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== 日本の領土問題に影響を及ぼしているSCAPIN ==
== 日本の領土問題に影響を及ぼしているSCAPIN ==


=== SCAPIN-677 ===
=== SCAPIN-677(追記) 指令上の日本の定義 (追記ここまで) ===
{{Wikisourcelang|en|SCAPIN-677}}
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日本の[[行政権]]の行使に関する範囲に言及した第677号において、[[竹島 (島根県)|現竹島]]、[[南樺太]]・[千島列島]]・[[色丹島]]・[[歯舞群島]]が除かれているため、戦後、[[現竹島]]を占拠する韓国と、[[南樺太]]・[[千島|南千島・北千島]]・[[色丹]]・[[歯舞]]を占拠するロシアは、この文書を自国の領有根拠の一つとしており、日本との間で領土問題が続いている。
日本の[[行政権]]の行使に関する範囲に言及した第677号において、[[竹島 (島根県)|現竹島]]、[[南樺太]]・(追記) [ (追記ここまで)[千島列島]]・[[色丹島]]・[[歯舞群島]]が除かれているため、戦後、[[現竹島]]を占拠する韓国と、[[南樺太]]・[[千島|南千島・北千島]]・[[色丹]]・[[歯舞]]を占拠するロシアは、この文書を自国の領有根拠の一つとしており、日本との間で領土問題が続いている。


しかし、SCAPの上部組織である[[極東委員会]]には軍事作戦行動や領域の調整に関する権限が与えられていない<ref>外務省記録公開文書 リール番号A'-0106 コマ番号315「14.極東委員会および連合国対日理事会付託事項」 [http://gaikokiroku.mofa.go.jp/djvu/A0106/index.djvu?djvuopts&page=315]</ref>。それを踏まえてこの文書の第6項には「この指令中の条項は何れも、[[ポツダム宣言]]の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」と、これが暫定的な指令である旨が明示されている。しかしながら、[[現竹島]]・[[北方領土]]は、SCAPIN-677以降、[[ポツダム宣言]]やこのSCAPIN-677第6項に反して不当に日本の施政権の外に置かれたままとなっている。
しかし、SCAPの上部組織である[[極東委員会]]には軍事作戦行動や領域の調整に関する権限が与えられていない<ref>外務省記録公開文書 リール番号A'-0106 コマ番号315「14.極東委員会および連合国対日理事会付託事項」 [http://gaikokiroku.mofa.go.jp/djvu/A0106/index.djvu?djvuopts&page=315]</ref>。それを踏まえてこの文書の第6項には「この指令中の条項は何れも、[[ポツダム宣言]]の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」と、これが暫定的な指令である旨が明示されている。しかしながら、[[現竹島]]・[[北方領土]]は、SCAPIN-677以降、[[ポツダム宣言]]やこのSCAPIN-677第6項に反して不当に日本の施政権の外に置かれたままとなっている。
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また、SCAPIN-677以降のマッカーサーラインを日本との確定された国境線と故意に錯覚したかのような[[李承晩ライン]]([[1952年]][[1月18日]]〜[[1965年]][[6月22日]]<ref name="satoeisaku19650622">{{ Cite web | title = 日韓基本条約の関係諸協定,漁業協定(日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定) | url = http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.T2J.html | publisher = [[東京大学東洋文化研究所]] [[田中明彦]]研究室 | accessdate = 2013年03月23日 }}</ref>)によって韓国に不法占拠されることになった[[現竹島]]については、[[1952年]][[1月28日]]、[[吉田茂内閣]]が李承晩ラインそのものを「公海上の違法な線引き」として断罪し「韓国は竹島として知られる日本海の小島に領土権を主張しているかのように見えるが、日本国政府は、韓国のかかる僭称または要求を認めるものでない」と警告している<ref name="yoshidashigeru19520128">{{ Cite web | title = 杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」 第27回 李承晩ラインと竹島 | url = http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/sugi/take_04g27.html | publisher = [[島根県]] [[総務課]] Web竹島問題研究所 | accessdate = 2013年03月23日 }}</ref>。また、日本を占領統治していた連合国軍も米国も、現竹島に対する韓国の領有権(主権)を認めたことは全くない。にもかかわらず、現竹島の主権者(帰属先)がどこの国であるのかが日本と連合国との間では、[[ポツダム宣言]]([[カイロ宣言]])・1951年8月10日の「[[ラスク書簡]]」・1954年の米国機密文書「[[ヴァン・フリート特命報告書]]」を除いては、明示的に確定されていないままとなっている。つまり、過去の歴史的経緯から現竹島の主権者(帰属先)は日本であるべきであるという国際法的真理がサンフランシスコ条約によってあべこべに不明確にされ、かつ、韓国には現竹島の領有権を国際社会に説明できるほどの歴史的根拠がないという共通認識すら韓国自身が持とうとしないという事情の故に、[[北方領土問題]]の場合と全く同様、SCAPIN-677によってたまたま日本の施政権の外に置かれただけのはずの現竹島が韓国によって全く不当に不法占拠され続けるという事態になってしまっている。
また、SCAPIN-677以降のマッカーサーラインを日本との確定された国境線と故意に錯覚したかのような[[李承晩ライン]]([[1952年]][[1月18日]]〜[[1965年]][[6月22日]]<ref name="satoeisaku19650622">{{ Cite web | title = 日韓基本条約の関係諸協定,漁業協定(日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定) | url = http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.T2J.html | publisher = [[東京大学東洋文化研究所]] [[田中明彦]]研究室 | accessdate = 2013年03月23日 }}</ref>)によって韓国に不法占拠されることになった[[現竹島]]については、[[1952年]][[1月28日]]、[[吉田茂内閣]]が李承晩ラインそのものを「公海上の違法な線引き」として断罪し「韓国は竹島として知られる日本海の小島に領土権を主張しているかのように見えるが、日本国政府は、韓国のかかる僭称または要求を認めるものでない」と警告している<ref name="yoshidashigeru19520128">{{ Cite web | title = 杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」 第27回 李承晩ラインと竹島 | url = http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/sugi/take_04g27.html | publisher = [[島根県]] [[総務課]] Web竹島問題研究所 | accessdate = 2013年03月23日 }}</ref>。また、日本を占領統治していた連合国軍も米国も、現竹島に対する韓国の領有権(主権)を認めたことは全くない。にもかかわらず、現竹島の主権者(帰属先)がどこの国であるのかが日本と連合国との間では、[[ポツダム宣言]]([[カイロ宣言]])・1951年8月10日の「[[ラスク書簡]]」・1954年の米国機密文書「[[ヴァン・フリート特命報告書]]」を除いては、明示的に確定されていないままとなっている。つまり、過去の歴史的経緯から現竹島の主権者(帰属先)は日本であるべきであるという国際法的真理がサンフランシスコ条約によってあべこべに不明確にされ、かつ、韓国には現竹島の領有権を国際社会に説明できるほどの歴史的根拠がないという共通認識すら韓国自身が持とうとしないという事情の故に、[[北方領土問題]]の場合と全く同様、SCAPIN-677によってたまたま日本の施政権の外に置かれただけのはずの現竹島が韓国によって全く不当に不法占拠され続けるという事態になってしまっている。


=== SCAPIN-1033 ===
=== SCAPIN-1033(追記) 日本の漁業捕鯨区域からの現竹島の排除 (追記ここまで) ===
{{Wikisourcelang|en|SCAPIN-1033}}
{{Wikisourcelang|en|SCAPIN-1033}}
第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって、[[太平洋戦争]]終戦後の日本漁船の活動可能領域が定められた。[[マッカーサー・ライン]]として知られる。この覚書では、竹島周囲12海里以内の地域を日本の操業区域から除外する一方、「この認可は、関係地域またはその他どの地域に関しても、日本の管轄権、国際境界線または漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」との文言も盛り込まれており、主に領土問題において頻繁に議論の的となる。
第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって、[[太平洋戦争]]終戦後の日本漁船の活動可能領域が定められた。[[マッカーサー・ライン]]として知られる。この覚書では、竹島周囲12海里以内の地域を日本の操業区域から除外する一方、「この認可は、関係地域またはその他どの地域に関しても、日本の管轄権、国際境界線または漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」との文言も盛り込まれており、主に領土問題において頻繁に議論の的となる。

2013年3月23日 (土) 10:56時点における版

SCAPIN(Supreme Command for Allied Powers Instruction Note、スキャッピン)とは、連合国軍最高司令官(SCAP)から日本政府宛てに出された訓令。公式には連合軍最高司令部訓令と訳されるが、連合国軍総司令部覚書や対日指令集 (SCAP Instructions、SCAPINs) と呼称されることもある。

総説

第二次世界大戦の戦後処理において、アメリカ合衆国が主導する連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、日本では通称「GHQ」)より様々な指令が出された。その内容はや検閲(日本における検閲)の規定、国旗掲揚の許可、漁業権の範囲を定めるもの、など多岐に渡る。それらの目的は日本から国家主義軍国主義を一掃することとされている。

基礎的施策を定める指示およびそれを拡充する訓令である指令が1945年 9月2日のSCAPIN-1から1952年 4月26日のSCAPIN-2204まで出されたほか、行政的(Administrative)な指示「SCAPIN-A」もあった。[1]

日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の発効に伴い、一部の特別な協定の結ばれたものを除き失効した。

日本の領土問題に影響を及ぼしているSCAPIN

SCAPIN-677 指令上の日本の定義

英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

日本の行政権の行使に関する範囲に言及した第677号において、現竹島南樺太千島列島色丹島歯舞群島が除かれているため、戦後、現竹島を占拠する韓国と、南樺太南千島・北千島色丹歯舞を占拠するロシアは、この文書を自国の領有根拠の一つとしており、日本との間で領土問題が続いている。

しかし、SCAPの上部組織である極東委員会には軍事作戦行動や領域の調整に関する権限が与えられていない[2] 。それを踏まえてこの文書の第6項には「この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」と、これが暫定的な指令である旨が明示されている。しかしながら、現竹島北方領土は、SCAPIN-677以降、ポツダム宣言やこのSCAPIN-677第6項に反して不当に日本の施政権の外に置かれたままとなっている。

連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号
1946年1月29日


1 日本国外の総ての地域に対し、又その地域にある政府役人、雇傭員その他総ての者に対して、政治上又は行政上の権力を行使すること、及、行使しようと企てることは総て停止するよう日本帝国政府に指令する。

2 日本帝国政府は、巳に認可されている船舶の運航、通信、気象関係の常軌の作業を除き、当司令部から認可のない限り、日本帝国外の政府の役人、雇傭人其の他総ての者との間に目的の如何を問わず、通信を行うことは出来ない。

3 この指令の目的から日本と言ふ場合は次の定義による。

日本の範囲に含まれる地域として
日本の四主要島嶼(北海道、本州、四国、九州)と、対馬諸島、北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口之島を除く)を含む約1千の隣接小島嶼
日本の範囲から除かれる地域として
(a)欝陵島、竹島、済州島。(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島。(c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島

4 更に、日本帝国政府の政治上行政上の管轄権から特に除外せられる地域は次の通りである。

(a)1914年の世界大戦以来、日本が委任統治その他の方法で、奪取又は占領した全太平洋諸島。(b)満洲、台湾、澎湖列島。(c)朝鮮及び(d)樺太。

5 この指令にある日本の定義は、特に指定する場合以外、今後当司令部から発せられるすべての指令、覚書又は命令に適用せられる。

6 この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。

7 日本帝国政府は、日本国内の政府機関にして、この指令の定義による日本国外の地域に関する機能を有する総てのものの報告を調整して当指令部に提出することを要する。この報告は関係各機関の機能、組織及職員の状態を含まなくてはならない。

8 右第7項に述べられた機関に関する報告は、総てこれを保持し何時でも当司令部の検閲を受けられるようにしておくことを要する。

また、SCAPIN-677が発令された半月後の1946年2月13日に行われた日本との会談において、GHQはSCAPINが領土に関する決定ではないこと及び領土の決定は講和会議にてなされると回答している。[3]

行政の分離に関する第一回会談録(終戦第一部第一課)
(昭和二十一年)二月十三日黄田連絡官GS「ロッヂ」大尉及び「プール」中尉と標記の件に関し第一回会談を行ひたり要旨左の如し
黄「本日は領土の歸屬問題乃至は本指令の妥当性等に付いては触れさることとし単に疑義に付質問を為さんか為参上せり」
米「本指令は単なる連合国側の行政的便宜より出てたるに過きす従来行はれ来りたることを本指令に依り確認せるものなり即ち其の他はSCAPの所管するところにあらす例えは大島はCINPACの所管。鬱陵島は第二十四軍団の指揮下に在り従って本指令に依る日本の範囲の決定は何等領土問題とは関連を有せす之は他日講和会議にて決定さるへき問題なり

朝鮮半島南部を統治していた米軍政府も1947年8月のレポートにおいて、竹島の管轄権の終局的処分は平和条約を待つとしている。[4]

18 Representatives of the Fisheries Bureau and Korea History and Geography Association left for Ulleung-do and Tok-to on 16August. The letter, two small islands about 40 miles southeast of Ullueng-do, is and excellent base for extend fishing operation. Formally belonging to Japan, a recent occupation directive which draw and arbitrary line demaroating Japanese and Korean fishing waters placed Tok-to witin the Korean zone. Final disposition of the islands's jurisdition awaits the peace treaty.

SCAPIN-677の日本の領土問題への影響の比較

サンフランシスコ条約によって明確に米国信託統治領となり(グアムと同様)日本の主権が完全に失われていた奄美沖縄(尖閣を含む)・小笠原などの地域と、サンフランシスコ条約によっても帰属先(主権者)が不明確なままだった現竹島・北方領土(歯舞色丹北千島南千島南樺太)とでは、領土問題(主権問題)の出発点がこの同じSCAPIN-677であったとしても、自ずとその問題の性質が異なっている。

奄美・沖縄・小笠原

奄美沖縄(尖閣を含む)・小笠原などサンフランシスコ条約によって明確に米国の信託統治領となった地域については、第1次世界大戦以降の民族自決の原則や沖縄人の祖国復帰運動やライシャワー大使・佐藤栄作首相・若泉敬首相特使・キッシンジャー 国家安全保障問題担当大統領補佐官らの英断により、日本国に返還されることになった。つまり、主権者(責任者)が常に明確であったために、その主権を大日本帝国から米国へ、米国から日本国へと交渉によって明確に移動させることが主権者の了解・同意さえあれば常に可能であり、実際、行われた。

北方領土・現竹島

これに対して、ポツダム宣言(カイロ宣言)上は日本が主権者でありながらSCAPIN-677によってたまたま日本の施政権の外に置かれただけのように当初見えた北方領土現竹島については、当初から漁業権などで問題になっていたにもかかわらず、その主権者(帰属先)がサンフランシスコ条約によっても明示されないままであった。

まず、s:ポツダム宣言違反であるにもかかわらず日本が主権回復のために一旦放棄させられた格好の北方領土については、主権回復と引き換えに放棄させられたということ自体に対して吉田茂首相が受諾演説で連合国に明確に抗議している[5] 。しかしながら、いまだに、北方領土の主権者(帰属先)はどこの国であるべきなのかという肝心要の問題が日本と連合国との間では、ポツダム宣言(カイロ宣言)を除いて、明示的に確定されていないままである。つまり、過去の歴史的経緯から北方領土の主権者(帰属先)は日本であるべきであるという国際法的真理がサンフランシスコ条約によってあべこべに不明確にされ、かつ、ソ連・ロシアが北方領土の主権(潜在主権を含む)に関する国際法的共通認識を持とうとしないという事情の故に、SCAPIN-677によってたまたま日本の施政権の外に置かれただけのはずの北方領土がソ連・ロシアによって全く不当に不法占拠され続けるという事態になってしまっている。

また、SCAPIN-677以降のマッカーサーラインを日本との確定された国境線と故意に錯覚したかのような李承晩ライン(1952年 1月18日1965年 6月22日 [6] )によって韓国に不法占拠されることになった現竹島については、1952年 1月28日吉田茂内閣が李承晩ラインそのものを「公海上の違法な線引き」として断罪し「韓国は竹島として知られる日本海の小島に領土権を主張しているかのように見えるが、日本国政府は、韓国のかかる僭称または要求を認めるものでない」と警告している[7] 。また、日本を占領統治していた連合国軍も米国も、現竹島に対する韓国の領有権(主権)を認めたことは全くない。にもかかわらず、現竹島の主権者(帰属先)がどこの国であるのかが日本と連合国との間では、ポツダム宣言(カイロ宣言)・1951年8月10日の「ラスク書簡」・1954年の米国機密文書「ヴァン・フリート特命報告書」を除いては、明示的に確定されていないままとなっている。つまり、過去の歴史的経緯から現竹島の主権者(帰属先)は日本であるべきであるという国際法的真理がサンフランシスコ条約によってあべこべに不明確にされ、かつ、韓国には現竹島の領有権を国際社会に説明できるほどの歴史的根拠がないという共通認識すら韓国自身が持とうとしないという事情の故に、北方領土問題の場合と全く同様、SCAPIN-677によってたまたま日本の施政権の外に置かれただけのはずの現竹島が韓国によって全く不当に不法占拠され続けるという事態になってしまっている。

SCAPIN-1033 日本の漁業捕鯨区域からの現竹島の排除

英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって、太平洋戦争終戦後の日本漁船の活動可能領域が定められた。マッカーサー・ラインとして知られる。この覚書では、竹島周囲12海里以内の地域を日本の操業区域から除外する一方、「この認可は、関係地域またはその他どの地域に関しても、日本の管轄権、国際境界線または漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」との文言も盛り込まれており、主に領土問題において頻繁に議論の的となる。

なお、後に韓国李承晩 大統領によって宣言された「李承晩ライン」はこの第1033号によって画定されたマッカーサー・ラインを踏襲したものである。

原文
SCAPIN 1033
22 June 1946
SUBJECT : Area Authorized for Japanese Fishing and Whaling.
3.
(b) Japanese vessels or personnel thereof will not approach closer than twelve (12) miles to Takeshima (37°15' North Latitude, 131°53' East Longitude) nor have any contact with said island.
5. The present authorization is not an expression of allied policy relative to ultimate determination of national jurisdiction, international boundaries or fishing rights in the area concerned or in any other area.
翻訳
SCAPIN 1033
1946年6月22日
主題:日本の漁業と捕鯨に認可される区域。
3.
(b) 日本の船またはその人員は、竹島(北緯37°15′、東経131°53′)へ12マイルより近くに接近しない、またその島とのいかなる接触もしない。
5. この認可は、関係する区域や他のどの区域の国の管轄権・国境・漁業権の最終的な決定に係わる連合国の政策の表明ではない。

SCAPIN-1778 米国務省の見解

英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

サンフランシスコ条約後の1952年11月14日に、SCAPIN-677を根拠とした韓国の主張について、米国務省は駐韓米国大使に以下の書簡を送付している。[8] [9]

原文
The Korean claim, based on SCAPIN 677 of January 29, 1946, which suspended Japanese administration of various island areas, including Takeshima (Liancourt Rocks), did not preclude Japan from exercising sovereignty over this area permanently. A later SCAPIN, No. 1778 of September 16, 1947 designated the islets as a bombing range for the Far East Air Force and further provided that use of the range would be made only after notification through Japanese civil authorities to the inhabitants of the Oki Islands and certain ports on Western Honsu.
翻訳
韓国は、竹島(リアンクール岩)を含む様々な島嶼地域に対する日本の施政を停止した1946年1月29日のSCAPIN-677に基づいた権利の主張をしていますが、日本を
この地域における永続的な主権の行使から排除したものではありません。
後続のSCAPINである1947年9月16日付け第1778号は、同島を極東空軍の射爆場として指定し
さらに当該射爆場の使用は、日本の文民当局を通じて隠岐及び本州西部の住民に通告した後にはじめて行われると規定しました。
補足
これは事実問題として、竹島の所有権が日本側にあるからこそ、極東空軍が日本文民当局を通じて通告するとしたのである(所有権が韓国側にあるならば、日本に通告する必要は生じない)

占領中の統治権と占有

国際法学者のブラウンリーは、連合国のドイツ統治権の掌握はドイツの主権を著しく毀損したが主権の移転はなされていないとした。更に、ヤルタ協定やポツダム宣言の決定として行われた占有といった領土処分は法的根拠が与えられておらず、多数国間の平和条約等によってその違法性を相殺することが重要としている。また、サンフランシスコ条約における日本の放棄については、別の国家が既に権原を有していることの承認として分類せず、別の国家集団が行使する処分権の承認若しくは処分権を与えることへの同意であるとしている。[10]

一覧

  • 1945年9月2日 SCAPIN-1 陸海軍解体・軍需工業停止などを指令
  • 1945年9月10日 SCAPIN-16 「言論及び新聞の自由に関する覚書」「新聞報道取締方針」で検閲を開始。
  • 1945年9月10日 SCAPIN-17 13日24時までの大本営廃止を発令
  • 1945年9月21日 SCAPIN-33 「日本に与うる新聞遵則」(プレスコード)を発令
  • 1945年10月4日 SCAPIN-93 政治的、公民的及宗教的自由に対する制限除去
  • 1945年10月22日 SCAPIN-178 「日本教育制度ニ対スル管理政策」を発令
  • 1945年11月6日 SCAPIN-244 「持株会社解体に関する司令部覚書」
  • 1945年12月15日 SCAPIN-448 「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(神道指令)を発令
  • 1945年12月31日 SCAPIN-519 学校教育における「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」を発令
  • 1946年1月4日 SCAPIN-548 超国家主義団体の解体の指令
  • 1946年1月4日 SCAPIN-550 公職追放の指令
  • 1946年1月21日 SCAPIN-642 公娼廃止の指令
  • 1946年1月28日 SCAPIN-658 映画検閲の指令
  • 1946年10月12日 SCAPIN-1266 日本史学科再開はSCAP認可の教科書使用を条件とする旨の指令
  • 1946年10月25日 SCAPIN-1294 石油関係法令廃止と配給会社解散を指令
[icon]
この節の加筆が望まれています。

脚注

  1. ^ 国立国会図書館憲政資料室の所蔵資料 Supreme Commander for the Allied Powers Directives to the Japanese Government (SCAPINs)
  2. ^ 外務省記録公開文書 リール番号A'-0106 コマ番号315「14.極東委員会および連合国対日理事会付託事項」 [1]
  3. ^ 外務省記録公開文書 リール番号A'-0121 コマ番号85「2.行政の分離に関する司令部側との会談 [2]
  4. ^ U.S. Army Military Government - South Korea: Interim Government Activities, No.1, August 1947 [3]
  5. ^ "サンフランシスコ平和会議における吉田茂総理大臣の受諾演説". 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室. 2013年3月23日閲覧。
  6. ^ "日韓基本条約の関係諸協定,漁業協定(日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定)". 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室. 2013年3月23日閲覧。
  7. ^ "杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」 第27回 李承晩ラインと竹島". 島根県 総務課 Web竹島問題研究所. 2013年3月23日閲覧。
  8. ^ 竹島問題に関する調査研究最終報告書 サン・フランシスコ平和条約における竹島の取り扱い[4]
  9. ^ Letter from Office of Northeast Asian Affairs To E. Allan Lightner American Embassy, Pusan Korea[5]
  10. ^ ブラウンリー(訳 島田征夫他) 『ブラウンリー 国際法学 補正版』1992年12月、pp.98, 120-121頁。ISBN 9784792331061 

関連項目

外部リンク

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