「麒麟」の版間の差分
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2020年2月24日 (月) 23:11時点における版
麒麟 | |
---|---|
頤和園にある麒麟像 | |
各種表記 | |
拼音: | qílín |
発音: | チーリン |
日本語読み: | きりん |
英文: | Qilin |
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麒麟(きりん、拼音: qílín チーリン)は、中国神話に現れる伝説上の霊獣である。
獣類の長とされ、これは鳥類の長たる鳳凰と比せられ、しばしば対に扱われる[1] 。ただし『淮南子』によれば、麒麟は諸獣を生んだのに対し、鳳凰は鸞鳥を生み鸞鳥が諸鳥を生んだとされており、麒麟と対応するのは正確には鳳凰より生まれた鸞鳥となっている[2] 。
日本と朝鮮では、この想像上の動物に似た実在の動物もキリンと呼ぶ。
外見
形は鹿に似て大きく背丈は5mあり、顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、麒角、中の一角生肉。背毛は五色に彩られ、毛は黄色く、身体には鱗がある。古くは一本角、もしくは角の無い姿だが、後世では二本角や三本角で描かれる例もある。
また、日本では東京都中央区の日本橋に建つ麒麟像が広く知られているが、この像には日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージから翼が付けられている。原型製作は彫刻家(彫塑家)の渡辺長男 [3] 。
性質
普段の性質は非常に穏やかで優しく、足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う。
神聖な幻の動物と考えられており、1000年生きるという[要出典 ]。動物を捕らえるための罠にかけることはできない。麒麟を傷つけたり、死骸に出くわしたりするのは、不吉なこととされる。
また、『礼記』によれば、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物「瑞獣」とされ、鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」と総称されている。このことから、幼少から秀でた才を示す子どものことを、麒麟児や、天上の石麒麟などと称する。
孔子によって纏められたとされる古代中国の歴史書『春秋』では、聖人不在で泰平とは言えない時代に麒麟が現れ、捕らえた人々が麒麟を知らず気味悪がって打ち捨ててしまったことに、孔子は深く諦念し筆を擱(お)いてしまうという、いわゆる「獲麟」の記事をもって記述が打ち切られている。
用字
『詩経』以来の古文献では、「麟」の1字で表されることが多かったが、「麒」も稀に使われた[1] 。
『説文解字』により、オスを「麒」、メスを「麟」と呼ぶようになった[1] 。ただし、この雌雄を逆にしている資料もある。
種類
麒麟にはいくつか種類があると言われ、青い物を聳孤(しょうこ)、赤い物を炎駒(えんく)、白い物を索冥(さくめい)、黒い物を甪端(ろくたん)/角端(かくたん)、黄色い物を麒麟と言う。
麒麟とキリン
明の鄭和による南海遠征により、分遣隊が到達したアフリカ東岸諸国から実在動物のキリンをはじめ、ライオン・ヒョウ・ダチョウ・シマウマ・サイなどを帰国時の1419年に運び、永楽帝に献上した。永楽帝はとくにキリンを気に入り、伝説上の動物「麒麟」に姿が似ていたこと、また現地のソマリ語で「首の長い草食動物」を意味する「ゲリ」[要検証 – ノート ]の音に似ていたこともあり、"実在の麒麟"として珍重したと言われる(ただしその信憑性は明らかではない[4] )。
そしてこの故事がキリンの日本名の起源となった。また朝鮮でも同じく「기린(キリン)」(麒麟、文化観光部2000年式:girin、マッキューン=ライシャワー式:kirin)と呼ばれているが、伝説発祥の地・中国で現在は、キリンは「麒麟」ではなく「长颈鹿」("長いくびの鹿"、繁体字: 長頸鹿、簡体字: 长颈鹿、拼音: chángjǐnglù)と呼ばれている。
騏驎
麒麟のように足の速い馬のこともキリンというが、漢字で書く場合は、偏(へん)を鹿から馬に変えて『騏驎』とすることがある。騏驎は、故事では一日に千里も走るすばらしい馬とされる。
ことわざ「騏驎も老いては駑馬(どば)に劣る」(たとえ優れた人物でも老いて衰えると能力的に凡人にも敵わなくなることの例え)は、中国戦国時代の書物「戦国策」・斉策・斉五の「騏驥之衰也 駑馬先之 孟賁之倦也 女子勝之」(騏驎の衰うるや、駑馬これに先んじ、孟賁の疲るるや、女子これに優る)が語源。