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「ベトナムのイスラム教」の版間の差分

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2014年5月1日 (木) 03:20時点における版

ホーチミン市モスク

本項目ではベトナムイスラム教 について記述する。

概要

チャム族

マレー人と関係のある少数民族 集団である、ベトナム中部の[1] チャム族が主に信仰する宗教だが、国内のムスリムの約3分の1は他の民族集団である[2] [3] 。南西部のチャウドック 地域周辺には、チャム族やクメール人、マレー人、ミナン人ベト人中国人の他アラブ人といった複数の民族を起源に持ちながらも、イスラム教を奉じるチャム族やチャム系ムスリム住民もいる[4]

歴史

チャンパ王国

ホーチミン市のジャミウルムスリミンモスク

イスラム教史においてもかなり早い段階で、海上移動を行うムスリム商人中国を経由して、チャンパ王国に停泊地を複数作ったことで知られる。しかしながら、イスラム教の伝来を示す物的証拠は、10世紀末から11世紀初頭にかけて、チャム族が普及させたという宋朝期の記録を待たねばならない[5] [6]

13世紀後半から14世紀以降、チャンパ王国の交易によりベトナムを含むインドシナ半島においてイスラム化が進行[7] 。ムスリム商人の活動により、インドシナ半島とマレー半島との間で交流が盛んになると、イスラム教もマレー半島からチャンパ王国に影響を与えることとなる[7]

マラッカ王国

信者数は1471年にチャンパ王国が崩壊した後に、マラッカ王国との接触が広がった際に増え始めるが、イスラム教自体がチャム族の間に普及したのは、17世紀半ばになってからであった[8] 。一方この間、マレー半島などのイスラム勢力との連携は困難を極めてゆく[7]

フランス領インドシナ

フランスがインドシナ半島を統治していた時代には、チャム系ムスリムの地域は厚遇を受け、幾許かの自治も是認[7] 。しかし、マレー半島を支配するイギリス、独立国タイ、そしてインドシナ半島を勢力圏に置くフランスが鼎立すると、チャム系ムスリムは急速な孤立化を余儀無くされる[7] 。この時期多くのチャム系ムスリムがカンボジアからメコンデルタ地域に移住、ベトナムにおいてイスラム教の存在感が高まることとなる。

マレーシアのイスラム教20世紀初頭、チャム族の間に影響力を持ち始め、宗教系の出版物マラヤ半島から輸入。マレー人聖職者モスクにおいてマレー語フトバ(説教)を行い、チャム族の中にはイスラム教を学ぶため、マレーシアマドラサに赴いた者もいる[9] [10]

ベトナム社会主義共和国

1976年ベトナム社会主義共和国が成立すると、チャム系ムスリム55000人の一部はマレーシアに移住。1750人はイエメンにより移民としても受け入れられ、ほとんどがタイズに居を移す。モスクが政府により閉鎖されたと主張する著述家もいるが、残った者は暴力的な迫害を受けずに済んだ[2] 。国家の制約があるものの、建前としては同国憲法において信教の自由を保証しているためであると言える[11]

1981年にはベトナムへの外国人観光客が、いまだ土着のムスリムに話し掛けたり、彼らのそばで礼拝することが許されており、ある1985年の報告では、ホーチミン市のムスリム系住民にとりわけ民族的多様性があると記述。チャム族はともかくとして、インドネシア人やマレー人、パキスタン人イエメン人の他、北アフリカ人もおり、その総数は当時約10000人に上ったという[8]

しかしながら、歴史的経緯からベトナムのムスリムは世界のイスラム教主流派から比較的隔絶。宗教学校が欠如し、イスラム教の宗教活動が次第に習合性を帯びるようになったためである。また、アラビア語の支配力が指導層にさえ広がらず、ムスリムの中にはアリー・イブン・アビー・ターリブを崇め、自らを「神の子」とする者もいるとの報告がある[2]

国内最大のモスクが2006年 1月、一部サウジアラビアからの寄付を得てドンナイ省に完成[12]

人口

アンザン省のモスク

1999年 4月国勢調査によると、63146人のムスリムがいることが明らかとなった。ただし、国内の公定6宗教(仏教カトリック、プロテスタント、イスラム教、カオダイ教ホアハオ教 [11] )のうち、ムスリム人口が総人口8800万人の0.1%にも満たない約67000人との調査もある[1]

居住地域・性差

77%が南東部、34%がニントゥアン省、24%がビントゥアン省、そして9%がホーチミン市、残りの22%が主にアンザン省のメコンデルタ地域に、1%のみが国内の他地域にそれぞれ居住。信者数は、ムスリム女性の数がムスリム男性の数よりも7.5%多いアンザン省を除き、どの地域においても男女の比率差が2%の枠内に収まっている[13]

ただし、この分布は以前に比べ幾分変化。1975年以前は国内のムスリムのほぼ半数がメコンデルタに住み、遅くとも1985年にはホーチミン市のムスリム系住民が10000人近くから構成されているとの報告があった[2] [8]

構成

「イスラーム」と「バニ」という2集団に分かれ、前者はホーチミン市やメコンデルタなど南部に居住するスンナ派で、後者は中南部に住み民間信仰との融合が極めて顕著[1] 。また、前者が世界のムスリム共同体と関わりがあるのに対し、後者は海外の世界のムスリム共同体との紐帯が乏しく、専らチャム族で占められているという[1]

学歴

5歳以上のムスリム54775人のうち、25%に当たる13516人が現在通学、48%に当たる26134人が過去通学の経験があり、(総人口の10%に比べ)27%に当たる残りの54775人が、一度も通学の経験が無いという。これはムスリムが国内の全ての宗教集団の中で、最も非就学率が高いことを示している(国内最高はプロテスタントの34%)。非就学率は男性が22%、女性が32%であった[14]

また、大学進学率が最低でもあり、総人口のちょうど3%に比べ、高等教育機関に通った者は1%にも満たない[15]

組織

ホーチミンムスリム代表者委員会が1991年7人により設立、同様の組織は2004年にアンザン省にも設立されている[10]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d イスラーム性とエスニック要素をめぐる 交渉過程についての一考察― ベトナムにおける「チャム系ムスリム」の事例を中心に―吉本康子
  2. ^ a b c d Farah 2003, pp. 283–284
  3. ^ Levinson & Christensen 2002, p. 90
  4. ^ Taylor 2007
  5. ^ Hourani 1995, pp. 70–71
  6. ^ GCRC 2006, p. 24
  7. ^ a b c d e 東南アジアの非イスラム地域におけるイスラム-東南アジア及び北東アジアのイスラム化とタイ及びベトナム等の交易圏の歴史的・地理的概観、並びにその考察- 北村歳治アジア太平洋討究
  8. ^ a b c Taouti 1985, pp. 197–198
  9. ^ Teng 2005
  10. ^ a b GCRC 2006, p. 26
  11. ^ a b 信教の自由―「信仰・宗教法令」を中心に―遠藤聡
  12. ^ "Xuan Loc district inaugurates the biggest Minster for Muslim followers", Dong Nai Radio and Television Station, (2006年01月16日), http://www.dongnai.gov.vn/thong_tin_KTXH/van_hoa_xh/lelan20060116_B5?set_language=en&cl=en 2007年3月29日閲覧。 
  13. ^ Census 1999, Table & 83
  14. ^ Census 1999, Table & 93
  15. ^ Census 1999, Table 104

参考文献

国勢調査

北アジア
東アジア
東南アジア
南アジア
中央アジア
西アジア
中東
地中海沿岸
ペルシア湾沿岸
紅海沿岸
南コーカサス
地中海
海外領土等
各列内は五十音順。1 ヨーロッパにも分類され得る。2 一部はアフリカに含まれる。3国連非加盟の国と地域4紅海の沿岸国でもある。
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