「スラップ」の版間の差分
2020年10月15日 (木) 09:23時点における版
スラップ(英: SLAPP、strategic lawsuit against public participation)とは、訴訟の形態の一つで、社会的にみて「比較強者(社会的地位の高い政治家、大企業および役員など)ーが、社会的にみて「比較弱者(社会的地位の低い個人・市民・被害者)」など、公の場での発言や政府・自治体などへの対応を求める行動が起こせない者)を相手取り、言論の封圧や威嚇を目的として行われるものを言う。恫喝訴訟、威圧訴訟、批判的言論威嚇目的訴訟などとも訳される。
原語を直訳すると「市民参加を排除するための戦略的訴訟」というような意味になるが、これは頭字語のSLAPPと、平手打ちを意味する「slap」をかけた呼称である。
概説
スラップは、社会的地位や経済的な余裕のある比較強者が原告となり、比較弱者を被告とすることで恫喝的に訴訟を提起することが多い。
実際に比較強者が訴訟を提起した場合、被告側たる比較弱者には、法廷準備費用や時間的拘束[1] などの負担を強いられるため、訴えられた本人だけでなく、訴えられることを恐れ、被告以外の市民・被害者やメディアの言論や行動等の委縮、さらには被害者の泣き寝入りを誘発すること、証人の確保さえ難しくなる。
したがって原告は、仮に敗訴してもスラップの主目的たる嫌がらせを容易に達成できる。
スラップにおいては、原告よりも経済力の劣る個人が標的になるが、あえて批判するメディアを訴えず、取材対象者である市民を訴える例もある。そのため、欧米を中心に、表現の自由を揺るがす行為として問題化しており、スラップを禁じる法律を制定した自治体もある。
アメリカ合衆国 カリフォルニア州では、「反SLAPP法」という州法に基づき、被告側が原告側の提訴をスラップであると反論して認められれば公訴は棄却され、訴訟費用の負担義務は原告側に課される[2] 。
日本での動き
日本でも、2000年頃から企業が「業務妨害」や「名誉毀損」などを口実とした訴訟の形式をとり、企業・団体と、その問題性を告発する市民や被害者、支援団体、弁護士、ジャーナリストらを相手取り、高額な損害賠償を求める民事訴訟が乱発されるようになった。
市民・被害者側、ジャーナリスト側でこれらの形態の訴訟の社会問題性が認識されるようになり、このスラップという概念を浸透させる動きが見られているが、日本の用語としては定着途上の段階である。
実際の訴訟においてスラップが成立し得る基準(後述)は存在するものの、日本国内ではあまり知られておらず、実際に訴訟を提起した場合、被告側が原告側に対し「これはスラップ訴訟だ」と反論するのみにとどまっている。
成立しうる基準
共にデンバー大学教授のジョージ・W・プリングとペネロペ・キャナンは、スラップが成立し得る基準として以下の4要素が含まれることを挙げている[3] 。
- 提訴や告発など、政府・自治体などが権力を発動するよう働きかけること
- 働きかけが民事訴訟の形を取ること
- 巨大企業・政府・地方公共団体が原告になり、個人や民間団体を被告として提訴されること
- 公共の利益や社会的意義にかかわる重要な問題を争点としていること
実例
スラップであるとの報道または主張がなされている例。
日本
- 幸福の科学事件(幸福の科学による8億円損害賠償請求訴訟)[4] [5] [6]
- 2011年6月、甘利明が週刊ニュース新書に対し取材記者、キャスター、プロデューサーを名誉毀損で提訴した[7] 。
- オリコン・烏賀陽裁判
- 2012年、明治大学教授野中郁江の学術論文などに対し、関連投資ファンドの経営陣が5500万円の損害賠償を求めた名誉毀損訴訟[8] 。
- 2012年、大渕愛子対My News Japan記事削除仮処分申請事件。原告が訴訟を、被告が記事をそれぞれ取り下げたことで和解が成立した[9] 。
- ユニクロ(ファーストリテイリング)がユニクロの過酷な労働環境を告発した文藝春秋社『ユニクロ帝国の光と影』(横田増生著)に対し、2億2千万円の損害賠償、出版差し止め、発行済み書籍の回収を求めた裁判[10] [11] 。一審、二審、最高裁全て「真実」「真実相当性がある」としてユニクロの全面敗訴。
- 読売新聞が押し紙の問題を載せた週刊新潮とジャーナリストに対して行った訴訟[12] 。
- NHK受信料支払い拒否問題に関連して、日本放送協会に対して裁判を起こすようアドバイスした「NHKから国民を守る党」に対して日本放送協会が起こした訴訟[13] 。
- 2017年12月、文芸評論家・小川榮太郎の著書『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』によって名誉を傷つけられたとして、朝日新聞社が小川と出版元の飛鳥新社に謝罪広告掲載と5千万円の損害賠償を求めた訴訟[14] [15] 。小川は朝日の行為は典型的なスラップ訴訟であると非難した[16] 。
- 2018年11月、「NHKから国民を守る党(N国党)」の久保田学・立川市議会議員がジャーナリスト相手に起こした訴訟[17] 。2019年9月に千葉地裁松戸支部で訴訟が棄却されたうえ、提訴自体が不法行為になるとして久保田にジャーナリスト側の弁護士費用を含む約78万5000円の支払いを命じた。N国・立花孝志党首自身がスラップ訴訟と認めている上、判決でも立花の関与を指摘し、立花が「お金をもらうためでなく、経済的ダメージを与えるためのスラップ訴訟だ」と発言したことも踏まえ、スラップ訴訟であることが認められた[18] [19] [20] 。久保田はこれを不服として東京高等裁判所に控訴、ジャーナリストに200万円の賠償を求めたが、2020年3月4日、東京高裁は一審判決を支持する判断を示し、久保田に控訴審の弁護士費用等を含む94万5600円をジャーナリスト側に支払うよう命じた[21] 。
- 2019年2月、希望の塾の会計問題を巡って音喜多駿には責任があるとブログに書いたネットユーザーに対して、音喜多が慰謝料含め総額280万円を求めた訴訟。訴えられた側は、音喜多の東京都北区長選挙の直前であることから自分への批判を封じるためのスラップ訴訟ではないか、と反論している[22] [23] 。
関連文献
- 記事『「訴訟天国」に歯止めをかける「アンチ・スラップ法」が米国で広がる理由 訴訟好きな宗教団体や有名人が嫌がらせで法に訴えることを阻止する法律が登場』、THEMIS、1996-11
- 綿貫芳源「アメリカ法曹便り アメリカにおけるSLAPP訴訟の動向」(1)-(3)『法律のひろば』、ぎょうせい、1997-04,05,06
- 関根孝道「権利のための闘争から訴訟へ--訴訟における自然享有権の主張を理由とした不法行為責任の追求〔ママ〕といわゆるSLAPP訴訟の成否について」Journal of policy studies 35 関西学院大学総合政策学部研究会 [編] 2010-07
- 烏賀陽弘道「言論封殺のSLAPPは、民主主義の破壊行為」(特集 憲法をとりまく情況)『マスコミ市民』480号、2009-01
- 「アウトルック スラップ訴訟 『反社会的な行為』という認識を広めることが重要」『週刊東洋経済』6242号、2010年01月23日
- 烏賀陽弘道「『SLAPP』とは何か--『公的意見表明の妨害を狙って提訴される民事訴訟』被害防止のために」『法律時報』2010-06
- 烏賀陽弘道「SLAPP(スラップ)とたたかう人たち--市民への口封じ訴訟」『週刊金曜日』2010年08月27日
- 烏賀陽弘道「SLAPPとたたかう人たち(上)沖縄県・高江『米軍ヘリ演習場』」『週刊金曜日』2010年11月19日 「SLAPPとたたかう人たち(下)山口県・上関町『原子力発電所』建設予定地」『週刊金曜日』2010年12月10日
- 烏賀陽弘道, 西岡研介著『俺たち訴えられました! : SLAPP裁判との闘い』河出書房新社 2010
関連項目
脚注
- ^ 行政機関および裁判所は土・日・祝日の業務(年中無休)を義務付けていないため、平日に休みを取らなければならなくなる。
- ^ 【コレって、どうなの?】Vol.85 ユニクロ「ブラック企業」問題を機に知った、野放しの「スラップ」 エフエム東京『TIME LINE』
- ^ プリングとキャナン「SLAPPs:Getting Sued for Speaking Out」Temple University Press
- ^ "「批判的言論威嚇」幸福の科学側が敗訴 100万円賠償命令/東京地裁". 読売新聞東京夕刊 (読売新聞社): p. 27. (2001年6月29日)
- ^ "弁護士「8億円提訴は威嚇」、「幸福の科学」に100万円賠償命令--東京地裁". 毎日新聞東京夕刊 (毎日新聞社): p. 15. (2001年6月29日)
- ^ "「幸福の科学」に賠償命令「提訴は言論威嚇目的」 東京地裁". 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 27. (2001年6月29日)
- ^ 甘利明元大臣、テレ東取材を中断し提訴「日本は終わりだ。もう私の知ったことではない」ビジネスジャーナル
- ^ "ファンド経営者ら研究者を高額賠償提訴 支援者「学問の自由守れ」". しんぶん赤旗 (日本共産党). (2013年6月14日). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-06-14/2013061406_01_0.html 2013年7月9日閲覧。
- ^ 渡邉正裕 (2016年8月3日). "やっと悪事が報道された大渕愛子、知っていて使い続けた日テレの罪". My News Japan (株式会社MyNewsJapan). http://www.mynewsjapan.com/reports/2271 2019年12月18日閲覧。
- ^ "ユニクロ、ブラック批判裁判で全面敗訴 過酷労働が認定、高額賠償請求で恫喝体質露呈". ビジネスジャーナル (サイゾー). (2014年12月19日). http://biz-journal.jp/2014/12/post_8329_2.html 2016年9月23日閲覧。
- ^ "ユニクロ全面敗訴に『ブラック企業』著者 「私への脅しについて謝罪してほしい」". キャリコネニュース (キャリコネ). (2014年12月25日). http://biz-journal.jp/2014/12/post_8329_2.html 2016年9月23日閲覧。
- ^ 【押し紙裁判会見】新潮社・黒藪氏敗訴「プライドがあるなら言論で主張すべき」 BLOGOS 2011年5月30日配信分(2017年9月17日閲覧)
- ^ NHKが起こしたスラップ裁判、被告「NHKから国民を守る党」に対して 損害賠償命令 MEDIA KOKUSYO 2017年7月21日配信分(2017年9月19日閲覧)
- ^ "森友・加計問題の著書巡り文芸評論家らを提訴". 朝日新聞デジタル (2017年12月25日). 2019年12月18日閲覧。
- ^ "「モリカケ検証本」朝日提訴に著者・小川榮太郎氏「言論弾圧だ」". zakzak (2017年12月26日). 2019年12月18日閲覧。
- ^ "朝日新聞による言論抹殺―前編|小川榮太郎". Hanadaプラス . 飛鳥新社 (2018年5月7日). 2019年12月18日閲覧。
- ^ "N国市議に勝訴したライター「スラップ訴訟は民主主義をぶっ壊す」". 弁護士ドットコム (2019年9月24日). 2019年9月24日閲覧。
- ^ "フリー記者への提訴は違法 N国・立川市議に賠償命令:朝日新聞デジタル". 朝日新聞デジタル (2019年9月24日). 2019年9月24日閲覧。
- ^ 日本放送協会 (2019年9月24日). "N国党立川市議に賠償命じる判決|NHK 首都圏のニュース". NHK NEWS WEB. 2019年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月25日閲覧。
- ^ 全国新聞ネット (2019年11月1日). "N国の危険な戦術、その先にあるもの ある日突然訴えられる、「スラップ」の脅威". 47 NEWS. 2019年11月7日閲覧。
- ^ "N国党「スラップ訴訟」は二審も返り討ち ライターを訴えたら逆に95万円の支払い命令". 弁護士ドットコム (2020年3月4日). 2020年3月11日閲覧。
- ^ "音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選出) (@otokita) · Twitter". 2019年12月18日閲覧。
- ^ 宮寺達也, Author: (2019年4月5日). "音喜多(おときた)駿氏から提訴された損害賠償請求訴訟のご報告と、訴訟費用の支援のお願いについて | パテントマスター・宮寺達也のブログ". 2019年12月18日閲覧。
外部リンク
- スラップ訴訟情報センター
- 批判したら訴えられた...言論封じ「スラップ訴訟」相次ぐ (朝日新聞2016年3月7日、千葉雄高記者)