今では出力としてプリンターではなく[[ディスプレイ (コンピュータ)|モニター]]を採用した完全電子式の[[端末]]にほとんど取って代わられた([[UNIX]]システムなどでは今も「TTY」という用語が使われている)。それでも航空業界では今も広く使われており({{仮リンク|国際航空固定通信網|en|Aeronautical Fixed Telecommunication Network|label=AFTN}}など)、また[[ろう者]]が電話回線経由で通信するための装置([[:en:telecommunications devices for the deaf|Telecommunications Devices for the Deaf]]、TDD)としても使われている。
1855年、[[デイビッド・エドワード・ヒューズ]]がロイヤル・E・ハウスの作ったマシンを改良した。それから2年以内にいくつかの電信会社が合併して[[ウエスタンユニオン]]が結成され、ヒューズのシステムを商用電報に適用しはじめた<ref name="Clarkson">{{Cite web | url = http://people.clarkson.edu/~ekatz/scientists/hughes.html | title = David Edward Hughes | accessdate =September 29, 2010 | date = April 14, 2007 | publisher = Clarkson University | archiveurl = http://web.archive.org/web/20080422072443/http://people.clarkson.edu/~ekatz/scientists/hughes.html | archivedate = April 22, 2008}}</ref>。
1874年、エミール・ボドーが5単位(5ビット)符号体系を使ったシステムを設計。このシステムは1877年にフランスで採用された。1897年、パリとロンドン間の単方向通信システムにボドーのシステムが採用され、その後イギリス国内の電信サービスでも双方向のボドーシステムが採用された<ref>{{Cite web |last=Hobbs |first=Alan G. |title=Five-unit codes|url= http://www.nadcomm.com/fiveunit/fiveunits.htm| accessdate =May 1, 2012 }}</ref>。
最初期の[[マイクロコンピュータ]]評価用ボードである、[[インテル]]SDK-80([[Intel 8080|i8080]]ベース)には、テレタイプ端末を想定したデバッグ[[モニター|モニタ]]が[[Read Only Memory|ROM]]で提供されていた。また、初期のマイクロコンピュータ用プログラム開発環境、例えばインテルMDSやデジタルリサーチ[[CP/M]]などはテレタイプ端末も使用できるように作られていた。
1901年、ドナルド・ミュレーがタイプライター状のキーボードの開発過程でボドーの符号体系に改良を加えた。ミュレーのシステムはキーボードからの入力をいったん[[紙テープ]]にさん孔可能で、紙テープからメッセージを送信できる装置も備えていた。受信側では、メッセージを紙テープに印字することもできるし、さん孔することもできる<ref>{{Cite journal |last=Foster |first=Maximilian |year=1901 |month=August |title=A Successful Printing Telegraph |journal=The World's Work: A History of Our Time |volume=II |pages=1195–1199 |id= |url= http://books.google.com/books?id=IF6tNZnhO7wC&pg=PA1195 |accessdate=July 9, 2009 |quote= }}</ref>。このようにすることでオペレータの手の動きと転送されるビット列は直接の関係がなくなったため、オペレータの疲労を最小化する必要がなくなり、むしろよく使われる文字のコードが紙テープ上で穴が少なくなるように修正を加えた。ミュレーはまた「[[制御文字]]」と呼ばれるコードとして[[キャリッジ・リターン]] (CR) や[[改行コード]] (LF) を符号体系に加えた。NULL、BLANK、DELといったコードはボドーの符号体系から移動させられ、その値が長らく使われることになった。NULLやBLANKは送信中に何も送信していない状態を表すのに使われた<ref>{{Citation| title = Typewriter May Soon Be Transmitter of Telegrams| newspaper = [[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]] | date = January 25, 1914| url = http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=F70D12FF355D13738DDDAC0A94D9405B848DF1D3}}</ref>。
1902年、電気技師 Frank Pearne は電信印刷機の実用化の研究スポンサーを求め、[[:en:Morton Salt|Morton Salt]] の [[:en:Joy Morton|Joy Morton]] に接触した。Joy Morton はそれが出資に値するか否かを判断するため、Western Cold Storage Company の副社長で技師の{{仮リンク|チャールズ・クラム|en|Charles Krum}}に意見を求めた。クラムはPearneの研究に関心を寄せ、Western Cold Storage の研究室にそのためのスペースを設けた。Frank Pearne は1年ほどでプロジェクトに興味を失い、教職に就いた。クラムは研究を続け、1903年8月に ‘typebar page printer’ と題した特許を取得<ref>{{Cite web | url= http://patimg1.uspto.gov/.piw?Docid=00888335&homeurl=http%3A%2F%2Fpatft.uspto.gov%2Fnetacgi%2Fnph-Parser%3FSect1%3DPTO1%2526Sect2%3DHITOFF%2526d%3DPALL%2526p%3D1%2526u%3D%25252Fnetahtml%25252FPTO%25252Fsrchnum.htm%2526r%3D1%2526f%3DG%2526l%3D50%2526s1%3D0888335.PN.%2526OS%3DPN%2F0888335%2526RS%3DPN%2F0888335&PageNum=&Rtype=&SectionNum=&idkey=NONE&Input=View+first+page | title=U.S. Patent 888,335 issued in May, 1908| accessdate=August 13, 2011}}</ref>。1904年には ‘type wheel printing telegraph machine’ と題した特許を出願し<ref>{{Cite web | url= http://patimg1.uspto.gov/.piw?Docid=00862402&homeurl=http%3A%2F%2Fpatft.uspto.gov%2Fnetacgi%2Fnph-Parser%3FSect1%3DPTO1%2526Sect2%3DHITOFF%2526d%3DPALL%2526p%3D1%2526u%3D%25252Fnetahtml%25252FPTO%25252Fsrchnum.htm%2526r%3D1%2526f%3DG%2526l%3D50%2526s1%3D0862402.PN.%2526OS%3DPN%2F0862402%2526RS%3DPN%2F0862402&PageNum=&Rtype=&SectionNum=&idkey=NONE&Input=View+first+page | title=U.S. Patent 862,402| accessdate=August 13, 2011}}</ref>、1907年8月に発効した。1906年には息子のハワード・クラムも父の研究に参加している。符号電信システムの通信開始・終了時の同期方法を考案し特許をとったのはハワードであり、それによってテレタイプ端末の実用化が可能となった<ref>{{Cite web | url= http://patimg2.uspto.gov/.piw?Docid=01286351&homeurl=http%3A%2F%2Fpatft.uspto.gov%2Fnetacgi%2Fnph-Parser%3FSect1%3DPTO1%2526Sect2%3DHITOFF%2526d%3DPALL%2526p%3D1%2526u%3D%25252Fnetahtml%25252FPTO%25252Fsrchnum.htm%2526r%3D1%2526f%3DG%2526l%3D50%2526s1%3D1286351.PN.%2526OS%3DPN%2F1286351%2526RS%3DPN%2F1286351&PageNum=&Rtype=&SectionNum=&idkey=NONE&Input=View+first+page | title=U.S. Patent 1,286,351 filed in May, 1910, and issued in December, 1918| accessdate=August 13, 2011}}</ref>。
1908年、(Joy Morton と Charles Krum の名を組み合わせた)モルクラム社がテレタイプ端末 Morkrum Printing Telegraph を開発し、Alton Railroad と共同で実地試験を行った。1910年、モルクラム社の初の商用テレタイプ端末がボストン-ニューヨーク間の電信線で導入された<ref name="Colin Hempstead, William E. Worthington 2005 605">{{Cite book |author=Colin Hempstead, William E. Worthington |url= http://books.google.com/books?id=0wkIlnNjDWcC&pg=PA605 |title= Encyclopedia of 20th Century Technology |year=2005 |page=605}}</ref><ref>{{Cite web |url= http://www.baudot.net/teletype/MPT.htm |title=Morkum Printing Telegraph Page Printer |accessdate=2011年08月15日}}</ref>。
1916年、{{仮リンク|エドワード・クラインシュミット|en|Edward Kleinschmidt}}がタイプバー式ページプリンターについての特許を出願<ref>{{Cite web | last = KLEINSCHMIDT | first = E. | title = TELEGRAPH PRINTER | publisher = USPO | date = Apr 14, 1916 | url = http://www.google.com/patents?id=QDRVAAAAEBAJ&dq=1448750 | accessdate = 2008年07月11日}}</ref>。1919年、モルクラム社が先述の開始・終了時の同期技法についての特許を取得すると、間もなくクラインシュミットが "Method of and Apparatus for Operating Printing Telegraphs" と題した特許を出願<ref>{{Cite web | last = KLEINSCHMIDT | first = E. | title = METHOD OF AND APPARATUS EOR OPERATING PRINTING TELEGRAPHS | publisher = USPO | date = May 1, 1919 | url = http://www.google.com/patents?id=lzlKAAAAEBAJ&dq=1463136 | accessdate = 2008年07月11日}}</ref>。この特許にはモルクラム社の開始・終了技法の改良版が含まれていた<ref name=historytelcom>{{Cite book | last = Huurdeman | first = Anton A. | title = The Worldwide History of Telecommunications | publisher = Wiley-IEEE | year = 2003 | pages = 302 | url = | id = | isbn = 0-471-20505-2}}</ref>。
1924年、[[:en:Frederick G. Creed|Frederick G. Creed]] が創業した Creed & Company がテレタイプ端末市場に参入。1925年、Creed は Baudot Code を合理化したミュレーの符号体系についての特許を獲得し、1927年の新機種にそれを採用した。この機種は受信したメッセージをゴムを塗布した紙テープに毎分65語の速度で印字でき、Creedとしては初の送受信機能を一体化した大量生産機だった。
1940年代、5ビットの [[Baudot Code]] が普及すると[[ウエスタンユニオン]]が転送速度を比較する指標として [[:en:words per minute|words per minute]] を採用し、その後数十年に渡って使われた。通常、スタートビットを1ビット、データビットを5ビット、ストップビットを1.42ビットの長さで送る。ストップビットがこのような長さになっているのは、機械式印字機構を同期させるためである。コンピュータは1.42などという時間を容易には生成できないので、1.5で代替するか2.0ビットぶん送信して1.0ビットぶんだけ受信するなどの工夫をした。
一部のテレタイプ端末には "Here is" キーがあり、プログラム可能な20文字または22文字を送信する。この文字列はENQ(コントロール+E)信号を受信した際に自動的に応答として送信するようにも設定できる<ref name="Hereis">{{Cite web |url= http://www.pdp8.net/asr33/pics/main_back.shtml |title=ASR 33 Teletype Rear View of Main Assembly|accessdate=2013年06月01日}}</ref><ref name="AnotherHereis">{{Cite web |url= http://www.k7tty.com/development/teletype/model-32/index.html |title=Teletype Model 32ASR |accessdate=2013年06月01日}}</ref>。これは一般に局の識別に使われた。オペレータがこのキーを押下すると局識別子が相手に送られ、また相手が「お前は誰だ?」を意味するENQ文字を送信してきたら同じように応答する。
{{仮リンク|モルクラム|en|Morkrum}}の最初の電信印刷機は1910年、ボストンとニューヨークの Postal Telegraph Company に納入された<ref>{{Cite book |author=Colin Hempstead, William E. Worthington |url= http://books.google.com/books?id=0wkIlnNjDWcC&pg=PA605 |title=Encyclopedia of 20th-century technology |year=2005 |page=605}}</ref>。鉄道と共に発展していき、1914年には[[AP通信]]が採用した<ref name="Colin Hempstead, William E. Worthington 2005 605"/><ref>{{Cite web |url= http://www.baudot.net/teletype/MPT.htm |title=Morkum Printing Telegraph Page Printer |accessdate= 2011年08月22日}}</ref>。1930年にクラインシュミット・エレクトリックと合併してモルクラム・クラインシュミットとなり、直後にテレタイプ・コーポレーションに改称している<ref name="Queensland">{{Cite web | url= http://www.telemuseum.org/teleprinters.html | title=Queensland Telecommunications Museum – Teleprinters | publisher=Queensland Telecommunications Museum|accessdate=2013年06月01日}}</ref><ref>{{Cite book | url= http://www.archive.org/details/morkrumsystemofp00earl | title=The Morkrum System of Printing Telegraphy | author=Earle, Ralph H. |year=1917 | location=Chicago | publisher=Armour Institute of Technology (thesis)}}</ref>。
5ビットの Baudot Code と7ビットのASCIIコードに加え、6ビットのTTS(テレタイプセッター)コードもニュース配信などに使われていた<ref>[http://inventors.about.com/od/pstartinventions/a/printing.htm The History of Printing and Printing Processes], retrieved 2008 July 15</ref>。「シフト」コードと「シフトアウト」コードを使うことで、アルファベットの全ての大文字と小文字、数字、新聞で使われる記号、「左寄せ」や「中央にそろえる」といった植字指示などを扱える。本来このコードは紙テープをさん孔し、その紙テープを[[ライノタイプ]]付属の紙テープリーダーに読み込ませ、新聞や雑誌の印刷にそのまま使用することを意図したものだった。後には、カレントループ信号をそのままミニコンピュータやメインフレームに記録させ、コンピュータ上で編集して写真製版機に入力するようになった。
最初期の[[マイクロコンピュータ]]評価用ボードである、[[インテル]]SDK-80([[Intel 8080|i8080]]ベース)には、テレタイプ端末を想定したデバッグ[[モニター|モニタ]]が[[Read Only Memory|ROM]]で提供されていた。また、初期のマイクロコンピュータ用プログラム開発環境、例えばインテルMDSやデジタルリサーチ[[CP/M]]などはテレタイプ端末も使用できるように作られていた。
* [http://books.google.com/books?id=g_EDAAAAMBAJ&pg=PA577#v=onepage&f=true "Teletype Messages Sent Through Switch Board"], ''Popular Mechanics'', April 1932. AT&T offering two way service through switchboards
1846年、ワシントンD.C.とニューヨーク間でモールス式電信システムが開通した。ロイヤル・E・ハウスは同年、電信印刷機の特許を取得している。28キーのピアノ状のキーボード2台を相互接続したもので、各キーがアルファベットに対応していて、一方のキーボードのキーを押下すると相手側でその文字が印字される仕組みになっていた。「シフト」キーがあるので、各キーは2種類の値を発生できる。そのため合計56種類の活字で構成されるタイプホイールが双方にあり、同期して回転する仕組みになっている。送信側でキーを押下すると、受信側のタイプホイールが回転して対応する活字が印字される位置に移動する。したがってこれは同期式データ転送システムの一種である。ハウスの装置は1分間に約40語を伝送できたが、大量生産は難しかった。印字機構は1時間に2,000語まで印字可能だった。この発明は1844年、ニューヨークの Mechanics Institute で完成し展示された。
1916年、エドワード・クラインシュミット(英語版)がタイプバー式ページプリンターについての特許を出願[11]。1919年、モルクラム社が先述の開始・終了時の同期技法についての特許を取得すると、間もなくクラインシュミットが "Method of and Apparatus for Operating Printing Telegraphs" と題した特許を出願[12]。この特許にはモルクラム社の開始・終了技法の改良版が含まれていた[13]。
1940年代、5ビットの Baudot Code が普及するとウエスタンユニオンが転送速度を比較する指標として words per minute を採用し、その後数十年に渡って使われた。通常、スタートビットを1ビット、データビットを5ビット、ストップビットを1.42ビットの長さで送る。ストップビットがこのような長さになっているのは、機械式印字機構を同期させるためである。コンピュータは1.42などという時間を容易には生成できないので、1.5で代替するか2.0ビットぶん送信して1.0ビットぶんだけ受信するなどの工夫をした。
モルクラム(英語版)の最初の電信印刷機は1910年、ボストンとニューヨークの Postal Telegraph Company に納入された[16]。鉄道と共に発展していき、1914年にはAP通信が採用した[9][17]。1930年にクラインシュミット・エレクトリックと合併してモルクラム・クラインシュミットとなり、直後にテレタイプ・コーポレーションに改称している[18][19]。