『百華園漫筆』[1]
  • 『杜鵑集』[1]
  • 『長生成功論』[1]

家族

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  • 8世祖:関島八郎兵衛尉種基 - 松尾城小笠原信貴に仕え、下川路村に住んだ[3]
  • 7世祖:関島善左衛門道秀 - 小笠原家の本庄藩転封に従わずに村に留まり、後剃髪した[3]
  • 父:関島善左衛門種模[3]
  • 母:佐々木氏[3]
  • 兄:関島新右衛門種孚 - 大上家を継いだ[1]
  • 妻:久保田氏[4]
  • 養子:関島良致 - 文政10年(1827年)縁組。百華園を継いだ[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 有馬 2004, pp. 277–288.
  2. ^ a b c 有馬 2004, pp. 279–280.
  3. ^ a b c d 有馬 2004, pp. 294.
  4. ^ 有馬 2004, pp. 295.

参考文献

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