「国鉄ト21600形貨車」の版間の差分
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'''ト21600形'''は、かつて[[日本国有鉄道]](国鉄)の前身である[[鉄道省]]に在籍した[[無蓋車|無蓋]][[貨車]]である。
==ひとりごと==
このところ、私に粘着する荒らしがそこここで"しょーもない"悪さをしておりまして、各方面にご面倒をおかけしております。まあ、所詮はその程度の輩ですし、しばらくすれば、きっと飽きるのではないかと思いますので、それまで生暖かく対処をお願いできればと思います。対処していただいている皆様には感謝の限りでございます。--[[利用者:Kone|Kone]]([[利用者‐会話:Kone|会話]]) 2012年11月2日 (金) 10:52 (UTC)
== 概要 ==
[[1914年]](大正3年)から[[1917年]](大正6年)にかけて、[[日本車輌製造]]、天野工場、[[汽車製造]]支店および鉄道院[[旭川車両所|旭川工場]]で製造された、15[[トン]]積み[[二軸車 (鉄道)|二軸]]無蓋車で、製造数は2,096両(ト21600 - 23695)である。[[1928年]](昭和3年)の称号規程改正により、'''トム1形'''に改称された。
日本で初めて荷重を15トンとした二軸無蓋車である。荷台の内寸は長さ6,930[[ミリメートル|mm]]、幅2,200mm、側板の高さ1,000mm、妻板の高さ1,280mmであり、床面積は15.9[[平方メートル|m²]]、容積は36.6[[立方メートル|m³]]である。側板の構造は、車体中央部に幅1,628mmの[[観音開き]]式の鋼製扉を設け、その両側は木製5枚側のうち下部2枚をあおり戸とし、上部の3枚は固定式としたもので、初の15トン積み無蓋車ということもあり、強度に配慮したものと推定される。俗に「観音トム」と呼ばれるグループの一つで、床面も木製である。次級[[国鉄ト24000形貨車|ト24000形]](後のトム5000形、トム16000形)との最大の相違点は、[[軸 (機械要素)|車軸]]がト24000形では長軸であるのに対し、本形式では短軸とされている点である。
その他の主要諸元は、全長7,760 - 7,947mm、全幅2,354 - 2,598mm、自重6.5 - 8.0tである。下回りは軸距3,900 - 3,962mmで、軸ばね受けはシュー式となっており、[[最高速度|最高運転速度]]は65[[キロメートル毎時|km/h]]である。
=== 1928年改番後の状況 ===
前述のように、本形式は1928年の称号規程改正により、トム1形とされた。この時点で、[[#ト23700形(トサ1形)|ト23700形(トサ1形)]]および[[#トフ20900形(トフ250形)|トフ20900形(トフ250形)]]への改造車と[[廃車 (鉄道)|廃車]]があり、トム1形となったのは2,028両(ト1 - 2029。1983欠)であった。その後、トサ1形の復元および[[国鉄ワム3500形貨車|ワム3500形]]、[[国鉄スム1形貨車|スム1形]]、[[国鉄ヨ1形貨車|ヨ1形]]の改造車ならびに私鉄買収車が編入されたため、最終番号はトム2525(欠番あり)である。また、[[二車現存]]車の[[改番]]により、ト2030 - 2034, 2367 - 2375, 2492が出現している。
本形式は、汎用無蓋車として全国で使用されたが、淘汰は昭和20年代後半から本格的に進んだ。[[1959年]](昭和34年)度に姿を消したが、書類上は[[1985年]](昭和60年)度まで在籍していた。
== 形式間改造 ==
前述のように、ト21600形時代に24トン積みのト23700形および無蓋[[緩急車]]トフ20900形に改造されている。
=== ト23700形(トサ1形) ===
'''ト23700形'''は、[[1918年]](大正7年)に20両(ト23700 - 23719)、[[1920年]](大正9年)に30両(ト23720 - 23749)がト21600形の改造により[[大宮総合車両センター|大宮工場]]で製作された、24トン積み三軸無蓋車である。[[常磐炭田|常磐炭]]の輸送用の大型無蓋車として[[プロトタイプ|試作]]されたもので、側板と妻板の上部に5枚分を継ぎ足し、あおり戸、開き戸を改造するとともに、台枠中央に一軸を増設したものである。1928年の称号規程改正では、'''トサ1形'''(初代)<ref>2代目は青梅電気鉄道の買収車で、これも三軸貨車であった。</ref>に改称された。
改造仕様により3種の車体がある。これは、量産に先立ち、使用上のデータを収集するためと推測される。第1のタイプは、あおり戸を4枚分とし、開き戸を上部に移設したもので、妻板も上部が山型となっている。10両(ト23700 - 23709)が1918年に、量産車として30両が1920年に製作された。1928年の称号規程改正では、両ロットが連番のトサ1 - 40とされた。
第2のタイプは、あおり戸を下部の3枚分とし、開き戸はそのままの位置として妻板上部を山型としたもので、1918年に5両(ト23720 - 23724)が製作された。1928年の称号規程改正では、第1タイプの続番のトサ41 - 45とされた。
第3のタイプは、第2タイプと車体はほぼ同様であるが、妻板上部をフラットとしたもので、1918年に5両(ト23725 - 23729)が製作された。妻板が低い分積載容積が他のタイプより少ない。1928年の称号規程改正では、第2タイプの続番のトサ46 - 50とされた。
本形式は、結局のところ使いにくかったようで、[[1930年]](昭和5年)から[[1931年]](昭和6年)にかけて全車が復元され、トム1形に編入された。
=== トフ20900形(トフ250形) ===
'''トフ20900形'''は、[[1919年]](大正8年)に、大宮工場でト21600形から15両(トフ20900 - 20914)が改造製作された、13トン積み無蓋緩急車である。車体の一端に車掌室を設けており、外観はL形で、中央部の観音開き扉も存置されている。1928年の称号規程改正では、'''トフ250形'''(トフ250 - 264)に改められたが、[[1936年]](昭和11年)に車掌室を撤去して、トム5000形に編入された。
=== リ2500形への改造 ===
'''リ2500形'''は、[[1952年]](昭和27年)にトム1形から改造された、雪捨用の10トン積み[[土運車]]である。トム5000形およびトム16000形の改造車を含めて150両(リ2500 - 2649)が製作された。車体は基本的に元のままだが、中央部にあった開き戸はあおり戸に変更されている。[[1960年]](昭和35年)までに全車が廃車された。
== 譲渡 ==
{{節スタブ}}
[[1948年]](昭和23年)に、トム403が[[蒲原鉄道]]に払下げられ、同社の'''トム1形'''(トム1)となった。[[1985年]](昭和60年)6月20日、路線縮小に伴い廃車された。
同年5月、3両(トム342, 1613, 108)が[[上信電鉄|上信電気鉄道]]に譲渡され、'''トム1形'''(トム1 - 3)となった。
[[1949年]](昭和24年)1月に2両(トム1815, 1695)が[[三井芦別鉄道]]に譲渡され、'''トム1形'''(トム1, 3)となった。これらは、[[1964年]](昭和39年)7月に廃車となった。
同年4月に5両(トム199, 814, 2180, 2196, 457)が[[三菱石炭鉱業大夕張鉄道線|三菱大夕張炭廣]]に譲渡され、同社の'''トム1形'''(トム1 - 4,6)となっている。
同年4月に5両(トム346, 1044, 290, 2184, 2219)が[[三菱鉱業美唄鉄道線|美唄鉄道]]に譲渡され、同社の'''トム1形'''(トム1 - 5)となっている。
同年8月に5両(トム356, 345, 1566, 607, 1457)が[[西濃鉄道]]に譲渡され、同社の'''トム1形'''(トム1 - 5)となっている。これらは、車体構造が荷役に不便をきたしたため、[[1965年]](昭和40年)から[[1966年]](昭和41年)にかけて総あおり戸構造に改造されたが、[[ヨンサントオ|1968年(昭和43年)10月1日国鉄ダイヤ改正]]により高速化に適合せず、同年廃車された。
1950年5月に3両(トム235, 1331, 559)が[[三岐鉄道]]に譲渡されている。これらは、同時に譲渡されたトム5000形6両とともに'''トム500形'''(トム501, 502, 509)とされたが、翌年、ワム200形およびスム400形に改造された。
[[1953年]](昭和28年)6月に3両(トム189, 1633, 693)が[[太平洋石炭販売輸送]]に譲渡され、同社の'''トム1形'''(トム1, 3 - 4)となっている。
[[1954年]](昭和29年)3月に5両(トム23, 1070, 1185, 1666, 2053)が[[雄別鉄道#尺別鉄道線|尺別鉄道]]に譲渡され、'''トム1形'''(トム1 - 5)となった。
[[1958年]](昭和33年)9月には、3両(トム2328, 2279, 1937)が[[福島臨海鉄道|小名浜臨港鉄道]]に譲渡され、'''トム20形'''(トム20 - 22)となった。トム22は[[1963年]](昭和38年)12月、残りは[[1964年]](昭和39年)12月に廃車となっている。
[[西武鉄道]]へは、200両以上が譲渡され、トム501形として使用された。オリジナルの側板構造は使いにくかったため、後年総あおり戸方式に改造されている。これらのうち、1956年、1957年および1959年に65両(トム692 - 706, 501 - 520, 682 - 711<ref>番号の重複については、改番があったものと推定される。</ref>)が[[川崎製鉄]]に、1959年に5両(トム506 - 510)が[[上武鉄道|日本ニッケル鉄道]]へ譲渡されている。
== 同形車 ==
{{節スタブ}}
時期が地方私鉄の勃興期にあたっていたため、多数の私鉄に同形車が登場した。後年、[[日本の国有鉄道に編入された鉄道の一覧|鉄道省に買収]]され、トム1形に編入されたものだけでも、14社([[佐久鉄道]]、[[信濃鉄道]]、[[芸備鉄道]]、[[北九州鉄道]]、[[富士身延鉄道]]、[[リンコーコーポレーション|新潟臨港開発]]、[[宇部鉄道]]、[[富山地方鉄道]](旧・[[富岩鉄道]])、[[鶴見臨港鉄道]]、[[北海道鉄道 (2代)|北海道鉄道]]、[[太平洋不動産|南武鉄道]]、[[中鉄バス|中国鉄道]]、[[胆振縦貫鉄道]]、[[西日本鉄道]])に及ぶ。
=== 津軽鉄道トム1形 ===
[[ファイル:津軽鉄道・トム1(1977年).jpg|thumb|津軽鉄道トム1]]
'''トム1形'''は、[[1929年]](昭和4年)日本車輌製造支店製のトム16000形の同形車で、[[津軽鉄道]]開業用として12両(トム1 - 12)が製造された。国鉄直通貨車としても使用され、番号に二重下線が引かれている。2011年4月現在も、3両が車籍を有している。
=== 北九州鉄道トム300形 ===
'''トム300形'''は15両(トム300 - 314)が、[[1937年]](昭和12年)に買収国有化され、トム1形に編入された。
=== 鶴見臨港鉄道ト2001形(トム2001形) ===
'''ト2001形(トム2001形)'''は、[[1926年]](大正15年)3月鶴見木工所製の10両(ト2001 - 2010)および1928年 - 1929年日本車輌製造支店製の25両(トム2011 - 2035)の計35両である。[[1943年]](昭和18年)の[[戦時買収私鉄|戦時買収]]により国有化され、トム1形(トム2227 - 2261)となった。1928年には、鉄道省の車両称号規程改正にともない、ト2001形から荷重を組み込んだ形式称号(トム2001形)に変更している。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 日本国有鉄道 編集「100年の国鉄車両 2」1974年、[[交友社]]刊
* 「国鉄貨車形式図集 I」1992年、[[鉄道史資料保存会]]刊 ISBN 4-88540-076-7
* 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
* 吉岡心平「RM LIBRARY 8 3軸貨車の誕生と終焉(戦前編)」2000年、[[ネコ・パブリッシング]]刊 ISBN 4-87366-196-X
* 清水 武「RM LIBRARY 99 西濃鉄道」2007年、ネコ・パブリッシング ISBN 978-4-7770-5222-6
* 渡辺一策・矢嶋亨「RM LIBRARY 124 鶴見線貨物回顧」2009年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 978-4-7770-5271-4
{{国鉄の無蓋車}}
[[Category:日本国有鉄道の貨車 (明治44年)|ト21600]]
[[Category:1914年製の鉄道車両|こくてつト21600]]