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「ノート:ゼノンのパラドックス」の版間の差分

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:石井彰文さん、「ただし、無限和の値(ここでは、追い付いた時点)は、部分和の極限(限りなく近づいていくが、決して到達しない点)によって定義されているので、この方法では、追い付く理由を示した事にはならない、という論議もある(総和、循環小数、循環論法を参照)。」を書いた者です。0.9、0.09、0.009、...を全部足し合わせた時、どんな値になるか。これが無限和ですが、全ての0.9...9は1未満なので1にはならないはずです。しかし1未満の値にもなりません。数学で定義する無限和は、これを1と定義したもので、単純に全てを足したものではありません。アキレスと亀のパラドックスをこの文脈で言うと、0.0...09を全て足し合わせても1にならないはずなのに、何故アキレスは亀に追いつくのか?と言えるかと。追いつけば、全ての0.99...9を通過した事は明らかですが、全ての0.9...9を通過しても、その中に1はないので、何故1に到達するかの理由は分からないままです。大雑把に言って、数学で総和を極限値である1と定義するのは、アキレスが亀に追いつくから、と言っても過言ではないと思います。他の部分はご自由に編集なさって下さい。開集合云々は確かに不要だったかも知れません。--[[特別:投稿記録/106.132.215.58|106.132.215.58]] 2015年9月7日 (月) 03:46 (UTC)
:石井彰文さん、「ただし、無限和の値(ここでは、追い付いた時点)は、部分和の極限(限りなく近づいていくが、決して到達しない点)によって定義されているので、この方法では、追い付く理由を示した事にはならない、という論議もある(総和、循環小数、循環論法を参照)。」を書いた者です。0.9、0.09、0.009、...を全部足し合わせた時、どんな値になるか。これが無限和ですが、全ての0.9...9は1未満なので1にはならないはずです。しかし1未満の値にもなりません。数学で定義する無限和は、これを1と定義したもので、単純に全てを足したものではありません。アキレスと亀のパラドックスをこの文脈で言うと、0.0...09を全て足し合わせても1にならないはずなのに、何故アキレスは亀に追いつくのか?と言えるかと。追いつけば、全ての0.99...9を通過した事は明らかですが、全ての0.9...9を通過しても、その中に1はないので、何故1に到達するかの理由は分からないままです。大雑把に言って、数学で総和を極限値である1と定義するのは、アキレスが亀に追いつくから、と言っても過言ではないと思います。他の部分はご自由に編集なさって下さい。開集合云々は確かに不要だったかも知れません。--[[特別:投稿記録/106.132.215.58|106.132.215.58]] 2015年9月7日 (月) 03:46 (UTC)
::編集の自由は互いにあると言うことで、それはさておき、0.9...9...を数学では1と定義しているとお認めになるなら、数学では追いつくことになる、で良いではありませんか。0.9...9...が1にならない、あるいはその間に「超実数」が存在するのだという構造を考えたとしても、そのことと、「追いつく・追いつかない」は無関係だ、と私は捉えています。簡単に言えば、0.9...9...は1より大きくはないから追いつくのです。0.9...9...=1としない数系を構成したとしても、0.9...9...において「追いついた」筈です。1においても「追いついている」、それ以外に構成のしようがない。「数学では1と定義した」という言い方はちょっと違いますね。...1と定義するのは「実数の定義」としてされることです。そうしないと他の実数の定義と整合しない。そしてそれはつまりは、時空間を実数濃度だと見ているということでしょう。その実数によって追いつくポイントを記述できるし=極限を定めうるし、その整合性に問題がない、と見るわけです。ですから「数学的な解釈」のなかに「追い付く理由を示した事にはならない、という論議もある」とされることに納得がいかないのです(数学は理由を示すものではないという論議ではなく)。言わずもがなのことですが、本文では等速であればという仮定から式を立てています。時空間に定位した論議です。0.9...9...が1に置けるかどうかという論議をかませるなら、その中に時空間をどう捉えるかも論じないと「追いつく・追いつかない」の話には行かないはずでしょう?そこまで論ぜよと言っているのではなく、数学の論議としての問題点はそれでは示されていない、と見えるということです。--[[利用者:石井彰文|石井彰文]]([[利用者‐会話:石井彰文|会話]]) 2015年9月7日 (月) 12:13 (UTC)

2015年9月7日 (月) 12:13時点における版


思考を「何回でも繰り返せる」ことがいつのまにか「時間的にいつまでも続く」こととすりかわるところに、このパラドクスの核心があるのだと思うので、そのように書き直しました。 ゼノンが書き残した原典があって、それが翻訳できるのならその方が良いのですが。

ところで、「(反駁するのは簡単でなく、)多くの哲学者達がこの問題に挑むこととなった」かどうか私は知りません。 「多くの哲学者達は、ちょっと面白い話題なので弟子たちに話して聞かせた」程度のことではないかな?と勝手に想像していますが、ウィキペディアは自説を披露するところではなかったですね(^^)。

で、ウィキペディア英語版によると、

most of them were regarded, even in ancient times, as very easy to refute. (them とは、ゼノンの考案した一連のパラドクス群を指します ― Kk註)

でした。やっぱり。Kk 01:34 2003年9月26日 (UTC)

競技場のパラドックスや二分法についても書いたほうがよいと思いますが、どうでしょうか。。。--220.254.0.4 2005年2月5日 (土) 10:00 (UTC) [返信 ]
>思考を「何回でも繰り返せる」ことがいつのまにか「時間的にいつまでも続く」こととすりかわるところ
チューリングマシンの停止問題ゲーデルの不完全性定理。--222.5.249.199 2006年7月27日 (木) 09:09 (UTC) [返信 ]
大変遅まきの話ですが、歴史的にもアリストテレスが書き残した線で論じられてきたのだから、『自然学』の記述を引用すればよいのではないか。「パラドクスの核心」をどう観るかは他の項に譲る方がよいのではないか。Kkさんは最初期の書込で、少し話がずれますが、「アキレス」以外についても『自然学』の記述を引用すればよいのではないか。--石井彰文(会話) 2012年7月31日 (火) 12:37 (UTC) [返信 ]

無限に切り分けられると言うのは粒子論、無限に足し合わせられたもの(連続体)であると言うのは波動論に繋がりそうですね。(電磁波の粒子論、波動論)--222.5.249.199 2006年7月27日 (木) 08:33 (UTC) [返信 ]

検索用のリダイレクト作っておきました。怖いので本文に手は触れません(笑)--219.99.97.34 2008年4月10日 (木) 11:24 (UTC) [返信 ]

しろまる「数学的な解釈」の節に関する疑問です。 0.名前「アキレス」と「アキレウス」の統一。 1.アキレスと亀の問題にしか関説していないのだから、表題は、「アキレスと亀の数学的な解釈」とするべきではないか。 2.説明文にある「つまりこの加算が無限に続くならば、すなわち時間は無限に存在し」という表現は疑問です。 3.この説明は、両者が等速運動をすると決めつけています。それで良いのでしょうか。 「アキレスと亀の問題は「『考えをいくらでも続けられる』ことから『いつまでたっても追いつけない』という結論を導いている箇所に飛躍がある」と考えられる。」 という結論はその通りなのですが、その意味は、「証明をしていない」ということではないでしょうか。すなわち、『考えをいくらでも続けられる』ことからは、追いつくか追いつかないかは結論付けることは出来ない。どちらになるかは別途証明が必要である。ということではないか。 例えば、亀とアキレスが同じ速度であれば、追いつけないのは正しい。話の前提にはアキレスのほうが速いとあるので、無視されがちですが、正確な検討をするためには必要な確認です。なぜなら、「亀はさらにその先にいる」云々の捉え方には、亀とアキレスがどっちが速いかは含まれていないのです。その表現は亀の方が速い場合にも、同じ速度である場合にも当てはまるでしょう。「さらにその先」がどうなって行くのかということが、「追いつくか追いつかないか」を決めるのです。 具体例を挙げますと、最初距離1、その先に1/2、その先に1/3....であったとしましょう。これはだんだん追いついています。すなわち亀の方が遅い。しかし、1+1/2+1/3+.......は、無限大に発散します。すなわち追いつけない! この例が示すことは、亀とアキレスがどちらが速い、という言葉によってだけでは、「追いつくか追いつかないか」は決まらないということです。両者が等速運動をすると決めつければ等比数列の和で簡単ですが、単にアキレスが速いというだけでは、等速運動である必要はなく、追いつくかどうかは決まらないのです。--114.155.185.235 2012年6月20日 (水) 02:39 (UTC) [返信 ]

さらに、数学的解釈という節なら、数学的に決着済みの事柄を未決であるかのごとく観る者たちへ、いかなる意味で決着済みかを示す文言が必要ではないか。2012年6月19日以前の記述でも、級数を持ち出す事を、ゼノンが言っていない別の主張を持ち出す、と言っている。植村恒一郎氏は、公開されている論文において、級数を持ち出すことがフェアでないかの如き見解を述べています。数学の見地からすれば、それは逆ではないか。ゼノンの立てた論理が級数を必要とするモノなのではないか。ゼノンの論理では、級数が発散する事を示さなければ、追いつかないと結論し得ないのではないか。正確には、ゼノンの論理というよりも、それの解釈者たちと言う方が適当だろうけれども。数学的に見るなら、追いつくか否かということは、追いつくまでの時間の積算が無限大に発散するのか、有限値になるのか、ということである。また、現在の記述のような数式は不要ではないか。論理的には、追いつく一例を示せば十分でしょう。一種こけおどしのような数式は別の誤解を生むのではないか。アキレスが速ければ、必ず追いつくという誤解を生む。追いつくか否かという問題をゼノンの方式で解析したなら、級数の問題となり、その収束・発散はいろいろなケースがある、ということを示せば十分ではないか。別件ですが、「アキレスと亀」に関するアリストテレスの『自然学』における正確な記述が記載されていない。解釈を加えたモノしか書かれていないのは問題だろう。--石井彰文(会話) 2012年7月14日 (土) 10:59 (UTC) [返信 ]
ついでにもう一件、「ゼノンの誤りは..無条件で解釈した事にある」という文とそれへの注ですが、不要でしょう。それはゼノンの言の解釈の更なる解釈であって、ゼノンの言の中には時間を計算するという発想は含まれていない。それは数学的解釈を加えた時にはじめて出てくるものだろう。--石井彰文(会話) 2012年7月14日 (土) 12:33 (UTC) [返信 ]
「数学的解釈」を書き換えました。追付くケースまで式を入れると「独自」解釈を加えたのかのごとく見られて、文句を言われそうで止めておきます。後半部に残っていた、意見、近世数学がどうのという文を削除しました。--石井彰文(会話) 2012年9月22日 (土) 11:35 (UTC) [返信 ]

しろまる「飛んでいる矢は止まっている」の解説への疑問です。Idealさんが英語版から写した内容ですが、納得出来ません。「この時間をどんどん短くすれば、矢は動くだけの時間がないから」となっていますが、そんな筈はないし、英語の訳としては意味を取れていないのではないか。「どんどん短く」というのは訳者としての補いだろうが、英文での動く時間がないといっているのは、そういう意味ではないだろう。瞬間に於いては静止してる、時間が瞬間からなる、と仮定するならば、そこへ動いて行く「瞬間」はない、という話だろう。明快な日本語にするのは難しい気がするので少し考えて見ますが。--石井彰文(会話) 2012年9月27日 (木) 07:12 (UTC) [返信 ]

新たな二観点「哲学的な観点から・ベルクソン云々」&「計算機科学的な観点」に関して

新しい観点を追加された訳ですが、疑問です。まず、ベルクソン云々は、以前からの「哲学的な観点から」という項目とのダブり、両者の関係という以前に、その文章は、某サイトのコピーです。コピーだからいけないとは言えませんが、その作者との関係は明らかにされるべきです。それでなければ削除対象でしょう。内容に関しても大いに疑問がありますが、その指摘は関係が明らかとなってからということで。次に、「計算機科学的な観点」ということで書かれているプログラムですが、単位時間当りアキレスの動く半歩前を亀が行くということで、追付かれない場合の一つの例になるはずのものですね。「これはゼノンのパラドックスをプログラムに置き換えたもの」という一般的なものとは云い得ないでしょう。また、実行すると追付くとされて居られます。計算機の表現する「数字の最小ビット」の故とされていますが、そのようなものは人為的な設定に過ぎない筈です。計測をdouble精度で済ませるという事はコンパイラー任せ、計算機任せにするという事ですね。そのように計算機任せにした結果など、「亀を実際に追いかける実験をし、追付いた」という物言いと、五十歩百歩ではありませんか。「計算機科学的な観点」と称し得ないと考えますが、いかが。--石井彰文(会話) 2013年1月30日 (水) 05:42 (UTC) [返信 ]

上記書き込みから半年ほどたちました。何の意見も登場しませんが、上記の理由(他サイトのコピーである)から削除しました。計算機科学云々も削除するべきと考えますが、幾人かが手を入れておられますので、もう少し様子を見ます。手を入れていると言ってもプログラムの形式的なことだけで、内容に関してのものではなく、ここでの反問はまったく見ておられないようです。--石井彰文(会話) 2013年7月21日 (日) 23:43 (UTC) [返信 ]

しろまる2015年6月8日〜8.3の書き込みに対する疑問。「数学的な解釈」の項に「ただし、...という論議もある」と挿入されましたが、それは数学の論議なのか。だとしたらどういう論議なのか聞きたい。循環論法などに対して参照とあるが、その参照先にあるとは見えない。つぎに、「閉集合、開集合」などは、「現代数学」に通じていない人に対するこけおどし以上の意味がある話なのか。「哲学的な観点から」の項への追加ですが、超準解析の話が要るのかどうか疑問ですが、他の記述も趣味の様な類いなのでさておいて、「つまり、...矛盾は克服できる。」というときの「矛盾」とは何を指すのか。「無限小」云々は、ゼノンが言っているというよりもそれを解釈する側がたてている論理ではないか。だとするなら、解釈者たちが「無限小」云々で勝手に踊っているだけではありませんか。--石井彰文(会話) 2015年9月1日 (火) 01:28 (UTC) [返信 ]

そう思われるのでしたら、とりあえず編集してみてはいかがでしょうか。それに対してもし文句を言う方がいらっしゃれば、それに関しここで議論すればよいだけの話かと。--110.66.43.196 2015年9月1日 (火) 09:17 (UTC) [返信 ]
石井彰文さん、「ただし、無限和の値(ここでは、追い付いた時点)は、部分和の極限(限りなく近づいていくが、決して到達しない点)によって定義されているので、この方法では、追い付く理由を示した事にはならない、という論議もある(総和、循環小数、循環論法を参照)。」を書いた者です。0.9、0.09、0.009、...を全部足し合わせた時、どんな値になるか。これが無限和ですが、全ての0.9...9は1未満なので1にはならないはずです。しかし1未満の値にもなりません。数学で定義する無限和は、これを1と定義したもので、単純に全てを足したものではありません。アキレスと亀のパラドックスをこの文脈で言うと、0.0...09を全て足し合わせても1にならないはずなのに、何故アキレスは亀に追いつくのか?と言えるかと。追いつけば、全ての0.99...9を通過した事は明らかですが、全ての0.9...9を通過しても、その中に1はないので、何故1に到達するかの理由は分からないままです。大雑把に言って、数学で総和を極限値である1と定義するのは、アキレスが亀に追いつくから、と言っても過言ではないと思います。他の部分はご自由に編集なさって下さい。開集合云々は確かに不要だったかも知れません。--106.132.215.58 2015年9月7日 (月) 03:46 (UTC) [返信 ]
編集の自由は互いにあると言うことで、それはさておき、0.9...9...を数学では1と定義しているとお認めになるなら、数学では追いつくことになる、で良いではありませんか。0.9...9...が1にならない、あるいはその間に「超実数」が存在するのだという構造を考えたとしても、そのことと、「追いつく・追いつかない」は無関係だ、と私は捉えています。簡単に言えば、0.9...9...は1より大きくはないから追いつくのです。0.9...9...=1としない数系を構成したとしても、0.9...9...において「追いついた」筈です。1においても「追いついている」、それ以外に構成のしようがない。「数学では1と定義した」という言い方はちょっと違いますね。...1と定義するのは「実数の定義」としてされることです。そうしないと他の実数の定義と整合しない。そしてそれはつまりは、時空間を実数濃度だと見ているということでしょう。その実数によって追いつくポイントを記述できるし=極限を定めうるし、その整合性に問題がない、と見るわけです。ですから「数学的な解釈」のなかに「追い付く理由を示した事にはならない、という論議もある」とされることに納得がいかないのです(数学は理由を示すものではないという論議ではなく)。言わずもがなのことですが、本文では等速であればという仮定から式を立てています。時空間に定位した論議です。0.9...9...が1に置けるかどうかという論議をかませるなら、その中に時空間をどう捉えるかも論じないと「追いつく・追いつかない」の話には行かないはずでしょう?そこまで論ぜよと言っているのではなく、数学の論議としての問題点はそれでは示されていない、と見えるということです。--石井彰文(会話) 2015年9月7日 (月) 12:13 (UTC) [返信 ]

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