「News23」の版間の差分
2006年9月22日 (金) 15:48時点における版
『筑紫哲也 NEWS23』(ちくしてつや ニュースツースリー、通称:ニュース23)とは、TBS(JNN)で1989年 10月2日から放送されている最終版のニュース 番組であり、筑紫哲也の冠番組。『真夜中のニュースランド』をキャッチフレーズにしており、平日版の「JNNニュース」の最終版を放送。
略歴
放送開始の経緯
- 22:00台に放送し社運をかけてスタートした『ニュース22プライムタイムJNN』の失敗後につなぎとして始まった『JNNニュースデスク'89』を1989年 9月に打ち切り、同年10月に、21:00以降のTBSの平日のテレビ編成の見直しと兼ねて、JNNの意地とプライドをかけて、23:00台のニュース枠新設の際に筑紫哲也をメインキャスターに編成された。
- TBSは以前からテレビの出演経験の豊富な筑紫にニュース番組のキャスターを打診していた。しかし、TBSと資本関係にない朝日新聞社に在籍していたこともあり、筑紫は円満退社を希望。それが筑紫のニューヨーク転勤を機に円満退社に向けた準備が整い、ようやくTBSの打診を受け入れた。もし筑紫が早く受け入れていたら、22時スタートの番組で裏番組に負けていたかもしれない。ちなみに、筑紫はニューヨークで朝日新聞社を退社した為、ニューヨーク滞在中は国民年金を支払わなくていいと思ったらしく、2004年の年金未納問題で騒動の渦に巻き込まれてしまうことになった。
- この番組は『JNNニュース22プライムタイム』以来の迷走がなければ誕生せず、テレビ朝日『ニュースステーション(現在、報道ステーション)』が無かったら生まれなかったと言っても過言ではなく、当初は相当ライバル意識があった。1989年秋にTBSで放送されたスペシャル番組におけるニュース23の番組紹介で、筑紫が滑稽な芸をして、見ている人を笑わせようとしたが、同時に「久米さん、あなたは笑っている場合じゃないですよ」といった宣戦布告している。開始当初のキャッチフレーズも「WE TRY HARDER」としていた。THAN以降に何があてはまるかは指摘するまでもないが、実際には系列局の半分のエリアで「ニュースステーション」は放送されていなかった。
- その後、時の経過とともにライバル意識は薄らぎ、むしろ良きライバルとなり、よく比較されたりもされた。久米宏と筑紫が共に広島東洋カープのファンだったなど、不思議な縁もある。
- 尚、『ニュースステーション』が2004年 3月26日で終了し、その日の『多事争論』で筑紫哲也が久米宏への言葉を述べた。テレビ朝日以外のニュースステーションを取り上げた番組で、ねぎらいの言葉を述べたのもこの番組くらいである。
- 後から、2005年 9月11日には、TBSで放送の第44回衆議院議員総選挙の特別番組(開票速報)『乱!総選挙2005』で、久米宏と1991年の日本シリーズ中継以来、実に14年ぶりの共演を果たした。ちなみに、『乱!総選挙2005』の視聴率は、民放で第1位だった。
初期
- 1997年 9月まで番組は2部制となっており、第1部は報道局とスポーツ局が制作するニュースと特集を放送した後、23:50から第2部を放送していた。初期には筑紫が第1部の終わりで、2部のエンディングをインストルメンタルにした音楽をバックによく「はい、今日のニュースとスポーツをお伝えしました」と言い、1部でネットを終わる局への挨拶がわりにしていた。2部では阿川佐和子、有村かおりがアシスタントを務め、後期は渡辺真理も担当した。社会情報局が主に制作し(ただし社会情報局はオウムビデオ事件を機に解体された)、インタビューからドキュメントまで幅広く扱った内容だった。基本的には、『情報デスクToday』の後継と言える。
- 幅広い内容だけに逸話もあり、『筑紫哲也の真夜中トーク』という人気コーナーは、ゲストに和田アキ子が登場した際に和田が酔って暴れたことからコーナーが終了してしまった。
- 先述の『情報デスクToday』はネット局が少なかったこともあり、当初は毎日放送(MBS)や、RKB毎日放送(RKB)といった、第2部が放送されない地域も多く存在した。その後、この第2部が評判を呼び、徐々に第2部のネット局が広がっていった。筑紫は山陰放送がネットを開始した直後の1991年10月の米子での講演で、「第2部をネットしないと講演依頼も受けない、と言ってきた」と発言し、自らネット拡大に協力していたことを明かした。ただ、MBSだけは一貫して第1部のみ放送する体制を続けた。
- 尚、番組開始時から1998年頃まではオープニング映像の後に『JNN』のクレジット表記があった。JNNのネットニュース番組は通常、番組タイトルに「JNN」を冠するが、筑紫とのダブルネームになることを避けるため、このような措置をとっていた。オープニングの直後にヘッドラインを放送するため、現在表示は行われていないが、同じくネットワーク名を冠していないテレビ朝日で放送されていた『ニュースステーション』と異なり、現在もJNNのネットニュースであることに変わりはない。
リニューアル・金曜版23
- 1997年10月に金曜以外の第2部を廃止(TBSが若者向け情報バラエティ「ワンダフル」をスタートさせたため)、テーマ曲や出演者、スタジオセットなどをリニューアルした。
- これを機に30分遅れの金曜を通称金曜版ニュース23として放送、第2部を「金曜深夜便」と改称した。金曜版ではテーマ曲がアレンジ違い(但しアレンジ版が使い始まったのは1999年から、それまでは月曜〜木曜と同様オリジナル版)であったり、文化・芸能分野に関する特集を組むことが多く、現在も続いている。
- 毎日放送にネットされない枠であるため同局に登場しない著名人を取り上げているのも特徴。インリン・オブ・ジョイトイに代表されるエロ系の知性派女性著名人、南野やじに代表される創価学会信者の芸人。最近は放送禁止用語を連発してテレビ・ラジオから締め出しを食らっている鳥肌実が登場した。
月+(マンデープラス)
- 2004年10月から月曜の第2部復活版ともいえる番組を開始。
- 2005年3月28日から、TBSが朝・昼・夕の報道・情報系生ワイド番組を大幅リニューアルしたのに伴い、「ニュース23」もタイトルロゴ、セット、テーマ曲を1997年秋以来7年半ぶりに新しいものに変更した。天気予報も全曜日で気象予報士でタレントの山田玲奈が務めている(2004年4月〜2005年3月までは金曜日のみ気象予報士の真壁京子が務めた)。
- しかし、近年は番組のマンネリ化や、前後番組の視聴率が思わしくない事から「ニュース23」を終了し、10時台にかつて裏の「ニュースステーション」のキャスターを務めていた久米宏か、現在朝の情報番組が好評なみのもんた(『みのもんたの朝ズバッ!』を夜にスライドする形)をメインキャスターとする新たな報道番組を設置するという噂が一部週刊誌で挙げられている。ただ「NHKニュース10」終了で視聴率が再び上昇しているとも言われる。
2006年秋改編の番組リニューアル(裏番組に「NEWS ZERO」(日テレ)が開始される為、それへの対抗とも思われる)で9年間出演した草野満代に代わって、同年9月25日からは、元NHK アナウンサーの膳場貴子と朝日放送出身のフリーアナウンサー山本モナが加入する事が発表された。基本的には筑紫をメーンに膳場と山本アナがアシストする形だが、その役割は膳場はスタジオ内での進行が中心で山本アナは事件、事故現場に出向く「フィールドキャスター」として出演する。
編集方針
- 番組の放送内容の構成に関しては規制は少ない。当初筑紫は「『君臨すれども統治せず』の編集長」と自らの立場を説明していたが、筑紫本人や編集担当者が関心のあるテーマを重視するため、偏向報道と批判されることがある。かつては捕鯨問題、近年は北朝鮮関連、拉致家族問題関連は放映されないか、放映されても特集になることはほとんどない。その一方で、憲法改正、自衛隊問題、靖国問題については過剰なほど特集を組むことがある。
また椎名林檎や桜井和寿(Mr.Children)などのゲストをあらゆる方面から招き入れている。
現在のタイムテーブル
月曜日のタイムテーブル
(22:54スタートとなっているが22:54同時に始まるわけではない:数秒遅れることがある)
- 22:54 オープニング・ニュース(スポーツ有り)
- 23:30頃 第一部エンディング・天気予報
- 23:35頃 第二部 マンデープラス
- 24:15頃 終了
火曜日〜木曜日のタイムテーブル
- 22:54 オープニング
- 22:55 ニュース・ニュース特集(スポーツあり)
- 23:45 エンディング・天気予報
- 23:50 終了
金曜日のタイムテーブル
- 23:30 オープニング(月〜木の音楽とはちがう)
- 23:31 ニュース・ニュース特集(スポーツあり)
- 23:55 第一部エンディング 天気予報
- 23:57 第二部 金曜深夜便
- 24:35 終了
年間テーマ
1991年から年末にその年の年間テーマを掲げ、シリーズ特集を組むことがある。
- 1991年
- ニッポンが危ない
- 1995年10月〜
- 脱
- 1998年〜
- 壊
- 1999年1月〜
- それから
- 2000年1月〜
- こころ
- 2001年1月〜
- 幸福論
- 2001年9月12日〜
- 世界が変わった日(アメリカ同時多発テロに伴う。年末までほぼ毎日放送された)
- 2002年1月〜
- 新・幸福論(幸福論に同時テロを重ね合わせた格好)
- 2003年1月〜
- この戦争の正体(イラク戦争に伴う)
- Go!Slow スローで行こう
- 2005年1月〜
- 翔
- 2006年1月〜
- 変
主なコーナー
異論!反論!OBJECTION
- 第1部と第2部の合間にあったローカルニュース枠で放送されていた街頭インタビューコーナー。ひとつのトピックをもとに街頭インタビューを行い、賛成、反対織り交ぜたさまざまな意見を紹介した。スポーツ23でこのコーナーのパロディが放送されたことがあり、全国化を果たした形となった。2部制終了後は全国枠に移行し、現在も放送している。
多事争論
- 筑紫が好きな言葉である福沢諭吉の言葉を拝借したコラムコーナー。筑紫が毛筆でテーマを書いたフリップ(ちなみに達筆である)を持ちながら90秒、筑紫の私的な意見や感想を述べるもので、「抗議の電話が多いだろうなぁ」と思いながら本番に臨むときもあるという。なお、筑紫が夏休みで番組を休んでいる場合、各日のゲストコメンテーター(毎日新聞の岸井成格編集委員や東京大学の姜尚中教授など)が「多事争論」コーナーで意見を述べている。コーナー開始前の小映像もそれぞれその日のコメンテーターが登場するものである。「多事争論」のわりに意見が一つというのは妙であるが、これを多事争論のいとぐちとすると考えるならば納得がいく。
- このコーナーの影響は大きく、ジャンルを問わず様々な番組で「多事争論」の名前を少し変え、コラムやインタビューなど色々な企画が放送されている。
主なシリーズ企画
- 年間テーマ以外にも短期集中型のシリーズ企画が数多く放送されている。話題になっているテーマに関することや現代社会を捉えるものまで多種多様。
おすぎと哲也の映画紹介
- 映画評論家おすぎと筑紫による最新映画紹介。夏休み前と年末年始前の年2回放送。金曜版23の定番企画として続いている。
CMベストテン
広告批評で知られる天野祐吉が選定。1年間のCMを総括するもので、12月の金曜日に放送される。第2部での放送が多い。
争論・大争論
2001年に「争論」と題した筑紫司会、ゲスト2人による討論企画が放送。その後、数人のゲストを呼び「大争論」と題した企画がたびたび放送されている。
それから75日
2004年から放送開始。元TBSアナウンサーで、今現在はフリージャーナリストの下村健一が担当。大きく取り扱われていたニュースが残したもの、あの時見えなかった側面などを探る。2005年4月から75日を外して、タイトルも「それから」だけとなり、月1回の放送に。
NEWS23 蛙男劇場
2006年6月16日から月1本のレギュラーコーナーとして開始。蛙男商会がサラリーマン層のプライムタイムである「NEWS23」の中で、時事ネタを独自の観点から鋭く風刺し、今までのアニメでは獲得できなかった層を獲得する。
- 放映リスト
- #1『村おこし大作戦』
- #2『怒りのタテ島』
- #3『格下げ』
- #4
出演者
司会
サブキャスター
- 1989.10 - 1997.09 浜尾朱美、池田裕行・・・池田が不在の時には、当時TBSアナウンサーの岡崎潤司が担当することもあった。
- 1996.10 - 1997.09 浜尾朱美、池田裕行、佐古忠彦
- 1997.10 - 2006.09 草野満代、佐古忠彦
- 2006.9 - 膳場貴子
サブキャスター(第二部、過去)
フィールドキャスター
- 2006.09 - 山本モナ
スポーツコーナー
- 1989.10 - ? 小林繁
- ? - 1992.03 木村美穂
- 1992.04 - 1992.09 木場弘子
- 1992.10 - 1997.09 香川恵美子
- 1997.10 - 1999.09 進藤晶子
- 1999.10 - 2004.09 小倉弘子
- 2004.10 - 2006.09 久保田智子
- 2006.9 - 高野貴裕(高野は小林以来の男性スポーツキャスターだが、TBS男性局アナは初起用となる)
お天気コーナー
歴代のスタジオセット
- 1989.10 - 1990.09 初代
- 1990.10 - 1993.09 二代目
- 1993.10 - 1994.09 三代目(ここまでは旧社屋)
- 1994.10 - 1997.09 四代目(ここからは現社屋)
- 1997.10 - 1998.09 五代目
- 1998.10 - 2000.03 六代目
- 2000.04 - 2005.03 七代目
- 2005.03 - 八代目
タイトルロゴの移り変わり
- 1989.10 - 1990.09 初代
- 1990.10 - 1995.09 二代目(初代のアレンジ版)
- 1995.10 - 1997.09 三代目(この時期のみ『筑紫哲也-』の表記がない)
- 1997.10 - 2005.03 四代目
- 2005.03 - 2006.09 五代目
オープニングのCG
- 1989.10 - 1990.09 初代
- 1990.10 - 1995.09 二代目
- 1995.10 - 1997.09 三代目
- 1997.10 - 2005.03 四代目
- 2005.04 - 2006.09 五代目
- 2006.10 -
テーマソング
- 1989.10 - 1997.09 井上陽水・・・オープニングのみ。以下はエンディング。
- 1989.10 - 1991.05 井上陽水『最後のニュース』・・・後に、奥田民生によってカヴァーされる。
- 1991.06 - ????.?? サザンオールスターズ『ネオ・ブラボー!!』
- 1995.01 - 1995.06 渡辺美里『シンシアリー』
- 1995.07 - 1995.09 新井英一『清河への道』
- 1995.10 - 1995.12 りんけんバンド『世 世 世〜You You You〜』
- 1996.07 - 1996.09 玉置浩二『メロディ』・・・後に、日曜劇場『メロディ』の挿入歌となる。
- その後、『平和の琉歌』(サザンオールスターズ)、『手引きのようなもの』(井上陽水、奥田民生)などが起用される。
- 1997.07 - 1997.09 今井美樹『私はあなたの空になりたい』
- 1997.10 - 2005.03 坂本龍一『put your hands up』・・・1999年以降、金曜日はピアノバージョン。
- 一時期、筑紫が司会し、キャンペーンにもなった『地雷ZEROキャンペーン』のテーマ曲、『ZERO LANDMINE』が、エンディングにかけられたこともあった。
- 2005.03 - Bank Band with Salyu『to U』・・・金曜日はピアノバージョン。
- メロディを筑紫氏や番組スタッフが聞いたところ、メロディや歌詞の内容が番組のコンセプトに合致しているということで主題化にしたという話である。
放送時間
- 金曜以外
- 1989.10 - 1997.09 23:00 - 翌0:30(毎日放送など一部地域は23:50まで)
- 1997.10 - 1999.03 23:00 - 23:55
- 1999.04 - 2004.09 22:54 - 23:50
- 2004.10 - 22:54 - 翌0:25(月)、22:54 - 23:50(火〜木)
- 金曜は一貫して23:30 - 翌0:35(毎日放送など一部地域は翌0:20まで)
※(注記)中部日本放送・毎日放送・チューリップテレビ・テレビ山口は月曜も23:50で終了。
※(注記)番組開始当初から年末年始は、特番編成の関係上、放送を休止している(代替番組として、15分程度のJNNニュースを、23:30頃に設けている。)。
系列局の対応
- 毎日放送(MBS)では、「月+」と「金曜深夜便」は、編成の都合上ネットされない(特に「月+」は、「痛快!明石家電視台」放送の為。また、CBCは、2005年9月までは「月+」は定期ネットしていた≪緊急・重大ニュースがあった日は、JNN協定の関係上「月+」と「金曜深夜便」をネットすることがある。緊急・重大ニュースがあった日の「月+」の場合は、中部日本放送(CBC)・チューリップテレビ・テレビ山口も例外ではない。≫。)。
- 初期の頃、「真夜中トーク」に当時出雲市長を務めていた岩国哲人氏が出演した際、当時2部をネットしていなかった山陰放送がこの日だけ特別にネットし、後続の「ビートたけしのスポーツ大将」が15分遅れとなった。ただし新聞では後続の番組の時刻表示こそ変えられたものの、地元2紙を含め、番組紹介欄でも番組表でも内容には一切触れられなかった。なお出雲市駅前のバーからの中継であり、BSSも中継に全面協力したと思われる。
報道特番時の対応
- 1991年2月第1部終盤に「イラクの米軍撤退」の報が入り、第1部をCMなしで30分延長した。この日は第2部を臨時ネットした局もあり、次の番組が1時間10分遅れることとなった。
- 1995年 1月17日:阪神・淡路大震災
- 長時間報道特番として早朝から放送。メインキャスターの筑紫が、湯煙と思わせるような発言をしたうえ、番組も震災後数日で「東京は大丈夫か」と大々的に報じ、一時話題となった(余談だが、嘉門達夫も自身の曲「怒りのグルーヴ〜震災編〜」で前者の発言を取り上げている)。
- 2001年 9月11日:アメリカ同時多発テロ事件
- 直前の「ジャングルTV〜タモリの法則〜」を22:37に中断して放送。
- 2006年 1月23日:ライブドア・ショック
- 直前の予定だった「月曜ミステリー劇場」を休止し、21:10から放送。報道特番のキャスターは、筑紫と草野が務めた。
- 2006年 6月5日:村上ファンド代表逮捕
- 時間を拡大して、25:00過ぎまで放送。
問題
- 1999年、多事争論において東芝クレーマー事件を取り上げた際、東芝を一部上場企業と匿名で報道し、当事者に批判的な発言をおこない、また、批判的なサイトを「便所の落書き」と批判した。だが、多事争論直前のCMが東芝ダイナブックだったため、インターネットを中心に批判が広がった。
- 2002年11月、多事争論において、週刊金曜日が当時北朝鮮在住の曽我ひとみさんの家族にインタビューをおこない、「はやく北朝鮮に帰ってきてほしい」との趣旨の記事を直接曽我ひとみさんに届け、精神的に追い詰めた事件で週刊金曜日に批判があがったことについて、「国の方針に水を差すような報道、取材はすべきではないという、こういう議論になりますと、自由な報道や言論というのは死んでしまって、北朝鮮と何ら変わらない国に私たちはなってしまいます」と週刊金曜日を擁護する発言をする。ただし、自身が週刊金曜日の編集委員であることには触れなかった。
- 2006年6月、筑紫氏による米国共和党のハイド下院国際関係委員長へのインタビューで、小泉首相の靖国参拝について、「行くべきでないと強く感じているわけではない」と発言したのを「行くべきではないと強く思っている」とテロップを流した。後日、誤訳であったと番組の中で訂正している。
その他
- 1996年には一連のオウム報道に関する"不祥事"による自粛措置で5月20日 月曜日から5月23日 木曜日の4日間は23:50までで5月24日の金曜日は24:20まで(第1部)の放送となった。ただし、毎日放送 (MBS)など1部までしか放送していない局では"通常通り"だった。
- 新聞発表上では月〜木の番組開始時間が22:54になっているが、実際は22:56開始である(22:54時点では、2分間CMを流している)。ちなみに中国放送ではこの時間、自社製作番組「キラリ!広島県」を放送している。
- 23時開始時代には青森テレビで流れるはずのないTBSの23:00.00の時報が稀に聞けた。また当時の時報をサンスターが提供していた。
- かつては金曜ナイターの延長オプションをフル行使した場合、金曜版の放送時間が24:00からとなった為、番組冒頭で筑紫が、"ニュース24(トゥーフォー)"と言っていた。
- アメリカ、中国、日本の大統領、国家主席らがそれぞれこの番組に出演し、事前に番組が選考した日本国民と対話するという企画が行われた。
クリントン大統領出演時はTBS内で厳戒態勢が敷かれ、アナウンサーのロッカーも私物を残さないで空にさせたり、社員でも時間帯によって入れない場所が作られたりするなど、かつてないほどの騒ぎだった。
ホームページについて
- 番組での筑紫の発言の多くは、英訳とともに番組の公式サイトで公表されてきたが、最近では筑紫がその日のニュースの気になるキーワードを紹介し辛口解説を加える『多事争論』の更新にとどまっている。一方で、公式サイトでは出演者のコラムや現在のスタジオセットの解説などが紹介されている。
雑学
- この番組の報道が国会で取り上げられたとき、引用者が「ニュースにじゅうさん」と言ったことがある。
- 2005年 12月26日放送の年末総決算スペシャルで、当時電車男などで話題になった秋葉原へ筑紫哲也がリムジンで乗り付け、メイド喫茶を体験したりネコミミを付けたりした。スタジオでも久保田アナにメイドの格好をさせ、水道橋博士が「ご主人様」と呼ばせていた。
参考文献
- 筑紫哲也『ニュースキャスター 番組誕生から今日まで』 ISBN 4087201457
関連項目
前後番組の変遷
JNN 最終版のJNNニュース | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
News23
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