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特筆すべきはこれだけの災害でありながら死傷者が出なかったことである。3月27日からの火山性地震の分析や断層の探索により近日中の噴火が予知され、3月29日には[[気象庁]]から緊急火山情報が出された。これを受けて壮瞥町・[[虻田町]](当時)・伊達市の周辺3市町では危険地域に住む1万人余りの避難を噴火までに実施していた(噴火後に避難者数は最大約1万6千人まで拡大)。通常、緊急火山情報は人命に関わるような噴火が発生したことを知らせるものであり、噴火前にこれが発表されたのは初めての例である。また、住民には"有珠山の噴火による温泉などの恩恵を受けて暮らしているのだから、30年に1度の噴火は当然受け入れなければいけないこと"という意識が高く、周辺市町の[[ハザードマップ]]の作成や、普段からの児童への教育などがなされており、危険地域を避けた適切な避難誘導を行ったことも要因の一つであった。
特筆すべきはこれだけの災害でありながら死傷者が出なかったことである。3月27日からの火山性地震の分析や断層の探索により近日中の噴火が予知され、3月29日には[[気象庁]]から緊急火山情報が出された。これを受けて壮瞥町・[[虻田町]](当時)・伊達市の周辺3市町では危険地域に住む1万人余りの避難を噴火までに実施していた(噴火後に避難者数は最大約1万6千人まで拡大)。通常、緊急火山情報は人命に関わるような噴火が発生したことを知らせるものであり、噴火前にこれが発表されたのは初めての例である。また、住民には"有珠山の噴火による温泉などの恩恵を受けて暮らしているのだから、30年に1度の噴火は当然受け入れなければいけないこと"という意識が高く、周辺市町の[[ハザードマップ]]の作成や、普段からの児童への教育などがなされており、危険地域を避けた適切な避難誘導を行ったことも要因の一つであった。


一時期[[室蘭本線]]が不通となり長距離列車は[[函館本線]]経由で運行された。
一時期[[室蘭本線]]が不通となり長距離列車は[[函館本線]]経由で運行された。(追記) (うそ) (追記ここまで)


==見学地==
==見学地==

2006年6月9日 (金) 01:27時点における版

ファイル:有珠山廃墟.jpg
2000年の噴火で廃墟となった有珠山麓(2001年7月)

有珠山(うすざん)は、北海道洞爺湖の南に位置する標高737mの活火山。山頂は壮瞥町にあり、山体は洞爺湖町伊達市にもまたがる。過去100年間に4度の噴火活動を観測した日本でも特に活発な活火山である。

二重式火山で、直径約1.8kmの外輪山の中に大有珠、小有珠、オガリ山、有珠新山などの溶岩円頂丘群が形成されている。また山麓にも昭和新山や金比羅山、明治新山などの円頂丘群を有している。

1663年以降の活動はケイ酸(SiO2)を多く含んだ粘性の高いマグマによるもので、噴火前には地殻変動や群発地震を発生し、噴火に伴って潜在ドームや溶岩ドームによる新山を形成するのが特徴である。

歴史

成り立ち

洞爺湖をかたちづくる洞爺カルデラの南部に有珠山が形成されたのは約2万年前と考えられている。噴火を繰り返し年月をかけて成層火山をなしたが、約7千年前に山頂部が爆発・崩壊し、南側に口を開けた陥没地形が形成された。この時発生した岩なだれは噴火湾にまで達し、有珠湾周辺の複雑な海岸線をつくった。

江戸時代の噴火

山頂崩壊後は長く活動を休止した有珠山であったが、寛文3年(1663年)旧暦7月14日に山頂噴火した。翌日には山麓の家屋を焼き住民5人が死亡したとの記録がある。活動は7月末まで続いた。この時の噴出物で山頂南側開口部が再び閉塞され、山頂火口は現在のような臼状の地形となった。

次の活動は明和6年12月(1769年)で、南麓の集落が全焼した。山頂陥没部に現在の小有珠にあたる溶岩ドームが形成されたのは、この明和噴火か、その前の寛文噴火の時と考えられる。

最も大きな被害をもたらした噴火は文政5年(1822年)旧暦1月19日に始まった噴火で、2月1日には山の南側を中心に火砕流が流下し、火砕サージも発生した。これにより南西麓のアブタコタン(現在の洞爺湖町入江)が壊滅し、記録によって異なるものの50名以上の住民が死亡したとされる。また、蝦夷地随一の馬産牧場であった虻田・有珠牧場も多くの馬を失う被害を受けた。今日ではオガリ山と呼ばれている潜在ドームは、この噴火で形成された。

嘉永6年(1853年)の噴火も大規模な火砕流を伴うものだったが、当時集落のなかった洞爺湖方向への流下だったため、大きな被害はもたらさなかった。この噴火は27日に終息したが、翌日から山頂に溶岩ドームが成長しはじめた。これが大有珠である。

江戸時代の噴火はいずれも山頂からもので、多量の噴出物を一気に放出する、いわゆるプリニー式噴火であった。また、いずれも火砕流と火砕サージの発生が見られ、被害の多くは火砕サージの熱風による家屋の焼失であった。

1910年噴火

1910年(明治43年)7月25日、北西麓の金比羅山で始まった噴火は、まもなく北東麓の東丸山にかけての地域で次々に火口が開き、その合計は45個に及んだ。マグマが洞爺湖付近の地下水と遭遇して水蒸気爆発を起こしたものであった。一部の火口からは熱泥流が発生し、これに巻き込まれた1人が死亡。噴火は8月5日まで続いた。

北麓では地殻変動が起こり、最大約150m隆起して新たな山を形成した。この山は明治新山、あるいは明治43年にちなんで四十三山(よそみやま)と呼ばれる。

この噴火活動により、火口に近い洞爺湖岸では温泉が湧出するようになった。これが洞爺湖温泉の始まりである。

1944-1945年噴火

有珠山東麓では1943年末から地震が続き、1944年に入ると東九万坪と呼ばれる地域で次第に地盤が隆起しはじめた。6月23日についに水蒸気爆発が発生し、その後も爆発を繰り返した。この噴火では降灰による窒息死で幼児1名が死亡している。

もとは標高100mあまりの台地であったところが、潜在ドームの形成により250mほどの山となっていたが、11月中旬になると火口から溶岩ドームが現れ始めた。この潜在ドームと溶岩ドームは翌年9月まで成長を続け、標高は400mを超えた。この新山は田中館秀三により昭和新山と名付けられた。

この噴火については昭和新山の項も参照されたい。

1977年-1978年噴火

1977年 8月7日午前9時12分に始まった噴火は山頂からのプリニー式噴火であった。同年8月14日未明まで4回の大きな噴火を含む10数回の噴火が断続。噴煙の高さは最高12,000m。火口周辺地域には多量の軽石や火山灰が堆積し、家屋が破壊された。降灰は道内119市町村に降り注ぎ、農作物に多大な被害を発生させた。また、この噴火で当時付近を走っていた国鉄 胆振線も不通になり、降灰撤去費用がかさんだことも後の廃止の一因となった、といわれる。

11月16日からは水蒸気爆発が発生し始め、翌年の10月27日まで続いた。この爆発による火山灰は降雨によって泥流となり、死者2名、行方不明者1名が出た。

地震と地殻変動は1982年3月まで続き、山頂部には有珠新山が形成された。

2000年噴火

最近の噴火は2000年のものである。3月31日午後1時7分、西山山麓からマグマ水蒸気爆発。噴煙は火口上3500mに達し、周辺に噴石放出、北東側に降灰した。翌日には西山西麓、また温泉街に近い金比羅山でも新火口が開いた。

西山火口群を通過する国道230号は、地盤の隆起と断層により破壊され、通行不能となった。金比羅山火口からは熱水噴出により熱泥流が発生し洞爺湖温泉街まで流下、西山川に架かる2つの橋が流失した。火口に近い地域では噴石や地殻変動による家屋の破壊が多発した。また、広い範囲で地殻変動による道路の損壊が発生した。

特筆すべきはこれだけの災害でありながら死傷者が出なかったことである。3月27日からの火山性地震の分析や断層の探索により近日中の噴火が予知され、3月29日には気象庁から緊急火山情報が出された。これを受けて壮瞥町・虻田町(当時)・伊達市の周辺3市町では危険地域に住む1万人余りの避難を噴火までに実施していた(噴火後に避難者数は最大約1万6千人まで拡大)。通常、緊急火山情報は人命に関わるような噴火が発生したことを知らせるものであり、噴火前にこれが発表されたのは初めての例である。また、住民には"有珠山の噴火による温泉などの恩恵を受けて暮らしているのだから、30年に1度の噴火は当然受け入れなければいけないこと"という意識が高く、周辺市町のハザードマップの作成や、普段からの児童への教育などがなされており、危険地域を避けた適切な避難誘導を行ったことも要因の一つであった。

一時期室蘭本線が不通となり長距離列車は函館本線経由で運行された。(うそ)

見学地

西山火山散策路

2000年に噴火した火口付近に設定された散策路。枕木を敷き詰めており、子供から年配の来訪客まで容易にアクセスできる。展望台からは水蒸気が立ち上る様子や噴火により破壊された建物、隆起により寸断された道路(国道230号)などを見学できる。散策路周辺は民有地のため土産物屋が多数存在するが、土産物の収益を還元する形で駐車料金は徴収していないことに留意すること。

洞爺湖町立火山科学館

1977年2000年の噴火時資料を多数展示。近隣の砂防ダム上から、2000年の噴火対策を行った際に、砂防施設内に取り残された団地を見ることが出来る。

外部リンク

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